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少し涼しくなったら夕方にはツルバラの剪定を始めよう。身体を動かすと何となく、日常が戻った気がして元気が出る。先日の夜、本当に珍しく岡崎高校時代の先輩から電話が鰍チて来た。私が送った「暑中見舞い」の返事の代わりとか。「貴方は元気に旅行出来て良いねえ。羨ましいよ」と言う訳だ。聞けば先輩は、「前立腺がん」で、療養中とか。手術もできなくて「放射線治療を受けているとか。「その為小便などの尿意がしきりに起きるので、旅行など出来ないのだとか。先輩は私より2最年長の88歳、全く私がお手本としてきた先生で、3回廻り学年主任を勤めている。同じような悩みで、当時教頭だったT先生も旅行など不可能だとか。同年代に共に研鑽しあってきた教務主任のM先生とも最近は音信不通だとか。私が「脳梗塞」で入院したことを話すと「貴方でもねえ」と同情された。「お互い学年主任時代は楽しかったねえ」「ほかに何の望みも持たなかったよね。あんな楽しい時代はなかった」としみじみと語らった。
それで思い出した。昭和一桁世代は終焉に向かっているのだと言う事実を。私が副主任時代主任だったS先生は、ご家族の手で返信が来たし、私の学年主任時代を支えてくれた副主任のE先生は、もう長く療養生活に入っている。「杖がなくては出歩けません」と言う元同僚の返信もあった。私は入院当初鼻から酸素吸入チューブを入れられて驚いたが、不吉な予感もした。例の高名な落語家も酸素吸入チューブをつけて高座に上がっていたし、元校長だった人が、街中で車椅子に乗り酸素チューブをつけていたことに驚いたこともあったからだ。この人達の訃報を間もなく聞いた覚えが甦ってきたのだ。
幸い私の酸素吸入チューブは間もなく取り外されてほとホッとした。しかし、その前後に感じた「死の予感」は、未だに消えはしない。ここのところ、普通に食事が摂れ、睡眠も平常に戻りつつある。予後に気をつけつつ、身体を動かして、元の生活が出来るように、頑張りたいと願っている。