万城目研究

「鴨川ホルモー」とか「プリンセス・トヨトミ」とか「鹿男あをによし」とか

『鴨川ホルモー』

2012年08月11日 | 作品紹介
先に映画を観た。
京都の大学生たちが小鬼を使役して、京都の街を縦横無尽に駆け抜け、死闘を繰り返す。
手駒の小鬼100匹。形勢不利でどんどん小鬼が昇天して行き、もうこれでお終いだ、と言う状態に近づくと、鬼の使い手は叫ぶ。「ホォォォォルモォォォォ!!!!!」

何てくだらない映画なんだ、と思った。ただ、くだらない映画が嫌いじゃない。何より、荒唐無稽なお話のくせに結構青春物語でもあった。
その映画の原作として、初めて万城目学の『鴨川ホルモー』に出会った。
万城目学に出会ったと言ってもいい。
映画はほぼ原作を忠実に実写化していた、と思う。おそらく、制作者が原作をとても好きだったのだろう。
小説『鴨川ホルモー』は、ホルモーに血道を上げると言う特殊な環境に身を置く京大生たちの、爽やかな青春物語だった。

万城目の小説は不思議だ。
こ の後、喋る鹿とか、豊臣家の末裔を大阪中の人間が守っているとか、とんでも小説ばかりを書く事になるのだが、京都を歩けば、「ひょっとして京都では大学生 たちが小鬼を使って本当に死闘を繰り広げているのかも知れない」と思い、奈良の鹿を見れば、「この中にひょっとして喋り出す鹿がいるかも知れない」と思 い、大阪の地下鉄に揺られながら、「ひょっとしてこの人たちは大変な秘密を守って生きているのかも知れない」と、妄想させる力がある。

何故だろうと思う。
誰よりもストーリーテラーとしての才気がほとばしっているとか、特別に人物造形に優れているわけでもないと思う。本人も自分が「巧い」作家ではない事は、重々ご承知のようだ。
それでも、小説の中の荒唐無稽さをちょっと信じる気になってしまうのは、万城目自身の誠実さな気性によるものかも知れない。
小説家なんて嘘つきだけど、万城目は誠心誠意嘘をついてくれている。だから、どんなに荒唐無稽なお話でも、その世界に住む人間たちを信じられる気になるのだ。
彼らは嘘なんかつかない。だから、京都の大学生はホルモーをやってるし、奈良の鹿は喋るし、豊臣のプリンスは大阪中の人々から守られて平和に暮らしている。
そんな事をちょっと信じてみる気にさせられる、万城目学と言う作家がとても好きだ。