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1月21日生まれの著名人を紹介します-Birth Day紹介-

2021-01-21 17:06:10 | 日記
・水樹奈々
声優 歌手
1980年生 愛媛県出身
代表作
「NARUTO -ナルト-」(日向ヒナタ)
「水樹奈々 スマイルギャング」「MUSIC JAPAN」(ナレーション)
「ハートキャッチプリキュア!」(花咲つぼみ / キュアブロッサム)など
代表曲
「深愛」
「ETERNAL BLAZE」
「Synchrogazer」などがある
1997年PlayStation用ゲーム「NOeL 〜La neige〜」の門倉千紗都役で声優デビュー
1998年「時空探偵ゲンシクン」の大和ソラ役でテレビアニメ初レギュラー
2000年12月6日、シングル「想い」で歌手デビュー
2002年「七人のナナ」の鈴木ナナ役でテレビアニメ初主演
共演者の秋田まどか・浅木舞・中原麻衣・名塚佳織・福井裕佳梨・桃森すももと共に声優ユニットのnana×nanaを結成し、主題歌を担当
ラジオ番組「水樹奈々 スマイルギャング」放送開始
2004年10作目のシングル「innocent starter」がオリコン・週間シングルチャートにおいて9位となり、初めてオリコンチャートTOP10入り
2007年オリコン・週間アルバムチャートで6作目のアルバム「GREAT ACTIVITY」が初登場・2位を記録し
林原めぐみと自身が記録した声優の当時のアルバム最高位記録を更新
これにより、シングル・アルバム・DVDで最高位保持者となった
2009年声優初となるドーム(スタジアム)コンサート「NANA MIZUKI LIVE DIAMOND 2009 supported by アニメロミックス」を西武ドームで開催
2010年音楽番組「MUSIC FAIR」に初出演を果たす
2011年同年3月11日に発生した東日本大震災の義援金をつのるウェブ番組「水樹奈々 チャリティプログラム」をニコニコ動画で配信し315万1800円の寄付金が集まった
12月3日・4日、東京ドームでコンサートを開催。日本人女性ソロ歌手としては史上8人目で、声優としては初めての開催である
2014年音楽やイベントを含めての活動、「NANA MIZUKI LIVE CIRCUS 2013」等の成果が評価され、平成25年度(第64回)芸術選奨文部科学大臣新人賞大衆芸能部門の受賞が決まる
2015年音楽番組「ミュージックステーション」に初出演を果たす
2017年帝国劇場で上演されるキャロル・キングの半生を描いたミュージカル「Beautiful」に平原綾香とのダブルキャストで主演
2019年「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」に出席
2020年音楽関係者と結婚したことを自身のブログで報告
11月6日、第1子妊娠を発表した



・京本政樹
俳優 歌手
1959年生 大阪府出身
中学2年生の時の社会科見学の写真を知り合いが送ったことがきっかけでジャニー喜多川から直接の電話があり
ジャニーズ事務所にスカウトされる
フォーリーブスらのコンサートに招待されて母親と共に上京したり
春休みや夏休みの度にジャニーズの合宿所にも足を運んでいた
1975年にJOHNNYS' ジュニア・スペシャルがデビューした際にも強く入所を勧められたが最終的には断っている
ミュージシャン志望で芸能界にスカウトされたが、その直後に俳優として再びスカウトされ
1979年にNHK「男たちの旅路」第4部「車輪の一歩」でテレビデビュー
1983年、深作欣二監督の角川映画「里見八犬伝」に犬塚信乃役で出演
アイドル雑誌などを経て、大ファンであった「必殺シリーズ」への出演を約束され、テレビ朝日系「京都マル秘指令 ザ新選組」に出演
1985年のテレビ朝日系娯楽時代劇「必殺仕事人V」の組紐屋の竜役で大ブレイク以降、時代劇俳優としての名が世間に浸透
1984年、アルバム「ラブレーの15分」をリリースしたことでシンガーソングライターとしての才能を認められ「京都マル秘指令 ザ新選組」の主題歌「I can't say...」でシングルデビュー
番組のプロデューサーから「曲を書いてみないか」と声をかけられ
1986年「必殺仕事人V・激闘編」では音楽を担当し、主題歌「女は海」の作詞・作曲・編曲を手掛け、鮎川いずみに提供
2005年10月から2006年3月にテレビ東京で放送された特撮ドラマ「牙狼〈GARO〉」に龍崎駈音役で特別友情出演し、エンディングテーマ「牙狼(GARO)〜僕が愛を伝えてゆく〜」「僕はまだ恋をしてはいけない」の2曲を作詞作曲から手がけ、自ら歌った
映像・音楽作品だけでなく、着物ブランド「雪華」を立ち上げ、自らデザインした作品を発表している
息子はSixTONESの京本大我



・高田純次
コメディアン 俳優
1947年生 東京都出身
1971年、自由劇場の舞台を見て俳優を志願し同劇団に入団して研究生となる
自由劇場は1年で退団しイッセー尾形とともに劇団「うでくらべ」 を結成するが半年ほどで解散
その後結婚したが、劇団の収入では生活できないこともあり、26歳の時に宝石販売会社「トキモト」に入社し、宝石営業とデザイナーの掛け持ちとなった
自由劇場の研究生時代からの知り合いだった柄本明と偶然新宿の居酒屋で再会したことをきっかけに会社を辞め
1977年に「劇団東京乾電池」に入団
しかし当初は売れず、妻子を養うために「警察に捕まるようなこと以外の職は、一通りやった」と本人は語っている
テレビデビューは32歳の時で、出演番組は「笑点」
その後、東京乾電池の綾田俊樹、ベンガルらと共に「笑ってる場合ですよ!」で初めてテレビレギュラーとなる
1985年1月、テレビドラマ「毎度おさわがせします」で、主人公を演じる木村一八の担任教師役にてレギュラー出演
1985年4月、ビートたけしの冠番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に1996年10月に番組が終了するまでの11年間レギュラー出演
バラエティ番組「オレたちひょうきん族」の番組内コント「タケちゃんマン」では、タケちゃんマンの敵役として初回から出演しており
ブラックデビル初登場回には高田が務めた
1988年に出演した中外製薬「グロンサン」のCMが話題になり
CMのキャッチコピー「5時から男」で新語・流行語大賞の「流行語部門・大衆賞」を受賞
1989年に東京乾電池オフィスから独立し、テイクワン・オフィスを設立
1990年代には「クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!」でのキャラクターが人気を博した
「象印クイズ ヒントでピント」「どうぶつ奇想天外!」など多くのクイズ番組にレギュラー解答者として出演
また、1994年からは中京テレビにて東海地区グルメ情報番組「PS」の司会を務め
同番組は現在でも長寿番組として人気を博している。
古希を過ぎてからも“テキトー男”のキャラクターでバラエティ、ドラマ、司会などマルチに活動




間寛平が人類初のアースマラソンを完走
2011年 吉本所属芸人間寛平が人類初のアースマラソンを完走しました
走行距離約41,000km。かかった日数は766日でした
2008年12月17日の正午にスターターを務めた明石家さんまの合図で、大阪のなんばグランド花月をスタート
「アースマラソン」にて太平洋大西洋横断や中国大陸から日本への帰国の手段としてヨットを駆使するなどしたことから
日本セーリング連盟から間寛平に「セーリングの普及、認知度向上に貢献を果たした」として功労賞が贈られることにもなりました

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