ぷやんぷやんの噛みどころ

世の中を私見で噛みまくりコメントしてみます

核について議論せよ

2006-10-16 23:35:17 | Weblog
まず最初に述べておくが、私は核武装には反対の立場だ。
被爆国だからと言うよりもNPT脱退により軌道に乗るまでの間、非常に国益に不利な面が出てくるからであるが。

だが、あえてこの問題を議題にしたのは、マスコミのあまりに悪意ある報道に腹が立ったからだ。
中川政調会長は「議論があっても良い」と発言はしたが「議論すべき」とは一言も言っていない。
にも関わらず、マスコミは「核武装」に言及したとばかりに書き立てている。事実をねじ曲げた報道をしている。公平性を要するはずのマスコミが、これで良いのか? あまりにおかしいのではないか? マスコミには公平な立場で発言せねばならないという意識が欠けていないか? 憲法で言論の自由は保障されているが、同時にその濫用も禁止されており、これは濫用になるのではないか?

本題に戻るが、すでに日本は「感情で」核反対を続けるのは無意味だろう。すでにその時代は終えた。全てに根拠が必要なのだ。
核という物が国益・国防にとって必要かどうかと言う視点に立って考える必要がある。
もし核が必要ないというのであれば、なぜ必要ないのか。
「被爆国だから」では理由にならない。「悲惨さを知っているから」というのであれば、「悲惨さを知っているからこそ核の正しい使い方を見せる必要がある」という言い方も出来る。
まず結論ありきではなく、核を持つことで何が国益になり、何がマイナスになるのか、それを論じることから始め、核を持たないのであればその視点から不必要であることを論拠する。必要ならばそれがどうして必要なのかを明らかにする。
結論を出す前の議論をしっかりするべきである、と言うことだ。つまり核保有国になることを議論するのではなく、その前段階の議論、つまり不要か必要かの論議を国益の視点から考えろ、と言うことだ。
その結果、核は不必要・非核三原則はそのまま維持すると言うことであれば、何ら問題はない。必要だと結論出たとしても、実際問題としてどう持つのか、そこからが問題になるのであり、その時初めて核保有国に対する議論になる。
これは政治をやるにおいて基本中の基本だ。結論ありきではない。動く国際情勢には常に議論をする必要があると言うことなのだ。

中川政調会長の発言は、まさにそこにある。私は別に彼の支持者ではないが、明らかに左に偏った発言が目立つマスコミには非常に腹が立つからこれを書いた。一部マスコミが日本の国益を無視し、売国奴と成り下がっている現況であることを感じることが多い昨今、国民がしっかりと見極める時期に来ていると思うのだがどうだろうか。

村山談話は日本の国際感覚正常化の障害でしかない

2006-10-11 23:23:00 | Weblog
安倍首相も村山談話を踏襲すると公表した。
村山談話は言わずもがな、あの社会党(当時)の村山首相の戦争責任と謝罪に関する談話だ。

なぜあれを踏襲するのか?
そもそも、あれの対象となる中国も韓国も、国交を開く際に謝罪も賠償も済んでいる。
つまり、すでに済んだことをわざわさ日本が持ち出し、永遠に謝り続けているのだ。
あまりにおかしすぎることではないだろうか。
済んだことを言うことは無意味だ。
謝罪は一度やればいい。繰り返せば価値もなくなり真意も消える。

欧米列強を見てみれば解るが、どの国も植民地について謝ったことはない。
同時に、植民地も謝罪を要求することはない。
にも関わらずそれを要求し続ける中国と韓国。どれだけ世界で異質な存在か解るだろう。
それに過敏に反応し、謝罪し続ける日本も、中国韓国の属国と成り下がった国家でしかない。

韓国に至っては植民地とは言われるが、韓国の政治団体、一進会に求められて日本と併合し、生活水準を上げてやったのだ。
植民地どころか、当時先進国の「日本」に格上げしたのだ。
当時の朝鮮半島は世界最貧国。今で言えばバングラディシュやアフリカ諸国を日本にしたのと同じ。
そして日本はそこに国家財政の3分の1をつぎ込み続けた。日本人こそが朝鮮半島に搾取されたと言っても過言ではない。
それがどれだけの負担か、考えてみよう。
西ドイツは東ドイツと併合したことで急激に経済が悪化した。経済格差は約3分の1だった。
当時の日本と朝鮮半島は、それ以上の格差があった。にもかかわらず日本は先進国であり続けるため、必死の努力をした。その金を全て朝鮮半島につぎ込み、開発したのだ。
そのため国の維持には資源が必要になり、戦争につながっていった。

中国は日本に戦争を仕掛けてくるよう見事に仕組んだ。日本はまんまとそれに乗ってしまい、ずるずると日中戦争に巻き込まれた。侵略と言うが、挑発したのは中国だ。

謝る必要はないのに、日本は国交回復の際には謝罪と賠償を行った。
にも関わらず、村山談話を今でも継承しようと言うのか。
もう謝罪外交は終え、本当の独立国家として歩むべきだ。

国家として、国際社会に品格ある日本を示すためにも、村山談話は破棄しなければならない。
国際常識を持った国になるためにも、村山談話などにとらわれない、普通の常識を持たなければならない。