みなさん こんにちは
いつもありがとうございます。
自然社本宮で生まれ育った私は
戦没者慰霊が大切な仕事となっています。
昭和44年5月に生まれた私ですが
その年の8月24日に
自然社本宮に
万国戦没者慰霊殿が建立されました。
両親に連れられ
祖父母に連れられ
物心がつく前から
お参りさせていただいていました。
ほんとうにありがたい環境で
育てていただいたと
感謝しています。
表題の和歌は
奈良時代
東大寺の大仏が建造されているとき
この大きな仏像を
金色(こんじき)に仕上げるために
必要な黄金(くがね とも 読みます)が
天平21年(749年)2月
国内で初めて
今の宮城県涌谷町で見つかったことを
お喜びになられた
聖武天皇が
そのことを
仏前で奏されました。
その宣命(臣下に賜る詔勅)に
「大伴、佐伯の宿禰(すくね)は・・・・
先祖から、海行かば 水浸(みず)く 屍(かばね)
山行かば 草生(くさむ)す屍、
王(おおきみ)の辺(へ)にこそ死なめ
長閑(のど)には 死なじ、
と 言い伝えていると聞く、
今の世にも変わることなく・・・・」
と
ありました。
当時は
政情が安定せず
凶作に人々が苦しんでおり
天皇はそんな時代を
なんとかしようと
古くから
朝廷で近衛(このえ 内の兵(いくさ))の
役を務めている
大伴氏 佐伯氏に
あらためて変わることなく仕えよと伝えられました。
それを
喜んだ
大伴家持は
長歌と反歌を作りました。
表題の歌は
その反歌の一つです。
金が産出されたことを
おおらかに清らかに
喜んでいます。
天皇の 御代栄むと 東なる 陸奥山に 黄金花咲く
(すめろぎの みよさかえむと あずまなる みちのくやまに くがねはなさく)
皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。