≪ 「スローフード」ではなく「スローふうど」で ≫
「スローフード」という言葉は、すっかり一般的になりました。この言葉は、今から20年ほど前にイタリアのブラという片田舎で生まれました。
ファーストフードに対抗して、伝統食や地場の作物を重んじつつ、その生産システムも大切にしよう、消費者の味の教育(味覚教育)をしよう、子どもにもそういう食文化を伝えよう、と始まったのがこの運動です。
この運動には、大いに賛成するところなのですが、日本のスローフード運動の中には少し疑問を感じるものもあります。
本来、スローフードと呼べるものは、その地域の産物であり、その地域の風習にあった生産方法で作られた料理、加工食品であり、その地域に元気を与え、郷土の社会性を高めるもののはずです。
ですから、イタリアの郷土料理や家庭料理をスローフードとして紹介したり、フランス料理の食材を使用した味覚教育は、どこか おかしく思ってしまいます。
その国、その地域の気候、風土の中とれた食べ物、その食べ物から作られた食品や料理を食べることが、その国、その地域に暮らしている人の身体、環境に一番よい「FOODは、風土」だと考えています。
そこで、子どもの食だけでなく、私たち大人の食、健康へのヒントにしていただければ・・・と発行します、この食育だよりのタイトルを「スローふうど」にさせていただきました。何分、文才もなく、不定期になりますが、よろしくお願いいたします。
「スローフード」という言葉は、すっかり一般的になりました。この言葉は、今から20年ほど前にイタリアのブラという片田舎で生まれました。
ファーストフードに対抗して、伝統食や地場の作物を重んじつつ、その生産システムも大切にしよう、消費者の味の教育(味覚教育)をしよう、子どもにもそういう食文化を伝えよう、と始まったのがこの運動です。
この運動には、大いに賛成するところなのですが、日本のスローフード運動の中には少し疑問を感じるものもあります。
本来、スローフードと呼べるものは、その地域の産物であり、その地域の風習にあった生産方法で作られた料理、加工食品であり、その地域に元気を与え、郷土の社会性を高めるもののはずです。
ですから、イタリアの郷土料理や家庭料理をスローフードとして紹介したり、フランス料理の食材を使用した味覚教育は、どこか おかしく思ってしまいます。
その国、その地域の気候、風土の中とれた食べ物、その食べ物から作られた食品や料理を食べることが、その国、その地域に暮らしている人の身体、環境に一番よい「FOODは、風土」だと考えています。
そこで、子どもの食だけでなく、私たち大人の食、健康へのヒントにしていただければ・・・と発行します、この食育だよりのタイトルを「スローふうど」にさせていただきました。何分、文才もなく、不定期になりますが、よろしくお願いいたします。