
可愛い🩷コーヒー豆の模様のがま口❤️




わぁ………💪💦

最近、雨や曇りが多いんですが,水曜日だけスコーンと晴れました☀️立派だわ富士山は。
私との結婚前から付き合っていた という彼女サンの存在が明らかになり、怒り狂って実家に帰るも,迎えに来られちゃ帰らぬわけには行かない。相変わらず母には愛想のいいヤツだった。
正直,それからしばらくは、その手で触るなと思ってたし,気持ち悪くてたまりませんでした。当たり前でしょう。
なんていうか、人の怒りは時間が解決すると思ってるんですかね。それも短時間で。話して,シュンとした態度を見せればそれで終わりと思ってんのかしら。
私は確かに一週間で東京には戻ったけど,それを"許された"と思ってる感がいっぱいでした。こう、人が受けた傷とか痛みに対して真面目に向き合おうと思ったら,たった一週間で"わーい🙌春がきた❤️"みたいなテンションには普通なるまいよ。
こいつ、ほんとに傷ついたことがない というか、自分以外の誰かのことを本気で愛したことはないんじゃないだろうか……人のことを本気で好きになったら、その人が傷つく姿なんて見たくないものでしょう。こいつはマジで汚泥です。
MAJI ODEーY👍
いや、明るく言いたくもなりますって。
時間は確かに,まぁ人によりけりだろうけど、あればあるほど怒りの炎を鎮火していくものだとは思う。0にはならないけどね。てゆーか、そうするしかなかったんだよなぁ。当たり前だけど,離婚するために結婚したわけではなく、さらに幸せになっていくために結婚したわけであって、問題があれこれ起こっても,お互いに許して支え合うっていう大前提があるものじゃないですか。それにね
[ワタシニモ ワルイトコロガ アッタカモシレナイシ]
これ、この言葉で自分の首を絞め続けていたんです。
結婚して4年目。私は、初めの子が男の子だったので,女の子も絶対に欲しいと思っていて,2人目の赤ちゃんができたとわかってすぐに、女の子の服を作り始めたりで、完全に女の子を産むつもりでいました。お腹もだいぶ大きくなってきたころに、A(元旦那)が転職をして,今よりもお給料の良い会社に入ることができました。この人ね,自分のためならめちゃくちゃストイックに頑張れる人なんです。その血は娘が受け継いでますが,自分のために努力するのが苦じゃないんでしょうね。。。正直、ここらへんはずっと尊敬してます。
で、Aの転職が決まった頃,義母が、家を買って資産?にする みたいなことを言い始めて,自分達の家のすぐ近くにあったほぼ新築の中古の戸建てを購入しました。他人に貸してもいいけどどうせなら住まない?と言われまして,住み始めました。
2Kのアパートから、一気に4DK 3階建ての一戸建て✨アパートに支払ってる家賃と同じでいいよ と言ってくださったので,それを支払いながら(当然借金も返しながら)住むことになりました。私は妊婦だったので、時間かけてゆっくり引越しすれば良いね、と、義実家もAも車を持ってなかったので(東京は車がなくても生きていけます)、うちの実家の車を一ヶ月ほど一時的に借りて。息子とAと3人,週末に最低限の引越しのお買い物を楽しんだり、せっかく🚗を借りたからと,結構お出かけもしたんですよね。
そして引っ越しも終わり,目と鼻の先に義実家があるので、義父母や義祖父母との交流もますます増えていき,この頃結婚した義妹とも一層仲良くなっていき,とっても幸せで楽しかった。ファミリー感半端なかったですね……
私,親戚付き合いとかほとんど経験したことがなかったので、"家族"って良いもんだな って思ってました。
そして、とある晩,みんなで義実家でご飯を食べてたとき、義妹がふと,"お兄ちゃんそういえば免許っていつ取り直したの?"と聞いた。
最近うちの実家の車を乗り回していたAだったけど,この言葉にテキトーに返していたAに、ほんのちょっと動揺が見られた のを、義妹が感知したようで。
私は息子と先に家に帰り(この時にはまったく何もわかってなかった)、義実家で家族会議が行われたらしい。
なんと
無免許運転
結婚してからたびたび借りていたうちの実家の車、ずっと無免許で運転してたんですってよ‼️しかも私や息子を乗せて‼️ほら、例の事故で免取りになったのよね(詳しくはRIKON 1)。
そして思い出したの。
引越しのために一時的に借りていた実家の車,近くの駐車場を借りたのだけど,一度アパートの前に停めっぱなしにしてしまったことがあってね、紙が貼ってあって,警察に行かなきゃならなくなったの。そのとき
"俺,点数少ないからこれで多分アウトになっちゃうから,代わりに行ってきてくれないか?"と言われまして。私のゴールド免許がパーになったことがつい最近あったわ、と思い出して。
無免許運転
犯罪者
そんな言葉が頭をグールグル🌀🌀🌀
またやられたぁぁぁ〜〜〜
続く
こないだは、私がA(元旦那)の裏の顔に気付いた瞬間の話をしましたね。
続きから書きます。
その時はね,なんだこいつは気持ち悪い と思ったのは確かなんだけど,そのことを聞いてみようとか責めようとかは思わなかったんですよね。
なんでだろうか、言い争うのが嫌だったのかもしれないし,勝手にカバンのメモを見たことで逆ギレされたら怖いなとか,思ったのかも。私,臆病者なので,争いごとが好きではないんですよね。
非常に弱虫でした。そして、私は自己肯定感もとっても低いので,それはなんで?と聞かれたら自分でもなんでなのかわからない、わかりそうでわからない、とにかく自分に自信がない女でした。……今もまだその傾向はある。
同じころ、まだ子供が小さくて,夜泣きも多かったので、うるさいからとAは隣の部屋で1人で寝るようになったので、密かに傷ついてもいました。でも、父親なんてそんなものなのかなとも思ったり。そう思うようにして気持ちをしまっていたのかもしれません。
結婚指輪もつけませんでしたね。別に料理人とか精密機器を扱うような仕事でもないただの営業マンですけど、何かと理由をつけて付けていませんでした。
そういう小さな積み重ねで、なんかこの人と一緒に過ごしにくいなと思い始めていましたが,まぁ休みの日には普通に家族サービスもしているし、相変わらず好きなアーティストのテレビや映画で一緒に盛り上がったりもするし,嫌なことはスルーして自分の胸の中にしまっておけばいいやって思っちゃってた。
そんなことしたって、ほんとは全然消えないのに。
ここまで書いて,なんで私はそこまで臆病で、相手の顔色を伺っていたのかわかりませんけど,東京には友達もいなかったし,周りにはまだ子育てしている友達もいなかったんで、割と孤独だったんですね。Aは毎晩帰りが遅いし,でも仕事してきてくれてると思うから、子供のことは自分でなんとかしなきゃって思っていたと思う。
でもね、私なりに、児童館に行ってよそのママさんと話してみたり,お散歩ついでに義祖父母の家に行って,子供の顔を見せるついでに義祖父母と話をしてるのは楽しかったです。
実はここに,今の私の仕事(介護士)のルーツがあります。義祖父母にとっても初曾孫だったので、とても可愛がってくださいました。ここで私は、義父母も義祖父母のことも大好きになって、その関係性があったから,離婚する日まで頑張れたところもある。小さな疑惑とか小さな歪みを感じても,味方がいるなって思えたから,たまにAの愚痴をこぼしたりもしてました。義祖母はいつもAを叱ってくれていたけど,Aにとって義祖父母はクリボーです。
1面の1番最初に出てきて,すぐ踏んづけられるクリボーです。
父母はノコノコといったくらいでしょうか。通り過ぎたらそれでOK。
親や祖父母に言われることに対して何にも何とも思ってない,それくらいAの心の中は真っ黒な汚泥でできていました。
そして、私には家にいて欲しい(借金だらけのくせに働かなくていいと言われてた)と言っていたのも,私が働き出せば,家のことや子供のことを自分が何割か担うことになるでしょ?それが嫌だったみたいです。あくまで自分は外に出て,仕事して、仕事以外の自由時間も自分の好きなことしかしない,お前は働いてないんだから家のことや子供のことは全部やれよってことだったみたいです。
ま、良いですよ,子供と過ごすのも大変だけど楽しいし、私は私でちょくちょく地元に帰ったり,昼間はウィンドーショッピングしたり、好きなお裁縫をしたり、お金はないけど私なりに好きなようにも過ごせていたから,まぁ大丈夫でした。
ただ、Aは自由時間にはほぼほぼ女と過ごしておりましたね。。。
例のおかしなメモが見つかってから少しして、ついにケータイを覗き見てしまいました。
禁断の"ケータイ覗き見"です。
やっちゃいけないとは思いつつ、絶対クロだろと勘も働いて,思わず。
そしたらやっぱり真っ黒。
風呂から出たAに飛び蹴りを喰らわせました🦵
怒りは人を突き動かしますな。
土下座してました。土下座してる肩のあたりも蹴っ飛ばしてやりました。
怒った女は怖いですね。
今から女に電話するから というと、結婚する前から関係があったということも早々に白状してました。はやっっ。よわっっ。
私はしばらく実家に帰りました。
それから一週間くらいして迎えにきましたけど,一気に冷めてしまいまして,この頃にはもう離婚も考えていたんですよね。
だけどとにかく、私の中で離婚を躊躇させたのは、母。
なんにも知らずに孫と遊ぶ母。私が幸せだと思っている母。
母は、愛情深くて悪い人じゃないけどプライドが高くて、私が子供の時には結構厳しかった人なので,恐れもあったと思う。
あとはやっぱり、父のいない今,私が母と、障害のある兄をみていかなくてはならない=旦那さんの力も借りていかねばならないだろう という漠然とした未来想像図がそこにはあって、私の勝手な判断ではなぁ……と身動きとりにくかった というところもあります。
続く