サイレント

静かな夜の時間に

亜空間(5)

2006-11-16 02:41:25 | Weblog


私は五本指の五人に、
中に攻め入るように命じた。

カゲ「五本指だけでいいですか?」
私「標的のアジトには...」
カゲ「......」
私「どれくらいの数の標的がいる?」

察するに相当数の相手がいるはずだった。

カゲ「数千人います」
私「じゃあ...」
カゲ「......」
私「あの五人で十分だ」
カゲ「はい」

五本指は、私が彼らを生んでからの数年間、
まだ一度も仕事を失敗したことがない。
どんなに多くの敵がいても、
どんなに困難な仕事の内容であっても、
まだ一度も、失敗をしていない。


ふと空腹に気付いた私は、
薄い壁にあるインタフォンの受話器を手にした。

「すいません、カレーライスお願いします」
私はフロントに夜食を注文した。

いい忘れていたが、
私は現在、ネットカフェにいる。
ネットカフェでコーヒーを飲みながら、
気の向くまま適当にネットサーフィンをしている最中に、
師匠からの連絡があり、
そしてカゲたちに調査をさせ、報告を受け、
そのまま異世界のヤクザ組織への攻撃を始めた。

このネットカフェは、
6階建てのビルの6階にある。


カゲ「くれぐれも...」
私「......」
カゲ「そのインタフォンで...」
私「......」
カゲ「私たちへの指示を...」
私「......」
カゲ「間違って話さないようにして下さい」

想像するだけでも恐ろしい。
私はこれ以上ないほどに、苦々しく笑った。
絶対にありえない間違いではないだけに、
冗談では済まないような怖さがある。

私「あのさ...」
カゲ「......」
私「そこまでボケたら...」
カゲ「......」
私「今度こそ本当に引退するよ」

たくさんの笑い声が聞こえた。
私の周囲に潜んでいる複数のディフェンスチームや、
さまざまな分野の側近たちが、
みんな笑っていた。

私が脳内で会話を交わしているカゲは、
その中のひとりであり、
私との連絡を主に担当している者だ。


五本指による殺戮が、やがて始まった。
標的たちの悲鳴が聞こえないように、
私は脳内の受信感度を、意図的に落とした。

私は、今回のヤクザ組織について、
ボンヤリと考えていた。

彼らは...
はたして昔からずっとヤクザ組織だったのだろうか?
ひょっとして、そうではないのではないだろうか?
ほんのこの近年に、
ヤクザ組織に転落したばかりではないのか?
以前はちゃんとした立派な身分や役職があって、
崇められるような存在だったのではないのか?


ヤクザヤクザとこれまで表現してきたが、
例えば、所轄を動かしている地域管理者たちと、
そのヤクザ組織との間に、
どのような違いがあるかというと、
実はそれほど違わない...と私は思う。

この世には、多くの国や民族や宗教があり、
それぞれの背後には霊的な管理者たちがたくさんいる。
地域によっては、
管理者が率先して血の贄を集めるところもあるし、
所轄とヤクザの両方を指揮する管理者もいる。

古来、常に異世界における争いが絶えなかった。
敗れた管理者がヤクザに転落したり、
勝ったヤクザが管理者に成り上がることも、当然ある。


いまから数年前の夏から秋にかけて、
異世界で、ある覇権を賭けた比較的大きな戦争があり、
この国はまさにその主戦場だった。

幾多の台風がこの国に上陸し、全国が水害に見舞われ、
そして大きな地震もあった。
私も、その霊的な戦争に参加していた。

今回の捕縛劇のヤクザ組織は、
ひょっとしたら数年前のあの戦争で、
敗北し転落した側だったのではないか?

かつての力を削がれ、アウトローに身を堕としながらも、
なんとか少しでもエネルギーを隠れて収奪しようと画策し、
苦肉の策として、犯人が発覚しにくいような方法で、
血の贄を求めたのではないだろうか?

私はこのことは、カゲたちにはあえて聞かなかった。
多分、知っていても答えにくいはずだった。


カゲ「標的の頭領からメッセージです」
私「ん?」
カゲ「......」
私「うん、聞こう」

おそらく私が放った五本指のうちのひとりが、
その頭領の眼前に迫っているのだろう。
切羽詰まった様子が浮かんでくる。

カゲ「欲しいものは何でもやる、とのことです」
私「!!」

私はこらえきれずに爆笑してしまった。
そして、慌てて自分の口に手をあてて塞いだ。
周囲にはほかの利用者たちもいる。
ここはネットカフェなのだ。

そうだ、ここは6階建てのビルの6階にある、
たくさんの利用者がひしめくネットカフェなのだ。
設計や建築に完全な信頼を置ける保証などどこにもない、
6階建てのビルの最上階なのだ。


ネットカフェの狭い個室の中で、
届けられたカレーライスをゆっくりと食べ始めながら、
私は突入させた五本指へ、指示を与えた。
迷わずトドメを刺すようにと...



氷河期(1)

2006-11-15 14:24:47 | Weblog


前項の亜空間を読んで、
鋭い人ならある疑問が生じたと思う。

その疑問とは、こうだ。

もし、異世界のヤクザ組織が陰で糸を引いて、
現世における耐震偽装問題を発生させたのなら、
耐震偽装で発覚した違法建築の全てにおいて、
それらの設計前の段階ですでに、
異世界ヤクザが現世の人間に干渉しているはずである...

そうすると、
異世界ヤクザがこの世に干渉したのは、
かなりの年月をさかのぼった過去においてのはずだ...

それなのに、
私がボンヤリと推測した中で、
ほんのこの近年にヤクザに転落した連中が、
その後に起こした未遂事件かもしれないと思ったのは、
時系列からいうと、矛盾してるのではないか...

少なくとも、
耐震偽装の違法建築が建てられたあとからでは、
異世界ヤクザが現世に干渉できるはずがない...

このような疑問を持った人が、
いたとしてもおかしくない。


現世的な時間感覚というか常識で考えれば、
まったくその通りである。
しかし、その現世的な時間感覚が通用しないのが、
異世界の異世界たるゆえんなのだ。

乱暴なまでに簡単にいってしまえば、
この物質世界とは違う世界、
異世界、別世界、あの世、どう表現してもいいが、
そこにおいては驚くべき事に、
過去、現在、そして未来、
これらの区別が、あまり存在しない。

これはちょっと、わかりにくいことかもしれない。

つまり、こういうことだ。
異世界の住人たちは、
この世の「過去」に干渉して、操作できるのである。
現世の当事者たちに気付かれないうちに、
自在に「過去」を塗り変えてしまうのだ。


例をあげてみたい。

ある人が、かの有名な平将門の首塚の前で、
すごく将門を怒らせるような行為をしたとする。
その人間は、将門に祟られるかもしれない。

で、その人が、
首塚で無礼をはたらいた翌日に、
職場で転勤の辞令を上司から突きつけられたとする。
全然希望していなかったような遠い地方へ。

この、本人にとって苦痛に満ちた突然の転勤の話は、
ひょっとしたら、将門の祟りかもしれない。
しかし、
よく考えるとおかしな面がある、かもしれない。

転勤辞令を人事責任者が発行したのが、
なんと、本人が上司に告げられた二日前だったりする。
平将門の首塚で無礼を働いた前日だ。
もしこれが将門の祟りだとしたら、時系列的に矛盾する。
将門の祟りとして転勤になるのにしては、
その転勤は、祟られる前の段階で決定しているからだ。


このようなことは、
異世界の住人にとっては、普通のことである。

無礼を働いたまさにその翌日に、
転勤辞令でその相手に仕返しをするのに、
過去にさかのぼって小細工をするというのは、
特に珍しいことではない。

三次元の世界を「空間の広がり」とすると、
四次元の世界は「空間」に「時間の流れ」を加えた、
いわば「時空」といえるものだとよくいわれる。

霊的な異世界は、まさに「時空」の世界であり、
日本からアメリカに旅行にいくような感覚で、
現在から、過去や未来に往来が可能...らしい。


前置きが長くなった。

異世界のヤクザ組織を狩った三日後に、
私に別の仕事が舞い込んできた。
クリスマス・イヴを三日後に控えた日だった。

私はこの仕事に、
みっちりと約三週間も関わることになった。
クリスマス・イヴも年末年始も吹っ飛んでしまい、
ひっそりと孤独に働いた。

静かな夜の時間に...



氷河期(2)

2006-11-15 14:19:47 | Weblog


カゲ「メッセージが届きました」
私「ん?」
カゲ「......」
私「誰からだ?」
カゲ「......」
私「ハルか...」

ハルとは、私の知り合いのひとりだ。

知り合いではあるのだが、
私はまだ、一度も直接は会ったことはない。
しかしそれでもハルは、
日本のどこかに人として生きているらしい。


男なのか女なのかも不明だし、
年齢や、住んでいる地方や、人としての職業なども、
詳しいことはわからない。
インターネットでも、出会ったり話したことはない。

ただ、この世ではない別の世界でハルという者がいて、
そちらで私と仕事の上でいろいろ関係があって、
どうもそのハルは、
私と同様にこの世で肉を持ち、人として暮らしており、
しかも、はっきり意識しながら異世界で仕事をしている、
ということは掴んでいた。

ハルは、
日本の霊的な管理者たちから構成される管理組合に属し、
かつ、
その就任からそれほど長くは経っていなかった。


ちなみに私の師匠は、
日本の管理組合には属していないし、その傘下でもない。
どこかの国や地域の管理関係者というわけでもない。
ヤクザでもない。
私を育てた私の師匠は、その素性に関しては、
ちょっと気味の悪いところがある。

いや、師匠の素性のことなどどうでもいい。


私とハルは、
数年前に一度戦ったことがある。
そのあとしばらくしてから、私たちは戦友になった。

そしていつの間にか、ハルは役職に就いていた。
反対に私は、
仕事にイヤ気がさして一度完全に身を引いた。

今度の仕事は、そのハルが、
師匠を通さずに直接私にもってきた。
ハルからのメッセージで事情を知った私は、驚愕した。


「日本列島全体が、占拠されつつある」
はあ?

「このままでは蹂躙され、多数の死者が出る」
待て、それは何のことなのだ?

「東京が、最も悲惨な被害が出てしまう」
だから、一体何の話なんだ!!

「いますぐ気象衛星図を見てくれ」
気象衛星図??

私はすぐに携帯電話で気象情報のサイトを開き、
気象衛星画像を確認し、そして戦慄した。

関東以外のほぼ日本列島全域が、
分厚い雲に覆われ寒波に襲われている!
いまはまだかろうじて関東だけがスッポリと抜けているが、
このままでは、
関東地方も大雪と凍結からなる寒波に飲み込まれるのは、
もう時間の問題にすぎないと思われた。


「いま、緊急事態だ」
こんなになるまでなぜ誰も防げなかった!!

「手伝ってくれ」
当たり前だ!! なぜもっと早く連絡しない!!

この時は、すでに日が暮れて夜になっていた。
私は、すぐに車で出掛けることにした。

自然災害による被害がなるべく少なくなるように、
仕事をしている者たちが、この国にはたくさんいる。
人として生きながら働いている者も多い。
それぞれの地方に、それぞれ腕の利く連中がいる。

何らかの災害により、大勢の人間が死傷した場合は、
防ぐ側からすれば、それは失態というしかない。
しかし大災害を防ぐのは、時には不可能に近い。

今回の寒波襲来ほど、ものの見事に、
防ぐ側がなんら対策を講じることもできないまま、
ふと気付いたら日本列島全体が...という事態は珍しい。

おそらく、防御する陣営を丸ごと手玉に取るような、
そんな決定的な仕掛けがなされたに違いない。


「ここ数日の、気象の過去を操作した者がいるな?」
私は、車に飛び乗りながらカゲに話しかけた。

「そのようです」
カゲはおそらくそう答えただろうが、
急いでいた私にはもはや聞こえなかった。



氷河期(3)

2006-11-15 14:15:22 | Weblog


私は急いで車を運転しながら、
携帯電話でネットにアクセスし、ある掲示板を開いた。
連絡をするためである。

「仕事だ、手伝え」

私はその掲示板に、たったこれだけ記した。
名無しの相手に対して、名無しでの書き込みだ。
仕事の詳細については勝手に調べるだろう、と思った。
師匠が私に、いつも簡単な連絡しかしない理由が、
私にもなんとなくわかる。面倒なのだ。

脳内でメッセージを交わすのに比べて、
ネットで連絡する方が、はるかに確実だ。
思念のやりとりだと、
その時々の調子や、感情的な状態や、
外部からの妨害などの影響を受けやすい。
その点、ネットは確実に文字になる。

私には、ネットを介した仕事の知人が、
十人以上いる。
いずれも、油断のならない曲者ばかりだが。


おそらく、人知れず異能を持った、
この国の裏家業の人間たちには、
総動員体制といっていいほどの規模で、
緊急連絡が出回っているはずだった。
使える者は全員使う、いや、使うべき事態だった。

いま、この国に、
このような事態で仕事をする者がどれくらいいるのか、
それも生身の人として生活しながらの人員の総数について、
私の知る限りでは、
だいたい、千人程度いるようだ。
関東だけでも、きっと数百人はいるだろう。


私は、首都高速に乗った。
霊的な防壁を張るつもりだった。

私「関東以外は...」
カゲ「......」
私「もう間に合わない」
カゲ「......」

気象衛星画像を見る限り、そうとしか思えなかった。

カゲ「敵の真の目標を...」
私「......」
カゲ「くれぐれも見誤らないで下さい」
私「......」

カゲのいっていることの意味が、私には理解できた。

私「わかってる」
カゲ「......」
私「敵の主攻目標は、東京だ」
カゲ「......」

おそらくは、他の地域の寒波襲来は囮であって、
最も強力に攻め落としたいのは、東京のはずだった。
より多くの人命を贄として得るのならば、
きっとそうだろう。


私「防ぎきれない最悪の事態での...」
カゲ「......」
私「首都圏における最大死者数の予想は出せるか?」
カゲ「......」

その次の瞬間、私は自分の背筋が凍るのがわかった。
カゲが、数千でも数万でも数十万でもなく、
数百万人と答えたからだ。



氷河期(4)

2006-11-15 14:11:39 | Weblog


私は首都高速を走りながら指示を出した。

私「他の地方はその地域の者に任せ...」
カゲ「......」
私「こちらは首都圏に集中する」
カゲ「......」
私「予備の軍を全て首都圏に配置」
カゲ「......」
私「予備の龍群を二分し、この車の前方と周辺を警護」
カゲ「......」
私「本田、青山、石橋、佐藤、泉屋、加藤、野田...」
カゲ「......」
私「川崎、丹羽、西村、星野、淡口、以上を用意」
カゲ「......」
私「首都圏での新たな過去操作を阻ませろ」
カゲ「はい」

過去が操作されて塗りかえられるかどうかは、
簡単にいうと、
変えようとする力と、変えさせまいとする力の、
力関係で決まる。

私は大抵、過去を塗りかえさせない側にいる。


この世で人として生きる者が、
異世界を介して過去を操作しようとする際、
決して破ることのできないルールがある。

自分がすでに既成事実として知っていることは、
絶対に変えられない。

例えば、戦っている敵である人間を、
最初から生まれなかったことにしたいとか、
幼少時に事故死したことにしたいとか、
そういう形で消そうと思っても、
自分がこの世の人間として意識があるなら、不可能だ。
どんなに強い異能をもっていたとしても。

なぜなら、
その敵である人間が現在まで生存していることを、
既成事実として認識してしまっているからだ。

肉を持たない者であれば、
そういう敵の消し方も可能かもしれないが、
当然、そうさせまいとする守備力の抵抗にあうだろう。


過去を塗りかえようとする時空操作戦は、
きれいに勝負がつくことは、ほとんどない。

ものの見事に狙い通りの結果を出すことなど、
よほど際だった名人でないとできない。

それだけに、
今回の日本列島全体を寒波に覆わせた時空使いは、
相当なレベルの者と思われた。
最も防御の固い関東だけ、やりそこねたようだが...


私「敵はどこの誰だ?」
カゲ「......」
私「まだわからないのか?」
カゲ「はい」

正体を隠蔽するのがうまいのかもしれない。
姿を被覆や偽装で隠すのも得意と考えるべきだろう。

私「ただの寒波ではないのだろう?」
カゲ「......」
私「攻め手が来てるのではないか?」
カゲ「......」
私「こちらの軍を攻めてくる相手の...」
カゲ「......」
私「情報をできるだけ集めろ」
カゲ「はい」

これから戦えば、
おそらく敵方の素性は判明するはずだ。

私「これから東京に防壁を張り直す」
カゲ「......」
私「ほかの防御者たちの張る防壁と...」
カゲ「......」
私「バッティングしないように調整してくれ」
カゲ「はい」


平素、自然災害による被害が最小限になるように、
防御する仕事をしている者は、
それぞれ自分のやり方で、それを行っている。

神道、密教、陰陽道などの関係者であれば、
それらの伝統的な術式によって行うだろうし、
どの宗教宗派や術派にも属さない者であるなら、
ほとんど我流のはずである。

ちなみに私は、完全無所属の完全我流である。
実生活において誰にも教わっていない。
肉を持たない見えない師匠を師匠と呼ぶのは、そのためだ。
実際ほかには、師といえる者が全然いないのだ。

防御者たちは、基本的にお互いを知らない。
通常は横の繋がりなど、ない...に等しい。
多くの者は、仕える神仏から命じられたと認識している。

起こりそうだった地震が回避された時など、
とある掲示板などでは、
自分が止めた、と自慢げに語る者がいつも複数現れる。
他の防御者の存在さえ知らないためだ。

それほど、横の繋がりがないのだといえる。
みんな孤独な存在だ。


この国には、
宗教関係者の防御者が、伝統的に多かった。
しかし、彼らをもってしても、
約80年周期の大地震はずっと防げなかったし、
戦争も防げなかった。

1980年代の終わり頃から、
どの宗教や術派にも属さない異能者たちが、
この国に、にわかに増え出したそうだ。

1990年代、そして2000年を越えてからも、
それら無所属かつ我流の仕事師たちは、
次々と現れ続けた。

現れた?
いや、表立っては現れてはいない。
それらの存在を知る者はほとんど皆無に近いから。
みんなただのサラリーマンだったり、
本屋だったり、シェフだったり、風俗嬢だったりする。


そろそろ来るはずの大地震が、
およそ80年おきに南関東を壊滅させるはずの大地震が、
なかなか起こらず首都圏がいまだ安泰なのを、
不思議に感じたことはないだろうか?

東アジア近隣で軍事的緊張が高まっても、
それでも戦争が勃発しそうでしない状況を、
不思議に感じたことはないだろうか?

こんな大きな台風が首都圏を直撃したら、
どれだけの被害が出るのかというほどの台風が、
都合良く曲がって逸れていくのを、
不思議に感じたことはないだろうか?

いや、別に不思議に感じる必要はない。
まったくその必要はない。


私は車で首都高速に上がってから、
まずはいわゆるC1をぐるりと一周し、
湾岸線やC2を通って、またC1に戻り、
これを何回も一晩中繰り返した。
そしてC2から外環道へ回り、高速を降りて環八を走った。

つまり、東京の中心部を、
渦巻き状にグルグルと回った形になる。

夜が明けた。徹夜だった。
車内で私が具体的に何をしていたかは省略する。
話すと長くなるので。

ただ、これだけはいえる。
ぐったりと、ものすごく疲れた。


翌日の衛星気象画像は、
まるでマンガなどのフィクションのワンシーンのような、
奇妙この上ないものだった。

日本列島全体が冬の雪雲に覆われているのに、
首都圏だけが、小さな円形状にスポンと抜けており、
かろうじて太陽を浴びることができていた。

この日この気象画像を目にして、
不思議に感じた人は、はたしてどれだけいただろうか?
いや、
別に不思議に感じる必要はまったくないのだが。



氷河期(5)

2006-11-15 14:08:24 | Weblog


「クトゥルー??」
私はなかば呆れ顔で聞き直した。

「おかしなこといってないで調べ直せ」
私はカゲに再調査を命じた。


私はあの晩から、さらに一週間ほど連続して、
東京の中心部に防壁を張り続けた。

その間、北陸のある県では、
寒波と積雪によって大きな停電があったし、
東北のある県では、
突風による列車の脱線事故があった。

大停電はものの二日で復旧し、
凍死や餓死などの被害は避けられた。
脱線事故の方は、
驚くほど少ない被害者数にとどまった。

私「あのあたりには...」
カゲ「......」
私「どう考えてもスゴ腕がいるな」
カゲ「......」

今回大停電があった県は、
数年前の大地震のときも驚くほど死者数が少なく、
しかも走行中の新幹線が脱線したのにもかかわらず、
ひとりの死者も出さなかった地域だ。
ガケの中に埋まった自家用車から、
生存していた子供が奇跡的に救出されたのも驚きだった。


今回、北陸や東北だけではなく、
関西や中部なども例年では想定しにくいほどの、
寒波や積雪に見舞われていた。
日本列島の大部分が大寒波に襲われていた。
首都圏は、無事だった。

もし、首都圏で大寒波と大雪による、
大規模停電と交通網遮断と物流途絶が生じていたら、
その状態で一週間以上も氷点下に曝されていたら、
いったいどうなっていただろうか...

そして、
記録的な寒波は、日本だけではなかった。
ロシア、ウクライナ、北欧などユーラシア北側のみならず、
この年末は、
欧州全域、北米、そしてインドまでも歴史的厳冬となった。
世界中で多数の凍死者が生じることになるのである。


私「クトゥルー??」
カゲ「......」
私「あれは作り話だろう?」
カゲ「......」
私「からかってる場合じゃないぞ」
カゲ「......」

再調査を命じられたカゲが、再度同じ報告をした。
私はすぐには信じなかった。

だって、当然だ。
クトゥルー神話など、
作家たちの手によるただの架空の創作神話にすぎない。


クトゥルー神話...
20世紀前半にラブクラフトによって小説として創始され、
その後ダーレスによって整理された架空の神話体系である。

太古に地球を支配していた異形の旧支配者たちが、
現在は地上から姿を消しているが、
やがて現代に蘇るかもしれない...
というコンセプトが基本となっている。


私「ああ、そうか」
カゲ「......」
私「例のインスピ・リークか」
カゲ「......」

インスピ・リーク...
私の造語である。

この世の人間が、ある時ふいに、
直感的になにかをひらめいたりイメージが湧く時、
そのインスピレーションの内容は、
なんと、異界の住人に吹き込まれた場合が多い。

ときに先祖が危険を教えてくれるケースもあるし、
自分が死んだことを肉親に知らせるケースもありうる。
重要な科学的発見のヒントを学者が授かったり、
独創的なモチーフを小説家や漫画家が受けることもある。

断言しよう。
インスピレーションというものは、
ひらめいた人間が完全に独力で直感することは、
驚くほど少ない。

直感力のある人というのは、
実は、受信能力の秀でた人ということだ。


そして、
異世界での出来事や、異世界の住人の存在を、
小説家などのこの世の創作者が、
インスピレーションをきっかけにして表現することがある。
これを、
私はインスピ・リークと呼んでいる。

小説家が現実離れした創作小説として書いたものは、
あくまで架空のフィクションであり、
それを読んだ人は誰もが、
それらを決して現実ではない物語として楽しむ。

しかし、
多くの人の記憶の中にずっと残り続け、
何世代にもわたって記憶されていくことには、
リークした側の異世界の者には大きな意味がある。
ある種のアピールとなるからだ。


例をあげる。
誰もが知っているあの「西遊記」である。
三蔵法師がありがたいお経を求めて、
中国からインドに長い旅に出る。

その三蔵法師を、
半人半獣の猿と豚とカッパがお供をして、
さまざまな異形の化け物の攻撃を退けながら、
旅を続けていく。

三蔵法師は玄奘三蔵という実在した人物だ。
しかし史実では、彼はたった一人で旅を往復した。
彼の回りには孫悟空も猪八戒も沙悟浄もいなかった。
あたりまえの話だが、
半人半獣の猿や豚やカッパなど実在するはずがない。

しかし、
異世界的には、どうも西遊記は史実らしい。
三蔵を、不可視の守護者たちがガードしつつ、
行く先々で奇怪な妖怪たちを撃退していった...そうだ。

「西遊記」は玄奘三蔵の死後、
およそ千年ほど経過したあとに、
中国のある作家が小説として書いたといわれる。
「西遊記」はなんと、約500年かけて世界中に広まり、
現在では、洋の東西を問わず老若男女に人気がある。

あと数千年くらいしたら、
いつ誰が書いたということは忘れ去られ、
「西遊記」のストーリーだけが世に残るかもしれない。
そうなったらもはや、
これはひとつの神話といえるだろう。


インスピ・リークの実態としては、
いくつかのパターンがある。

ある異世界の者が、表現力の優れた人間に、
書かせたいことを吹き込んでイメージさせるパターン...
異世界の者が、自分の関係者を人として転生させて、
インスピレーションを授けて書かせるパターン...
そしてさらには、
異世界における物語の主役本人が、
人間として転生して記憶を蘇らせながら書くパターン...
などがあげられる。


さて、問題はクトゥルーである。

仮にカゲたちの調査が間違っていないとするなら、
クトゥルー神話の面々は異世界に確かに存在し、
彼らは太古の昔、この星の管理者たちだったことになる。

今回、彼らは寒波と降雪で攻めてきた。
極めて短絡的に推察するならば、
彼らは地球が寒波と雪原で覆われていた時代の、
旧支配者、つまり旧管理者であろう。

氷河期時代の旧管理者たちということだ。

彼らがもし、これから本格的に復活し、
再びこの星における覇権を狙うのであれば、
それは、
地球が氷河期に再突入することを意味するはずだ。



氷河期(6)

2006-11-15 14:05:21 | Weblog


私はネットでクトゥルー神話のことを、
ごくおおざっぱに調べた。
正直いってほとんど知らないからだ。

万物の王、知の支配者、水の精、風の精、
地の精、時空の超越者、深き者ども...

今回初めて耳にする固有名詞が多く、
発音しずらくてとても覚えられない。
それに、
詳細はよくわからないが、いろいろ揃っている。

気になるものがあった。
時空の超越者...


私「こいつか?」
カゲ「......」
私「気象の過去をいじったのはこいつか?」
カゲ「......」
私「もしや、人じゃないのか?」
カゲ「......」
私「こいつは肉を持って人として生きてないか?」
カゲ「......」

古い勢力が復活して実権を取り戻そうとする場合、
だいたいは、
主力の誰かをこっそりと人間として生まれさせ、
先行して蘇らせておくことが多い。

その際、先兵として送り込まれたその人間は、
成長期に記憶を思い出すこともあれば、
成人してから思い出すこともあるし、
一生思い出さないこともある。

あらかじめ与えられた霊的な役割は、
はっきりと意識して行うこともあれば、
記憶を取り戻さないまま無意識に行うこともある。
または、自分の意志で、
元々の役割を放棄したり変更したりすることも...


私は待っていた。
この時まで待っていた。

気象の過去操作をしたであろう誰かが、
どういう系統のどういう相手なのか、
ほんの少しでもいいので見当がつくのを、
私はこの一週間、ずっと待っていた。

時空操作で過去を塗り変えた場合、
決して避けられない、ひとつのデメリットがある。

履歴が残るのである。

履歴とは何なのか、どこに残るのか、
それらはここでは言及しない。
とにかく過去を操作すると必ず履歴が残ってしまうのだ。

時空戦で優位に立てるかどうかは、
ひとつのポイントとしては、
履歴の検索能力がどれだけあるか、ということだ。


私「列島全域の寒波について...」
カゲ「......」
私「過去を操作した者の履歴を...」
カゲ「......」

私は一呼吸おいた。
高ぶった気持ちを落ち着かせるためだ。

「これから早急に検索しろ」
私は努めて平静を保ちながらいった。

「もう検索は済んでます」
カゲは私に即答した。



氷河期(7)

2006-11-15 14:02:21 | Weblog


私「さて、誰をどう使うかな」
カゲ「......」
私「......」
カゲ「......」
私「なんかいいたそうだな」
カゲ「......」
私「......」
カゲ「たまには自分でやったらどうです?」

カゲは、時に私の心臓をえぐるような、
そんな厳しいことをいう。

私「私が? 自分で?」
カゲ「そうです」
私「......」
カゲ「ずっとやらないと忘れますよ」

それはその通りだ。
そういえばもう半年近く自分ではやっていない。
ずっと、カゲたちを使ってばかりだ。


最後に私が自ら手を汚したのは、
たしかブッチを仕留めたときだ。
ブッチを葬ってから私は仕事がイヤになった。
一時的に引退してしまった原因のひとつでもある。

ブッチとは、
私が一年以上かけて何度も争った、
かつて私の最大のライバルだった男だ。
彼はこの世に、肉持ちとして生きていた。
不撓不屈の巨漢の大男だった。
彼は何度私に敗れても、繰り返し挑んできた。
どれほど傷付いても決して諦めなかった。
そして最後には、彼は脳出血で死んだ。

その最後のとき、
私はカゲたちに任せきりにはせず、
自ら陣頭に立って動いていた。

帰ってこい!!
どんなに呼んでも、彼は二度と帰ってはこなかった。
戻ってもう一回やろう!!
私がどう叫んでも、彼は二度と戻ることはなかった。


私「わかった」
カゲ「......」
私「今回は私もやる」
カゲ「......」
私「ちょっとだけな」
カゲ「......」

今回の相手は、
ほぼ間違いなく数万を超える配下が周辺にいるだろう。
いや、数万では過小評価になるかもしれない。
私が使うカゲたちのような存在が、
相手にも無数にいるはずと考えるべきだ。

私はカゲたちに陽動を任せて、
その間隙を突いて自分で動くことにした。

陽動を受け持つグループには、
核となる者が必要だ。
簡単には倒されることのない、強い者でないといけない。


「十兵衛を呼べ」
あの、柳生十兵衛を、ぜひ想像してもらいたい。

十兵衛は五本指の中のエースである。
そして同時に、
私のカゲたち全体の中でのエースでもある。



氷河期(8)

2006-11-15 14:00:09 | Weblog


私はさっそく仕掛けることにした。

私「標的を正確に捕捉、見失うな」
カゲ「......」
私「まず対防オーロラをかけとけ」
カゲ「......」

対防オーロラとは、
標的の上空にオーロラを出現させるのだが、
これを標的が見てしまうと、
よほど強力でない限り標的の防御が無効化される、
というものだ。

何重にも防御を張りめぐらせているであろう相手には、
あらかじめ対防オーロラをかけることがある。
しかし、使わないことの方が多い。
一枚一枚薄皮を剥ぐように敵の防御を破っていく方が、
やり方としては私はずっと好きだ。


私「アルティメット・サンを発動」
カゲ「......」

オーロラの次は灼熱の太陽である。
これは単純に目くらましだ。必ず別の手を同時に使う。

私「MBB一万発を連弾」
カゲ「......」

MBBとは、マイクロ・ブラックホール・ボムの略である。
読んで字のごとくだ。
要するにただの小型ブラックホール爆弾である。

私「四方と上下からステルス軍を進めろ」
カゲ「......」

ステルス軍とは、全兵器全兵が透明化されており、
相手からは認識されにくい。

私「忍軍を敵陣内部にテレポートで送り撹乱させろ」
カゲ「......」

後方撹乱や敵陣内工作に、しばしば忍者部隊を使う。

「十兵衛、正面からゆっくりいけ」
私は、十兵衛に指示を出した。

「目立っていい、注意を引きつけろ」
十兵衛には絶対の信頼を私は置いている。
彼はこの数年間、それだけのことをしてきた。


私はたまに、十兵衛を生み出したときの事情を、
昨日のことのように思い出す。

数年前の9月初め、
ネットのある掲示板のあるスレッドで、
興味深い人物がいた。女性だった。
彼女は、地の底の龍と話ができるといっていた。

彼女が会話できる地の龍、つまり地龍は、
南関東の地下にたまっている地震のエネルギーを、
たくさんいる彼ら地龍の一族のみんなで、
東北沿岸や千葉・茨城沖に流していると語っていたそうだ。
それで南関東の大地震を可能な限り防ごうとしていると。

そして、その女性がいうには、
彼女に話しかけている地龍にはある悩みがあって、
その解決法を探している、とのことだった。


その悩みとは、
東京中心部の西側にたまっている地震エネルギーを、
東京よりもずっと西に運びたいのだが、
西の方には富士山があり東海地方があり、
飛ばすなら名古屋付近になってしまうと。

東京を守るために名古屋を犠牲にする訳にもいかず、
それで地龍とその一族は深刻に悩んでいる、とのことだ。
女性は地龍の悩みをそのまま文字にして、
その掲示板のそのスレッドに書いていた。

私はレスを入れた。
「とりあえず西に飛ばして山か海に弾くしかないだろう」
別の誰かがすかさずレスをした。
「お山はいま手一杯です、山以外にお願いします」
おそらくこれは山の関係者だったのだろうか。
浅間山噴火もあったし、富士山も不気味な時期だった。
私は再度レスを入れた。
「じゃあ海だ、名古屋に飛ばして海に弾くしかない」


私はこの直後、深夜から夜明け前にかけて、
十兵衛を生み出し、そして命じた。

私が今までに生んだどのカゲよりも強くあれ、
どんな者が相手でも決して負けるな、
私が命じた仕事は必ず成功させろ、
以上のことのためにお前は私の肉体を賭けていい、
私がこの肉をもって生きている限り、
決してお前は死なないし負けない、
お前が負けて死ぬときは私の肉が滅んで私が死ぬときだ...

私は十兵衛にさらに命じた。
これからすぐに名古屋にいけ、
そして地龍たちが東京から西に流した地震波を海に弾け、
東京も名古屋も両方とも壊滅させない、
決して失敗してはならない...

私は地龍に使者のカゲを出し、
その上でさらに、私は夜明けにレスを文字で明記した。
「こちらは準備完了、いつでもOK、今月中に希望」

まさにその日の夕方から、
伊勢湾の南、紀伊半島の東の沖で、
M7クラスの地震の激しい連発が始まった。
それは何ヶ月も続いた。


9月の中旬、
私は胃痛を少し感じ、そして黒色便が出た。
私のカゲに何らかのダメージがあると、
それは私の肉体に返ってくる。
私は市販の胃薬を服用し毎日牛乳を多く飲み、
そして祈った。

負けるな! 私も負けないから!

私と女性と山の係のネット上のやり取りは、
いまもネットのどこかに過去ログが確実に残っている。
私は特に探し出して読もうとは思わない。
しかし、ごくたまに思い出す。とても懐かしい。
十兵衛誕生のエピソードだからだ。


話を戻す。
クトゥルー族が相手の話だ。

私は念には念を入れるタイプだ。
日常生活はとてもいい加減だが、仕事になると別人になる。
十兵衛にサポートを数人つけることにした。

私「図書館から、少佐と東郷と空海を呼び戻せ」
カゲ「......」

少佐は近接戦闘とハッキングが得意であり、
東郷は遠距離狙撃に長けており、
空海は防御破りの専門家だ。


図書館...
時空操作の履歴を調べることのできる場所である。
いや、場所という表現は適切ではないかもしれない。
いいにくいのだが、つまりはそういうところだ。

図書館には、過去や現在や未来の、
さまざまな記録がある。膨大な情報量だ。
人間の頭脳では、
ここに蓄えられている情報量を消化することは不可能だ。
私も当然不可能だ。私は人間にすぎないので。

実は私は、
自分のカゲたちの主力のほとんどを、
この図書館に送っている。


「少佐、東郷、空海、三人で十兵衛を支援しろ」
私はこの四人だけでも何とかなるだろうと思いながら、
今回は自分も参加しようと決めていた。

「孔明、私が出ている間、指揮を任せる」
私の側近にはガードチームのほかに、
参謀スタッフのような連中が数人いる。
彼らは政略参謀、戦略参謀、戦術参謀に大別できる。
孔明、アウグストゥス、マキャベリ、子房、ハンニバル、
クラウゼヴィッツ、孫子、半兵衛、マンシュタイン...

孔明とは、私のカゲたち全体の統括責任者だ。
私が普段やり取りをしてるのは、この孔明である。

「じゃあ、任せたから」
私はおよそ半年ぶりに出かけることにした。
引退前でさえ年に数回しか直接自分では動かなかった。
うまくいくだろうか...



氷河期(9)

2006-11-15 00:33:03 | Weblog


このとき私は自宅にいた。
部屋の照明を落として薄明かりにした。
テレビもついてないし音楽も鳴っていない。
ソファーに体をまかせて両目を閉じた。

できるだけ全身の力を抜きリラックスする。
よけいなことを一切考えない。
ゆっくりと落ち着いて呼吸をする。

閉じたまぶたの裏側で、
視覚に頼らず脳内で見える広がりがある。
暗く静かで穏やかな空間。

遠くの正面の一点に小さな光が見える。
その光点が急速にこちらに接近し、大きな光になる。
目の前いっぱいが一転して明るすぎる世界に変わる。
このとき、私の意識は覚醒したまま睡眠に一歩近づく。

フッと、一瞬で再び静穏な暗黒に戻る。
また遠くから光点が近づいて眩いばかりに白くなる。
再び、私の意識は睡眠にまた一歩近づく。
しかしそれでも眠らずに起きている。

これを何度も繰り返す。
意識がどんどんと沈んでいくのがわかる。
繰り返すうちに、
それ以上意識が沈めないところまで到達する。
そこは、半眠半覚の不可思議な意識がただよう世界。


すべてが真白いところから、
目標とする相手を強く意識してみる。
真白い中から、別の情景が現れる。
どこだろう、何かの建物の廊下が見える。
そこに誰かがポツンと立っている。

それはきっと、
私の目指すターゲットのはずである。

最初はすごくボンヤリしていてはっきり見えない。
徐々にいろいろと見えてくる。
そしてそのうち、細部まで見えるようになってくる。

よく見えないときはボンヤリしたままだが、
よく見えるときは、
目覚めて肉眼で見るよりも細かく見える。
気味が悪いくらいに。
今夜はそのどちらでもない。その中間のような感じだ。


私は、自分自身のことを、
この手の裏家業の人間たちの中では、
かなり異色のタイプではないかと感じている。
私は基本的には「見えない人」なのだ。

私は生まれてこのかた見えるはずのないものを見たことは、
まったくない。
恐ろしく当たり前のことをいっているが、
そうとしか表現できない。

同業の人間にはいろいろと余計な何かが見える者がいる。
しかし私は、
師匠やカゲたちとはコンタクトはかろうじてできるが、
彼らの姿でさえ見ることはできない。
ましてやほかの何かなど全然見ることはできない。

それと、
師匠やカゲたち以外の者との意思疎通は、
原則としてできない。

例外はある。
私のことを強烈に意識して何かを伝えようとする者からは、
その何かを感じることはできる。


私がいままで知ることのできた同業者たちは、
私からみると驚くばかりの能力を有する者が多かった。

例えば、
見えるはずのないものが何でも見える者、
聞こえるはずのないものが何でも聞こえる者、
自分の霊体を飛ばしたいところに飛ばして自由に見れる者、
覚醒意識のまま異世界の有り様を見ることのできる者、
半眠半覚の意識状態にしてあらゆる異世界を闊歩できる者、
いろいろなタイプがいた。

生き霊を自在に飛ばして私の自室をのぞき、
お前のパソコンにはワードのソフトが入ってないとか、
PCのキーの隙間のホコリが多いなどと笑う者がいた。
これはネット上で、
レスのやり取りをしながら文字にされるわけだが、
はっきりいってとても腹が立つ。
このような者には、トイレや風呂やそれ以外も覗かれる。


私見ではあるが、あくまで認知能力に限っていえば、
覚醒した意識のままで、
つまりこの物質世界に意識を置きながら同時に、
異世界での自分や周囲の状況を見聞きして知る者こそが、
最も高等な能力者といえるのではないだろうか。

わけのわからない妙な技術をもっていなくても、
すべての人間は、
寝てる間に異世界にいったり、
覚醒している間でも自分の霊体を飛ばしたりしている...
と思う。

その自覚がないのは、ただ、
それらの出来事を覚醒した意識で覚えていないだけだ。
この世とあの世との意識が連続していないだけ、
ともいえる。

この世での意識とあの世での意識を連続させ、
同時並行させる者こそが、
本来は、最も驚くべき認知能力者...ではないか。


私はこの裏家業に入ったのは、
成人してずっと経ってからだった。
かなり遅い方ではないだろうか。
能力的にもできることよりできないことの方がたぶん多い。

私は、師匠にさんざん霊体離脱を早く覚えろといわれ、
練習不足なのか素質不足なのか、
あるいは意欲不足なのかよくわからないが、
覚えろといわれた時期に覚えなかった。
結局いまだにしっかりとは会得できないでいる。
上記の半眠半覚はいわば不完全な霊体離脱もどきといえる。

それと私は、瞑想を一切しない。
しようと思ったことさえない。
これはかなり変わっているらしい。
能力開花のきっかけが瞑想であるという者が、
どうも多いようなのだが。

これはひとつには、私が、
現実世界において誰も師を持ったことがないことと、
どの宗教にも関わったことがないことが、
大きく関係している。

ほとんどの者は、僧に瞑想を教わったり、
先輩の黒魔術師に手ほどきを受けたり、
高名な成書を読みふけったり、
教会に通って敬虔にお祈りをしたり、
とにかく既存の宗派ないし術派の影響を受けている。

私にはそれらが皆無なのだ。


師匠は一時期、
私のことを、こいつはモノにならない...と、
サジを投げたことがあったらしい。
それで仕方なく別の方法を私に教えた。
自分の分身をコピーしてたくさん増やして使ってみろ、と。
それで私はコツコツと自分のカゲを生み出すことにした。

最初はひとり、もうひとり、
5~6人、10人くらい、
それが20人になり、数十人になり、百人を越えていった。

私は自分が生んだカゲに、
それぞれの部下を必要なだけ生む権限を与え、
カゲがカゲを生んでいった。

私のカゲたちは、いつしか無数の膨大な数になり、
私は特性や能力ごとに専門部局制を導入し、組織を作った。
そして、それらのシステムと化したカゲたちを、
状況に応じて運用する方法を覚えた。

私は異世界での戦いにおいて、
カゲたちに矢継ぎ早に指示を出しているが、
異世界における敵の姿など見えてないし、
こちらの攻撃も相手の攻撃も特に目の当たりにはできない。
ただ、
実戦経験の蓄積に裏付けされたカンのみに頼って、
カゲたちに指示を出しているにすぎない。

現在の私のスタイルは、
私が能力的に不完全で足りないものばかりだったからこそ、
その欠点を補うために、
苦肉の策として編み出されたものだ。


さらにいえば、
高い認知能力を有するものには、ある落とし穴があった。
他人に見えないものが見えるがゆえの落とし穴だった。

異世界を自在に見えるものは、
見えるがゆえに、見えたものを信じてしまう。
だが、
異世界というのは、この世よりはるかに、
見た目のウソや偽りにあふれたところであって、
見えるがゆえにかえって騙されることも多いのだ。

私は意識しては見えない分、
それを洞察や推察や分析や予測などで補った。
私の場合、これがむしろ幸いした。

見える相手には、こちらからウソを見せてだます、
これは何度も使えたし、今後も有効なはずである。
例えば敵に私が重傷を負っている姿を見せておいて、
その隙に私は別のところで別の目的を果たしたりする。

見える者は見える情報を元に判断して動き、
自分が見えていないところでの出来事に意識が向きにくい。
それに対して私は、
見えないところのあらゆる見えないことを洞察し、
より広い思考野をもって動く。

考えてみれば、この世あの世を問わず、
見えることよりも圧倒的に見えないことの方が多いのだ。
いつしか見える能力者に対し、
私は先手を打てるようになった。
認識の広さが違うからこそそれが可能となった。


このように、
私は見えないことを逆にアドバンテージに変えてしまった。
とても逆説的だ。

私のカゲが私にたまにいう。
「能力的に障害があったのによくぞここまで...」
はっきりいって余計なお世話である。


この場を借りていいたい。
ハンディキャップ、つまり、
何らかの能力的ないし機能的な障害を持つ人たち、
何らかの深刻な欠点に悩む人たち、
他人の長所をうらやみ自分の凡才を恨む人たち、
それらすべてのあらゆる人たちにいいたい。

あきらめるな!

やり方次第では必ずや短所は長所になりうる。
欠点を補う創意工夫でいつしか周囲を凌駕することもある。
発想を変えればマイナス要因はプラス要因に転化できる。
絶望は気持ちを切り替えれば希望になりうる。


本来なら私よりも能力特性が上であるはずの者たちが、
この数年間、次々と私に狩られていった。
山ほどの自称最強や自称最高を私は制した。
彼ら彼女らは、おごった時点で結果的には終わっていた。
おごりゆえに想定できなかった負け方をしていった。

反対に私は、
毎日毎夜自分には足りないものがあると常に考え、
いかに現状の自分から脱皮できるか、工夫を重ねた。
なんとも皮肉なことだ。

「なぜわかった!」
ある者は倒されるときにいった。
「お前にわかるはずがない!」
これも余計なお世話である。

私はこの裏家業では「座頭市」のようなものだ。
相手が私を盲人であると侮った時点で、
すでに私は一本取っている。


話の脱線が長くなった。

私はしばらくの間、
目標とする相手がしっかり見えるようになるのを待った。
その間、その建物のその廊下の情景の中で
私以外のすべてが動かなかった。
相手はピクリともせず、
周囲の誰かも微動だにしなかった。
廊下の窓の外の風景も動かない。

毎回そうだ。
私は意識を眠りの少し前に潜らせたときはいつも、
私以外のすべてが絶対に動かない。
そこでは、私ひとりに自由がある。

ここから私は、さらに自分の特性を思い出すことになる。
相手の体が透けて見え、
全身の内部の血管や神経がはっきりとわかる。
あらゆる臓器もあらわになっている。
もちろん、
脳の構造や脳の血管もすべて...
それこそ手を伸ばせば触れるくらいに...

私は右手にあるものを持っている。
それは一本のメスである。