広島・資本論を読む会ブログ

読む会だより22年10月用(10月16日開催予定)

「読む会」だより(22年10月用)文責IZ

(9月の議論)
9月の「読む会」は18日に開催されました。
チューターから補足として、篇別の理解のためとして下記の表が出されました。労働力の搾取の度合いを示す剰余価値率は、表のように労働日と必要労働時間によって規定されます。そのうち第3篇、とりわけその第8章では労働日の増加を要因とする絶対的剰余価値の生産について触れられ、第4篇では資本主義的生産の特徴とも言える必要労働時間の減少を要因とする相対的剰余価値の生産について触れられることになる、と説明しました。

 剰余価値率(労働力の搾取率)

=  (剰余労働時間)   /  (必要労働時間)

=(労働日-必要労働時間) /  (必要労働時間)
   ↓                 ↓
増加による絶対的剰余価値の生産 減少による相対的剰余価値の生産
(第3篇絶対的剰余価値の生産)(第4篇相対的剰余価値の生産)

これに対して、数字を入れて説明してほしいという質問が出ました。
チューターはたとえば1労働日が12時間でそのうち必要労働時間が6時間であると仮定すると、剰余労働時間は(12-6)で6時間ということになり、労働力の搾取率(剰余価値率)は6/6で100%ということになる。ここで労働日が14時間に2時間(元の12時間に対して約17%)延長されたとすると、剰余労働時間は6時間から8時間となり、搾取率は8/6で約133%と元に比べて33%ほど増加することになる。逆に12時間の労働日がたとえば法的に10時間に短縮される(2時間で約17%のマイナス)場合には──この場合にも必要労働時間は変わらないから──、剰余労働時間は6時間から4時間へと減少し、搾取率は4/6で約67%となり、元に比べて約33%減少するが、けっしてブルジョアジーの言うように剰余価値(利潤)がなくなるわけではない。
また、第4篇以降の話になるが、同様に1労働日が12時間でそのうち必要労働時間が6時間であったと仮定して、生産力の上昇によって必要労働時間が6時間から4時間へと2時間減少させることが可能となった場合を例にとって見ましょう。この場合には、12時間の労働日に変化はありませんから、剰余労働時間が6時間から8時間へと2時間(元の6時間に対して約33%)増加することになり、搾取率は8/4の200%と大きく増加することになります。等々と説明しました。

説明の(1)の部分については、「労働者の闘いは……労働時間による分配すなわち賃金による分配=賃金制度の廃止に向かって進んでゆかねばならない」とあるのは、マルクスの言葉か? という質問が出ました。賃金制度の廃止というのはマルクスも語っていますが、「労働時間による分配すなわち賃金による分配=賃金制度の廃止」というのはチューターの理解です。
同じく(1)の部分では、チューターは、最後の方の()のなかで「農耕主体の封建制では……」と触れたが、直接的生産者の人格的隷属や生産手段への包摂を特徴とする封建制において、搾取度を労働日と関係させるのは無理があって、よくないので削除してほしいと発言しました。
また直接説明とは関係しませんが、「マルクスは中国について何か語っていないか?」という質問が出ました。チューターは以前出てきた銀の輸出の問題以外には浮かばないので調べてみると答えましたが、今回は準備できませんでした。

(説明)第8章「労働日」の2回目、第3、4節について

(1.第3節「搾取の法的制限のないイギリスの諸産業部門」より)

・「これまでわれわれが労働日の延長への衝動、剰余労働に対する人狼的渇望を考察してきた領域は、イギリスのあるブルジョア経済学者の言うところでは、アメリカン・インディアンに対するスペイン人の残虐にも劣らない極度の無法のために資本がついに法的な取締りの鎖につながれることになった領域だった。そこで今度はわれわれの目を、労働力の搾取が今日なお無拘束であるか、またはつい昨日までまだ無拘束だったいくつかの生産部門に向けてみよう。」(全集版、P317)

・「スタンフォードシャの陶器製造業……。私の課題のためには、1860年と1863年の報告書から、搾取される子供たち自身のいくつかの証言を借りてくるだけで十分である。……
9歳のウィリアム・ウッドは「働き始めた時は7歳10か月だった。」彼は最初から「型を運んだ」(出来上がって型に入った品を乾燥室に運んではまた空の型を持って帰った)。彼は平日は毎日朝の6時に起きて、夜の9時ごろにやめる。「私は平日は毎日晩の9時まで働いている。例えば最近7-8週間はそうだ。」つまり、7歳の子供で15時間労働だ!……ハンリの開業医ブースロイド博士は次のように述べている。
「陶工はすべて前の世代より後の世代の方が短小で虚弱である。」
もう一人の医師マックビーン氏も次のように言っている。
「25年前に陶工たちの間で私が開業して以来、この階級の著しい退化が身長と体重との減少に次第にひどく現われてきている。」
…チャールズ・ピアソン氏は、……彼は陶工の病気の原因を数え上げて、最後に〔長時間労働〕をその頂点としている。」(同、P317~)

・「マッチ製造業は、1833年、リンを直接に軸木につけることの発明に始まる。それは1845年以来イングランドで急速に発達し、ロンドンの人口稠密な地区から、ことにまたマンチェスター、バーミンガム、リヴァプール、プリンストル、ノリジ、ニューカッスル、グラスゴーにも広がったが、それと一緒に、すでに1845年にウィーンの一医師がマッチ製造工に特有な病気として発見していた首けいれん症も広がった。労働者の半数は13歳未満の子供と18歳未満の少年である。この製造業はその不衛生と不快のために評判が悪くて、労働者階級のなかでも最も零落した部分や飢え死にしかかっている寡婦などがこの仕事に子供を、「ぼろを着た、飢え死にしそうな、かまい手のない、教育されない子供」を、引き渡すだけである。委員ホワイトが(1863年に)尋問した証人のうち、270人は18歳未満、50人は10歳未満、10人はたった8歳、5人はたった6歳だった。12時間から14時間か15時間にもなる労働日の変化、夜間労働、たいていはリン毒の充満した作業室そのもののなかでとられる不規則な食事。ダンテも、こんな工場では、彼の凄惨きわまる地獄の想像もこれには及ばないと思うであろう。」(同、P322)

・「壁紙工場では、粗雑な種類は機械で、精巧な種類は手で印刷される。最も忙しい月は、10月の始めと4月の末との間である。この期間中はこの労働は、しばしば、またほとんど中断なしに、午前6時から夜の10時かもっと深夜まで続く。……「この冬」(1862年)、「19人の少女のうち6人は、過労から来た病気で欠勤した。彼女たちに居眠りをさせないためには、怒鳴りつけなければならない。」……マンチェスターの一工場の業務担当社員スミス──「われわれ」(と彼が言うのは「われわれ」のために労働する彼の「人手」のこと)「は食事のための中断なしに労働する……」
……委員会報告書は素朴に次のように言っている。時間、すなわち他人の労働を取得する時間を失ない、またそれによって「利潤を失なう」いくつかの「有力会社」の心配は、13歳未満の子供や18歳未満の少年に12-16時間にわたって昼食を「とらせないでおく」ための、または、蒸気機関に石炭や水をやったり羊毛に石鹸をつけたり車輪に油をつけたりするように──生産過程そのもののあいだに単なる労働手段の補助材料として──彼らに昼食をあてがうための、「十分な理由」ではないのである。」(P322)

・「イギリスのどの産業部門を見ても、製パン業ほど──(近頃やっと始まったばかりの機械製パンは別として)──古風な、実に、ローマ帝政時代の詩人たちの作品から想像できるように古風な、前キリスト教的な生産様式を今日まで保持しているものは一つもない。しかし、資本は、前に述べたように、自分が征服する労働過程の技術的な性格にはさしあたりは無関心である。資本は労働過程をさしあたりは目の前にある通りの形で取り入れるのである。
信じられないほどのパンの不純製造、ことにロンドンでのそれが、「食料品の不純製造に関する」下院委員会(1855-1856年)とハッスル博士の著書『摘発された不純製品』とによってはじめて暴露された。……
ともあれ、委員会は公衆の目を自分の「日々のパン」に、したがってまた製パン業に、向けさせた。それと同時に、公の集会でも議会への請願でも、過度労働などについてのロンドンの製パン職人の叫びが響き渡った。その叫びがますます痛切になったので、すでにたびたび触れた1863年の委員会の一員でもあるH・S・トリメンヒーア氏が勅命調査委員に任命された。彼の報告は、証人の口述と相まって、公衆を、その心ではなくその胃袋を、かき乱した。聖書に通じているイギリス人のことだから、人間は、神の恩寵で選ばれた資本家や地主や冗職牧師でない限り、額に汗してそのパンを食うべき運命を背負わされているということは知っていたが、そのイギリス人も、人間は、毎日そのパンとして、ミョウバンや砂やその他結構な鉱物性成分は別としても、腫物の膿やクモの巣やアブラムシの死骸や腐ったドイツ酵母を混ぜ込んだいくらかの量の人間の汗を食わなければならないということは知らなかったのである。そこで、聖なる「自由商業」様には何のお構いもなく、それまで「自由」だった製パン業は国家の監督官の監視のもとに置かれて(1863年の議会会期末)、同じ法律によって、18歳未満の製パン職人には夜の9時から朝の5時までの労働時間は禁止された。この最後の条項は、われわれにこんなにも昔を思わせるこの営業部門での過度労働について、余すところなく物語るのである。……
パンの不純製造と、パンを定価より安く売る製パン業者部類の形成とは、イギリスでは18世紀の初め以来、この営業の同職組合的性格が崩れて名目上の製パン親方の背後に資本家が製粉業者や麦粉問屋の姿で立ち現れてから、発達した。それとともに、資本主義的生産のための、労働日の無制限な延長や夜間労働のための、基礎が置かれた。といっても、夜間労働はロンドンにおいてさえ1824年に初めて本式に足場を固めたのであるが。……」(P323~)

・「……スコットランドでは、農業労働者が、酷烈きわまる風土のさなかで日曜の4時間の追加労働(この安息日のやかましい国で!)を伴う彼の13時間から14時間の労働を訴えており、同時に他方ではロンドンの大陪審の前に3人の鉄道労働者が、すなわち1人の乗客車掌と1人の機関手と1人の信号手とが立っている。ある大きな鉄道事故が数百の乗客をあの世に輸送したのである。鉄道労働者の怠慢が事故の原因なのである。彼らは陪審員の前で口をそろえて次のように言っている。10年から12年前までは自分たちの労働は1日にたった8時間だった。それが最近の5、6年のあいだに14時間、18時間、20時間とねじ上げられ、そして遊覧列車季節のように旅行好きが特にひどく押し寄せるときには、休みなしに40-50時間続くことも多い。自分たちも普通の人間であって巨人ではない。ある一定の点で自分たちの労働力は利かなくなる。自分たちはマヒに襲われる。自分たちの頭は考えることをやめ、目は見ることをやめる。あくまで「尊敬に値するイギリスの陪審員」は、彼らを「殺人」のかどで陪審裁判に付するという評決と答申し、一つの穏やかな添付書のなかで次のようなつつましやかな願望を表明する。鉄道関係の大資本家諸氏は、どうか将来は、必要数の「労働力」の買い入れではもっと贅沢であり、代価を支払った労働力の搾取では「もっと節制的」か「もっと禁欲的」か「もっと倹約的」であってもらいたい、と。」(P329~)

・「殺された人々の霊がオデュッセウスのもとに押し掛けたよりももっと熱心にわれわれのところに押しかけてくる、そして腕に抱えた青書がなくても一目で過度労働の色が見て取れる、あらゆる年齢と男女両性の色とりどりの労働者群のなかから、われわれはさらに二人の人物を取り出してみよう。この二人がなしている著しい対照は、資本の前では万人が平等だということを示している。それは、婦人服製造女工と鍛冶工である。……
われわれの「白色奴隷は」、と自由貿易論者コブデン、ブライト両氏の機関紙『モーニング・スター』は叫んだ、「われわれの白色奴隷は、墓に入るまでこき使われ、疲れ果てて声もなく死んでいくのだ。……
「死ぬまで労働することは、婦人服製造女工の仕事場だけのことではなく、幾千の仕事場で、じつに商売繁盛している仕事場ならばどこでも、日常の事柄である。……鍛冶工を例にとって見よう。……その仕事は、ほとんど本能的ともいえる人間の一技能であって、それ自体としては非難するべきものではないが、それが、ただ労働の過重だけによって、この男を破壊するものになるのである。……誰かが彼を強制して、どれだけかより多く打たせ、どれだけかより多く歩かせ、1日にどれだけかより多く呼吸させ、全部を合計して彼の生命支出を毎日1/4ずつ増加させようとする。彼はやってみる。そして結果は、彼がある限られた期間に1/4たくさんの仕事をして、50歳ではなく37歳で死ぬということである。」」(P331)

多くの例を割愛しましたが、労働力の搾取が制限なしに行なわれる場合には、資本の無制限な増殖衝動は世界のどこにおいても労働者に長時間の過度労働を押しつけるほかはありません。最後の方にある「白色奴隷」の言葉に象徴されるように、資本主義は、資本と賃労働という、あるいはブルジョアジーとプロレタリアートとの二階級に収れんしていく、まったく新たな人々の関係として、封建的・地縁的な関係(や古代的・血縁的な関係)の解体の中から生まれたのです。
マルクスは第1章第4節で「商品生産者の一般的な社会的生産関係は、彼らの生産物を商品として、したがって価値として取り扱い、この物的な形態において彼らの私的労働を同等な人間労働として互いに関係させるということにある」と述べています。労働者も労働力商品の所有者として人格的自由を保持しますが、それはただ生産手段からすなわち生存手段からも“自由”になったことの盾の反面にすぎません。労働者が資本の価値増殖の手段である限り、資本主義は世界のどこでも同じような現象をもたらすし、また世界中の労働者にとって賃金奴隷制度の廃止という同じ闘いの目標をもたらすのです。


(2.第4節「昼間労働と夜間労働 交替制」より)

・「不変資本、労働手段は、価値増殖過程の立場から見れば、ただ<他人の>労働を吸収するために、そして労働の一滴ごとにそれ相当の量の剰余労働を吸収するために、存在するだけである。生産手段がそれをしない限り、その単なる存在は資本家にとって消極的な損失である。なぜならば、生産手段が休んでいるあいだはそれは無駄な資本前貸しを表わしているからであるが、この損失は、この中断によって作業の再開のための追加支出が必要になれば、積極的となる。自然日の限界を越えて夜間にまで食い込む労働日の延長は、ただ緩和剤として作用するだけであり、労働の生き血を求める吸血鬼の渇きをどうにか鎮めるだけである。だから、1日まる24時間の労働をわがものにするということこそ、資本主義的生産の内在的衝動なのである。@
しかし、同じ労働力が昼も夜も続けて搾取されるというようなことは、肉体的に不可能なので、この肉体的な障害を克服するためには、昼間食いつくされる労働力と夜間食いつくされる労働力との交替が必要になるのである。この交替にはいろいろな方法がありうるのであって、たとえば労働者全員の一部分がある週は日勤をし、次の週は夜勤をするというように配列されることもありうる。@
人の知るように、この交替制、この輪作制は、イギリスの綿工業の血気盛んな少壮期に優勢に行われたし、またことに現在もモスクワ県の紡績工場で盛んに行われている。この24時間生産過程は、今日もなお、大ブリテンの現在に至るまで「自由な」多くの産業部門に、ことにイングランドやウェールズやスコットランドの溶鉱炉や鍛冶工場やその他の金属工場に、制度として存在している。ここでは労働過程は、6つの仕事日の24時間の他に、多くの場合に日曜の24時間をも含んでいる。労働者は、男と女とから、男女の大人と子供とから、なっている。子供と少年との年齢は、8歳から(いくつかの場合には6歳から)18歳までのすべての中間層にわたっている。いくつかの部門では、少女や婦人も夜間に男の従業員と一緒に労働している。
夜間労働の一般的な有害な作用は別としても、生産過程のまる24時間にわたる中断のない継続は、名目労働日の限界を越えるための絶好の機会を与える。たとえば、すぐ前に述べた非常に緊張を必要とする産業部門では、各労働者にとって公認の労働日はたいてい12時間で、夜勤か日勤かである。しかし、この限界を越える過度労働は、多くの場合に、イギリスの公式の報告書の言葉で言えば、「本当に恐ろしい」ものがある。
「……9歳のジョージ・アリンズワースは次のように言っている。「私はこの前の金曜にここに来た。その翌日はわれわれは朝の3時から始めなければならなかった。だから、私は一晩中ここに残っていた。家まではここから5マイルある。革前掛けを敷き小さなジャケットをかけて床の上に寝た。その次の2日は朝6時にやってきた。実際! ここは暑いところだ! ここに来る前には、やはりまる1年間ある溶鉱炉で働いた。田舎の非常に大きな工場だった。やはり土曜の朝は3時に始まったが、家が近かったのでとにかく家に帰って寝ることだけはできた。ほかの日は朝6時に初めて晩の6時か7時に終わった。」(P335~)

・「そこで次に、この24時間制度を資本自身はどう考えるか、を聞くことにしよう。この制度の行き過ぎ、労働日の「残酷で信じられないほどの」延長にまでなるその乱用を、資本はもちろん黙って見逃す。資本はただ「正常な」形態にあるこの制度を語るだけである。……
……児童や少年の夜間労働の禁止……
言い換えれば、サンダソン会社は、成人男子の労賃の一部を、少年たちの夜間労働で支払う代わりに自分の財布から支払わなければならなくなるという訳である。サンダソン会社の利益はこれを機にいくらか落ちるであろう。そして、これこそは、なぜ少年たちは彼らの手仕事を昼間は覚えられないのかということについてのサンダソン会社のもっともな理由なのである。そのうえ、このことは、今後少年と取り替えられる大人に正規の夜間労働を負わせるであろうし、彼らはまたそれに耐えられないであろう。要するに、困難は非常に大きくて、これらの困難はおそらく夜間労働の全面的抑圧を招くことになるであろう。「鋼の生産そのものについていえば」と、E・F・サンダソンは言う、「それによって少しも違いは生じないであろうが、しかし!」しかし、サンダソン会社は、鋼を作るよりももっと多くのことをしなければならない。鋼鉄づくりは利得づくりの口実に過ぎない。溶鉱炉や圧延工場など、建物や機械や鉄や石炭などは、鋼に姿を変えるよりももっと多くのことをしなければならない。これらのものがそこにあるのは、剰余労働を吸収するためであり、そして、もちろん、12時間でよりも24時間での方が一層多く吸収する。これらのものは、じっさい、神と法とによって、ある数の職工の1日まる24時間にわたる労働時間に対する手形をサンダソン会社の与えるのであるが、ひとたびこれらのものの労働吸収機能が中断されれば、その資本性格を失い、したがってサンダソン会社にとっては純粋な損失になるのである。」(P340~)

冒頭にあるように、「不変資本、労働手段は、価値増殖過程の立場から見れば、ただ<他人の>労働を吸収するために、そして労働の一滴ごとにそれ相当の量の剰余労働を吸収するために、存在するだけ」です。そのために労働運動の初期にあっては、いわゆるラッダイト運動のように工場施設そのものの破壊を目指す運動なども起こりました。しかし、“物”としての労働手段は、労働のしたがってまた人間の生存のための客観的条件・手段でしかありません。問題は、直接的生産者である労働者からそれらが切り離されているために、それが“不変資本”として同時に、労働者の労働を吸収するための手段として利用されるという社会関係=階級関係にあるのです。労働者と生産手段との全面的な再結合は、生産手段の資本としての性格を失わせることで(すなわち単なる国有等々なのではなくて)、商品や貨幣といった“物”を媒介にすることのない意識的な社会的生産とそのもとでの真の人間性の発展を保証することでしょう。


最後に脚注に引用してある、少年の夜間労働の現状に対する児童労働調査委員会の報告書を紹介して今回は終わりとします。

・「『児童労働調査委員会。第4次報告書。1865年)……これに似たガラス製造業者諸氏の優しい心配、すなわち、子供たちの「規則的な食事」は不可能だ、というのは、そのために炉の放射熱の一定量が「純粋な損失」になったり「浪費」されることになるからだ、という心配に対して、調査委員ホワイトは、ユアやシーニアやまたドイツにいる彼らの貧弱な模倣者ロッシャーなどとはまったく違って、資本家たちが自分の貨幣の支出に際して行なう「節制」や「禁欲」や「倹約」や、また彼らのティムール・タメルラン的な人命「浪費」などに動かされることなく、次のように答えている。「正規の食事を保証することになれば今よりもいくらか余計に熱量が浪費されるかもしれないが、しかし、それも、ガラス工場に使われている発育盛りの子供が気持ちよく食事を摂取し消化する暇さえないということのためにいま王国に起きている生命力の浪費に比べれば、貨幣価値からみても、何でもないことである。」(……)しかも、これが「進歩の年」1865年のことなのだ! 揚げ降ろしや持ち運びのための力の支出は別としても、瓶やフリントガラスを製造している工場ではこんな子供がその作業の連続中には6時間で15マイルから20マイルも歩くのだ! しかも、労働はしばしば14時間から15時間も続く! このようなガラス工場の多くではモスクワの紡績工場でのように、6時間交替制が一般的である。「1週間の労働時間のうちで6時間というのが最も長く中断なしに続く休息時間であって、このうちから工場への往復や洗濯や着衣や食事の時間がとられるのであるが、これらはみな時間のかかることである。だから、実際にはごく短い休息時間しか残らない。娯楽や新鮮な空気をとるための時間は、睡眠を犠牲にするよりほかには、まったくないのであるが、こんなに暑い空気の中でこんなに骨の折れる仕事をする子供たちにとって睡眠は欠くことのできないものである。……短い睡眠さえも、夜は子供が自分自身を起こさなければならなかったり、昼は外の騒音に起こされたりすることによって、中断されるのである。」ホワイト氏は、1人の子供が36時間続けて労働した場合や、そのほかにも、12歳の少年が夜の2時まで激しく労働し、それから工場で朝の5時まで(3時間!)眠り、またもや昼の仕事を始める(!)ような場合を、いくつも挙げている。一般報告の作成者であるトリメンヒーアとタフネルは次のように言っている。「少年や少女や婦人が彼らの毎日または毎夜の勤務時間のうちに行なう労働の量は、作り話のようである。」(……)その間に、多分夜遅くのことであろうが、「まったく禁欲的な」ガラス資本は、ポートワインに酔っ払って、クラブから家へとよろめきながら、白痴のようにうなることであろう、「イギリス人が奴隷になってたまるか!」と。」(脚注103)

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