【地球の謎解き】
ソラ画像
2010年9月17日(金)
ニッポンレットウ君
↓と同じく北海道の方で、お知らせは知らなくて同じ日に、日本列島みたいと気になって撮られたそうです。
足がまだ短いようで、頭の上の顔が気になります。
犬のようでシリウが知らせたそうです。
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ソラ画像
2010年9月15日(水)
ニッポンレットー君の雲
↓と同じ日に北海道の方から送られてきた雲で、日本列島をあらわす雲と。
隙間が空いている部分が忘れられた倭の国のあった地域。
白い雲は、かって丹後半島から能登半島まで大きな半島であったことを知らせていると、チャネリングで知らせてきました。
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ソラ画像
2008年3月16日(日)
綾部、私市丸山古墳
近年高速道路の工事で初めて発見された、京都府一の大きな円墳。
頂上部は葺石と埴輪で覆われている。
倭の国が完全にヤマトにより隠されていた証拠。
物部氏が埋葬されていると伝えられた。
物部町が近くにあり。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20021015205204
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ソラ画像
2008年9月22日(月)
能登半島の有料道路に入る前
延々とサルビアの花が出迎えてくれました。
何を意味しているのかと言うと、
倭の国をヤマトが滅ぼした(血を流した)ことを伝えるために、
(インスピレーションで)サルビアの街道にさせたそうです。
やはり日本海は草原で大陸とつながっていたが、
リュージンが中国から来るというのがわかったので一部が沈んで日本海になったが、
能登半島はノアたちが通り過ぎないように止める為に残ったと。
又、カマの形になっているのは、オオクニヌシが大きなカマを持って日本へ来たと言うことをあらわしているそうです。
半島にしては家が多いのは、落人説もあるでしょうが、かっては平原だったので多くの人間がいたからのようです。
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ソラ画像
2008年9月22日(月)
ノアの遺体?宝達山頂上
ソラの情報では、早くからユダヤのノアとムウラの親子(共にイシジン?)が日本に来て、
ヒミコの娘と一緒になって生まれたのが山彦、
その山彦が治めたのが倭の国の始まりと伝えられています。
ノアはムウラと一緒に大江山近辺で製鉄を教えていたが、ヤマトに追放され石川県にたどり着き、籠に入れられて亡くなっり、その後、宝達山に葬られたとたと伝えられています。
その宝達山へ行くとノアが降りてきて、山頂に岩になっているので来て欲しいというので細い道でしたが車で行けたので行ってきました。
頂上には沢山石碑となってありましたが、ノアの身体(=イシジンだった)がこの岩になったと。
カニに似ているのはノアはカニ座から来たとも伝えてきました。
(書き終わると右足首にサインあり。紹介してくれてありがとうと)
ちなみにイスキリもチャネリングで生駒山の石が墓石だと言ってきましたが、イスキリもイシジンだったのであの形になったそうです。
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ソラ画像
2008年10月13日(月)
闘リュー灘の岩(西脇市)
「港から来るリューを上らせないために岩で止めました」
と言葉になりました。
ここだけこのような岩が広がっています。
これはここのイシカミがやわらかい時に、
ヤマト=リューが川をのぼって倭の国を攻めさせないために川の流れを変えたそうです。
(巨人の足跡?や指跡?=甌穴?と思えるのもあります)
闘リュー灘の読者の方のアルバムです。
http://www.photohighway.co.jp/tp/06_f.asp?key=1071789&un=9169&m=0&pa=&Type=6
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ソラ画像
2008年11月4日(火)
西谷四隅突出型古墳群(出雲市)
四隅突出型古墳は以前に知らされたこと(四足動物をあらわしている)とは別の意味もあるということです。
すなわち最初の地球は、イシカミたちは長方形の形に固まったが、地球が丸くなるために、四隅のイシカミたちは分解して、新たに丸くなった地球上に降りてきあちこちの三角山などの低山になったと知らされていますが、その「四隅のイシカミたちも仕事をしているよ」と、この形にあらわしたそうです。
この形は主に西日本にあり、特に島根県に多く、近畿地方にはないという特徴があるのは、
近畿地方、特に倭の国が滅ぼされヤマトに支配されていたからだそうです。
すなわち、近畿地方に降りた四隅のイシカミたちは、自分たちのことを伝える形になることを、支配星に止めさせられたからで、代わりに小さな古墳になったり、低い山になったりしたそうです。
http://www.hist.shimane-u.ac.jp/kouko/List.htm
さんより
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ソラ画像
2008年11月4日(火)
白兎神社
日本の歴史のナゾを解く証拠を知らせるので来てほしいと言ってきた物がこれでした。
ヤマトの流れを汲む皇室のシンボルは菊花紋ですが、それを台にして、柱を立てているということは、
ヤマトより先に日本の国を創っていたのがヤマタイコクであり、出雲であり、倭の国であったが、
それを滅ぼしてヤマトが一番最初の国とうそを言っているということをあらわしたそうです。
http://sora.ishikami.jp/stories/yamataikoku.html
オオクニヌシがヤマトに滅ぼされて、木星の王は巨大建築の基礎だけ残して木星に帰りましたが、ここでもしっかりと木の柱を立ててそれを知らせています。
菊花紋=花びらを密集させてその裏に、リュージンやヘビを隠していると伝えられています。
このことを知らされた後に神社の上に出てきた雲で、帯状の雲がソラをまたいで、この情報を宇宙の皆に知らせたと言っていました。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=20081103132834
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ソラ画像
2008年11月9日(日)
アリタ(有馬)富士の頂上
アリマと呼ばないでアリタと呼んでといってきた山。
アリタ富士は326mで、太陽のイシキが四隅のイシカミの体を借りて降りてきた山だそうです。
倭の国が滅ぼされたので抗議して降りてきたそうで、
人間になるイシジンもやられるばかりでつまらないので、創らないでひたすら見ていたと。
紅葉がきれいでしたがちょっと曇り空で、アリタ富士の気持ちをあらわしているようでした。
右上は小さなイシジンが寝ているようです。
ここからはとても見晴らしが良いです。
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ソラ画像
2008年11月9日(日)
アリタ(有馬)富士から
この地方にこのような三角山が多いのは、四隅の若者のイシカミたちが、倭の国が滅ぼされたことに抗議して、ヤマトがさらに攻めてこないように降りてきたそうです。
帰り道、3仏山(みほとけ山)のそばを通った時、右手首にサインがあり、3仏山の周りのたくさんの池のりゅージンのエネルギー体が、イスラエルの極右翼の人たちを支配し、争わせていたと思いもかけない事を知らせてきました。
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ソラ画像
2009年1月14日(水)
熊野神社の大黒石
亀石と共に一応大切にされているようでしたが、近くのシリウをあらわす長方形の石は放置されているようでした。
ヤタガラスがここにありますが、本来は倭の国(綾部市)の白道路の三叉路の八田のこと。
熊野水軍、九鬼(九鬼霊石)、綾部などとつながっていっています。
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ソラ画像
2009年3月9日(月)
有年原(ウネハラ)田中一号古墳の土器の模様
小さな三角は倭の国の続きで播州にも多い、低い山になった四隅のイシカミをあらわす。
その下の三角山は、海に沈んだイシカミがいて、低い山であったことを知らせている。
二つの土器(イシジン)が頭で引っ付いているのは、二つの意味があると。
1)北半球と南半球は引っ付いている。
2)人間は星から来る潜在意識と地上近くからくる顕在意識が一緒になって成り立ている。
(この土器を見る前日に、頭部の結合双胎児をTVで見ていた。イエスとマホメットは双子であったことをあらわす)
渦巻き模様は、地球の風は北半球では北東貿易風、南半球では南東貿易風と反対方向に吹くことを知らせている。
3本の縦線は何度聞いても、ムーにはダイジャがいたことをあらわすと。
見た瞬間、青虫?の様でもあり、気持ち悪かった。
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ソラ画像
2009年4月4日(土)
ミナツキサンの行われた場所
倭の国の時代、ここの手前でミナツキサンが行われたそうで、
何回かこの下の橋の夢を見ていて、ここにも来てほしいといってきた場所です。
シラセ橋の向こうが吉美で星原があり、キミ山が見えています。
98年に支配され、この下にジルコニアの製品を投げ捨てた場所でもあります。
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ソラ画像
2009年4月4日(土)
日本一低い分水嶺2
ここに行った帰りに同行者のコメカミにサインがあり、ここが天の岩戸の続き?と言ってきて、それを知らせていると。
平らな倭の国の両側に、四隅のイシカミが岩戸のように降りて来た。
すなわち本州のコメカミのようにあらわしたということで、日本海側に、先日知らされた大江山の麓の天の岩戸があります。
ちなみに綾部の由良川が本流で、福知山からは武田川になっているようです。
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ソラ画像
2009年4月12日(日)
羽束川の上流に固まって咲いていた花
向かいの気難しい山が咲かせた?花。
地面に這うように広がり、スミレのような花。
(キランソウだそうです)
http://www.hana300.com/kirans.html
このほかにオオサンショウウオが羽束川にはたくさんいるそうですが、出石川にもたくさんいるそうです。
http://www.kobe-np.co.jp/news/hanshin/0001054126.shtml
どちらも丹波=倭の国=いて座の王が降りた(星原)に割りと近くで、
オオサンショウウオから陸に上がった動物になったと。
奥へ行ってほしいというのでドンドン車を進めると、巨石がゴロゴロの川になり、さらに峠を越えると見たことのある風景に出会いました。
それを知ってほしいので先に進んでといったそうです。
篠山市の洞古墳
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20080905124424
2010年5月
ここの隣の空き地にこの花がとてもたくさん群生して生えて、薄紫のちょっとした花絨毯のようでしたが、これもその後意味がありました。
その他河川敷も今年は赤爪草を初め、色々な花が咲き乱れてソラの応援を感じました。
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ソラ画像
2009年7月26日(日)
奈良のお水送りの源泉
福井県上中町の神宮寺遠敷明神宮の本堂は苔むした巨木(杉ではない)が何本もありました。
ソラの情報では
ノアが倭の国を追放されて、放浪している時ここで水を飲んだと知らせてきています。
現代ではここに湧き出た水を遠敷川の上流の鵜の瀬(↑)の洞窟に流すと、地下を通って奈良の2月堂に流れていって、お水取りの行事がなされると伝えられています。
大小ともの石の元から水が湧き出ています。
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ソラ画像
2009年7月27日(月)
綾部の熊野神社
並松町にあり、ミナツキサンの祭りでにぎわっていて、ここへ行ってほしいということでした。
建物の横にあった石で、”リュージンの卵”をあらわし、近くの大本教本部から逃げ出してここに隠れていたそうです。
(ここの宮司は大本教関係者のようです)
雲で卵のような形があらわれ、それが砕けていくのを見ましたが、栃木でも見られています。
http://sora.ishikami.jp/image_earth/index.php?id=20090726210211
ミナツキマツリはたくさんの夜店が出ていて、人も多かったですが、
倭の国の時代もこのように”ミナツキサン=(海の皆さんが着きましたよ”と
祭りのような賑わいだったことを皆に知らせてほしいということでした。
今年に入って何度か、ミナツキサンに行ってほしいと言って来たのですが、
このリュージンの卵で知らせているように、ここにいるリュージンの卵を切り刻んでほしかったようです。
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ソラ画像
2010年10月13日(水)
鎌倉釈迦堂切り通し
鎌倉には7箇所の切り通しの名前が残されていますが、ここが一番しっかりと残っています。
草で見えないですが、大きく貫通していて、横に2つの掘りかけのようなくぼみがあります。
周りは岩山で通路も、イシカミの分身が滑り出て行ったと思われます。
鶴岡八幡宮にも7台の山車が保存されていましたが、
オオクニヌシの部下は8人で、倭の国、出雲、ヤマト、長野、鎌倉とつながるようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/monogatari_folder/syakadou_folder/syakadou-01.html
さんには、まだ通れていた頃の画像がたくさん紹介されています。
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ソラ画像
2010年10月13日(水)
鎌倉長谷寺1
奈良の長谷から長野へ、次に鎌倉の長谷に来たという説があるようですが、
長谷(ハセ)の元はハゼ(土師)が変化したと。
ハゼ(土師)は倭の国であった福知山市に地名として残っていますが、
土器を作っていたイシジン?
ハゼ=セが平等(ハは平らになる)背の高さが同じという意味で、
イシジンの背は皆同じ高さ=平等をあらわしていたが、
それがヤマトに行って支配星により巨人のイシジンを身分差をつけさせ、
それが出雲に伝えられ、長野、鎌倉へ伝わっていったということです。
鎌倉の長谷寺には小さな像がたくさん並んでいました。
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ソラ画像
2010年11月1日(月)
正倉院 櫃(ひつ)
平成22年正倉院展 奈良国立博物館出版の本より
(本来なら著作権で公開できないのですが、右耳の前にきついサインが続き
ソラの抗議がありますので公開させていただきます)
チャネリングではこれが”契約の箱“と言葉になります。
スギ材製、縦53,7cm 横89,5cm 総高43,5cm
10月31日に正倉院展に行ったのですが、30日の読者の夢です。
「何処かイスラム系の国の民家の居間?にいる。・・中略・・・
砂漠の中にある?施設のような所で、ソラの講習会が行われる様子。
いつものように長机と椅子が置いてあり、白い布が被せてある机も混じっている。・・・中略・・私は白い布のある前の席に移動する。
その机の下の中央には、縦1m?x横50~60cm?x高さ30cm位の
大きな長方形の箱状のものが置いてあり、それには水色の袋が被せてある。
はっきり解らないけれど、A?とQ?のようなアルファベットが書かれている?
私は中央にあった箱を少し持ち上げて横にずらすが、その時その箱は
金物で出来ている?と感じいてる」
という夢で先に見てもらったようですが、なぜ金属を感じたかというと、櫃になった原子たちは、金属と同じくらい強い結合をしているということを知らせたそうです。
同じ展示物に酔瑚人の面がありましたが、鼻が高くユダヤ人を思わせますが、チャネリングではペルシャ人(イラン人)もユダヤ人も同じ先祖だからということを知らせているということでした。
以前から正倉院の宝物は倭の国から盗まれたと伝えられていますが、これも
そのひとつのようです。
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ソラ画像
2011年2月28日(月)
物部氏の岩
春日富士で聖徳太子にやられた物部氏はどこにいるのかと思っていたら、
ここ春日町の阿陀岡(あたか)神社に来てくださいと言葉になり行ってきました。
ミナシゴたちが物部氏のそばに行きたいと言ったのを、意地悪な悪いオリオンが石として引っ付けさせ、閉じ込めさせたために、このような大きなごつごつの岩になったと、言葉になりました。
岩に取り付いていたミナシゴやオリオンを切り刻むことでイシキはソラにあがったそうです。
この後、聖徳太子が思ってもいなかった法隆寺の屋根の醜いリュージンがその姿だと伝えてきました。
今残っているリュージンは江戸時代に創られた?そうですが、その前は見えない姿のあの形で、
倭の国から盗んできた宝物を取りに来ないように見張っていたと、これまでの情報とつながりました。
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ソラ辞典
イカルガ(何鹿)
京都府綾部市は以前「何鹿」と書いて「イカルガ」と呼んだ。
この本に出てくるのは全てこちらのイカルガ。
「祈ることで力が与えられる」という意味。
鹿の角は「白い木=稲妻=星の宮」をあらわしていて、鹿も同じ意味合いを持つ。
ヤマトの権力者がこのイカルガの名前を持って行ったと知らされている。
ホシノミナが降りたと伝えられる星原や、物部氏発祥の地でもあり、
倭の国と呼ばれ栄えていたが、ヤマトに徹底的に滅ぼされた。
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ソラ辞典
星述べ
星(いて座=イシカミ)からいろいろな人間生活に必要な知恵をチャネリングで受けて皆に伝えていたこと。 星述べ= 特に子供や女性。
その言葉を知るために多くの人が集まって倭の国が出来たが(指導者は物部氏)、その後プレアデナイの星が強くなり、死後に地獄があり、仏教を信じなければと脅かし支配していったので悲惨な目にあい、イシカミの話は封印され忘れ去られた。
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ソラ辞典
四隅のイシカミ= スミヨシ=住吉
AD400年ごろまで地球はイシカミたちが形を創ったのは、平らで長方形であった。
それが丸くなるために、四隅のイシカミはいったん分解して、その後小さな山となって降りてきた。
特に倭の国(今の丹波地方)がヤマトに滅ぼされないように、ふたをするために、
六甲など低い山となって降りてきた。
地球が四角から丸くなったということを、ネボ山の巨大な丸い石で知らせてきた。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/index.php?id=20070105232555
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2005年11月9日(水)
・・・ソラからの天皇制など。
メールより抜粋させていただきます。
「皇室有識者会議で女性天皇が認められたことに対して、新聞ではあまり論じられていないのということは、マスコミが及び腰ということで残念・・・・・・。
その中でA新聞は3通りの意見が載っていて、女性学者は皇太子妃と同姓の立場や人間の平等の原則から、皇室制度そのものに疑問を投げかけた意見があったが、そのことすら反論している週間文春にはあきて・・・・・・・。
中略
他人が汗水たらしたお金を、嫁入りに1億5000万円も持たせたり、動物に着物を着せた悪神の絵の保存に1億かけたり、猛暑の中、暑さで死ぬものもいると言うのに、そのような悪神の絵を冷房装置で守ったり、・・・・・・。
それに比べて、巨石遺跡に対する地図すら日本にはない、今の学問の向かう先に希望はない。・・・・・・・」
これは私も同じ思いです。
増税がささやかれているのに、税金の使い道が気になります。
結婚式に伊勢神宮の宮司が立ち会うそうですが、宮司の帽子のタレは昆虫の星が
“触覚を持つものを神と崇めるように”
と送り込んだ教えをあらわしています。
http://sora.ishikami.jp/diary/index.php?id=20040925114828
そのことをあらわすように、カメムシやてんとう虫の異常繁殖の報告が各地であります。
そして、そのように昆虫を送り込んだ星を崇めるために、来年もアフリカなどで、イナゴの大量発生が襲い、さらに悲劇を招くでしょう。
それにしてもソラから見る皇居は、周りの密集した建物と別世界です。
中にいる人達は籠の鳥ですし、周りの狭い部屋に住んでいる人は、税金を払いながらこの矛盾にどうして気づかないのでしょう。
昨日見た夢は、このソラから見た皇居に対しての抗議の意味があったと思います。
《夢かイメージ》
“同じような家がズラーと並んでいるが、端の家だけ二棟ありやや大きい”
「人間が地球に住むのに、余分な土地や建物はいらないと言うことです。
一部が大きいのは、指導者の元に人が集まるためには必要だということです」
今、次回の本の倭の国の編集をしていますが、倭の国は皆、平等であったので、指導者の物部も少し大きめの家だけだった、ということを知らせたようです。
それに反してヤマトは、仏教の教えの元、働く者と貴族や僧侶など労せずして搾取する者にわかれ、貧富の差が激しく、仏教建築など大きな建物などを建てていたり、何度も都を変えたりして、決して理想の国ではなかったということを知らせたようです。
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地震雲などの画像
2011年1月17日(月)
三田市(7:48)《《棒状雲》》 【【【茨城県沖M4,2【PAKISTANM7,4】】】
はっきりとした棒状雲ですが、短時間だけの形状保持ですので、(日本においては)震災級ではないでしょうが、今日のチャネリング内容と共に、要注意でしょう。
昨日の怒りの雲の表情、新島・神津島近海の連続した小さな地震と共に気になります。
「知らせても知らせても知らん振りをする」という、
特に国、学者,マスコミなどへの警告の言葉が続いています。
昨日の徳島北部のM4,4の地震は、
ソラから知らされているヤマタイコクが世界で始めて国が創られたということを知らせているそうです。
今日は阪神大震災の日です。
先日から、耳にボコボコとした音が聞こえていますが、複数の方からも同じような症状の連絡があります。
発生時刻 2011年1月17日 16時14分ごろ
震源地 茨城県沖 深さ 50km 規模 マグニチュード 4.2
震度3 茨城県
18-JAN-2011 20:23:M 7.4深さ 10.0 SOUTHWESTERN PAKISTAN
(日本においては震災級でないと思ったのですが、パキスタンで起きました。
地震は地元の人たちの悲惨な状況で、SOSを発することで呼ぶと伝えられています。最近パキスタンではテロが続発しています)
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2011年3月2日(水)
物部氏、陀岡神社、地球の磁力線、如意棒、飛騨の連続地震、両面宿儺、玉造、悪の三ツ輪、
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2011年8月6日(土)
宗教法人の非課税、復興資金、いろいろなビジョン、倭の国、悪の金星、プレの悪あがき、ペルセウス座流星群
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【ソラからの情報を知って2011/08/05】より