私の嘗ての教え子で我が家が類焼した際に色々お世話になった人がまだ若いのに亡くなられたと葬儀に参加した家内から聞いた。若いと言っても私の最初の教え子だったから既に80歳近くになっていただろう。最初の赴任高猿投農林高で3年生だった彼とは14歳違いだった。猿投農林高校時代は懐かしい。教え子たちとは年齢の近い事もあって親しむことが多かった。
我が家が類焼した際には、娘の家に身を寄せていた私に空いているからとアパートの1室を提供してくれた。且つ賃貸も大きくまけてくれたりした。資産家なのだ。しかしいくら資産家であっても命は斟酌しない。急に仰向けに倒れ、酷く背中を痛めて入院しそれが命取りになったとか。倒れるにも何か原因があっただろうと言う家内の話だ。身近な親しい人がなくなると言うのは、身につまされる。高齢になっている私には死が次第に近づいてきている実感がある。
死そのもので無くても身体全体の衰弱は間違いなく襲ってきている。記憶力の減退は物凄い。運動能力などもゼロに近くなってきた。歩行の困難さ、食事の速さ、農作業での力仕事も次第に難しくなっている。悔しく情けないが仕方がない。教え子の死は自分より若い人の事だけに堪えるのだ。