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12月4日生まれの著名人を紹介します-Birth Day紹介-

2020-12-04 11:37:40 | 日記
・田村淳
お笑いタレント
コンビ名:ロンドンブーツ1号2号
(ボケ担当、現在ツッコミも担当)
1973年生 山口県出身
当初髪型は茶髪だったり青だったりとバンダナやキャップを斜め被りするなど一定していなかったが
1998年4月に始まったテレビ番組「暴ロンブー」の初回の企画において
霊能力者に「髪型が悪い。変えないとトラックの運転手になってしまう。」とのお告げを受けた
当初は金髪の亮に倣って銀髪にしようとしたが
銀髪では売れないと言われ今度は髪を切り赤く染めた
ちょうどブレイク時期と重なり
吉本興業が赤髪の淳のキャラクターグッズを大量に生産し
2002年頃まで赤い頭髪だった
現在では黒や茶髪になっているが
2012年に一度だけ「淳の休日」のインターネット生配信にて、再び髪を赤く染めた
2017年9月23日、AbemaTVにて青山学院大学への合格を目指すことを発表
2018年3月までに受験した全学部で不合格となった
2019年自身のTwitterにて、当時闇営業問題において謹慎中だった相方の亮と共に「株式会社LONDONBOOTS」を設立したことを発表し、自身が代表取締役を務めることも同時に発表


・中川剛
お笑い芸人 
コンビ名:中川家
(ボケ担当)
1970年生 大阪府出身
1992年、実弟礼二を連れてNSCに入学しコンビ「中川家」を結成
中川家のお兄ちゃん


・ギャル曽根
タレント グルメコメンテーター
1985年生 京都府出身
2005年10月のテレビ東京の「元祖!大食い王決定戦」に出演して結果は6位だったが、「優勝にこだわらず好き勝手に食べる自由さ」で存在感を示す
2006年「元祖!大食い王決定戦 新爆食女王誕生戦」
2007年「元祖!大食い王決定戦 新爆食女王限界死闘編」などで優勝
番組では本名の「曽根菜津子」として出演していたが
番組進行役の中村有志が名付けた「ギャル曽根」の愛称が契機となり
耳目を集めて以降上京し本格的に活動を始める
2007年4月に辻希美、時東ぁみと共に、「そねね」として藤田志穂のプロデュースによるパラパラギャルユニット「ギャルル」結成するが、リーダーの辻が妊娠により中途脱退して曽根が2代目リーダーを務める
タレントを長く続けるにはこれだけではだめだ」と考える
ほどなくして曽根は、ただ量を多く食べるだけでなく食に関する仕事全般でアピールすることを考え美味しさを伝えるような食べ方、コメントの研究、料理を作ることにも力を入れ始める
2011年「もしもツアーズ」などを手がける9歳年上のディレクターである名城ラリータと結婚



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