松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

いよいよ!初代南朝天皇「第96代後醍醐天皇」と【塔尾陵】

2018-01-17 17:57:17 | 日記

私の中で歴代天皇の名をあげるとしたら!【後醍醐天皇】が一番に浮かぶ

一昨年の〈2016年4月〉までは天皇の事は殆んど知らなかったし興味もなかった

詩吟を遣って来ているお陰で、南朝の時代には興味があった

特に芳野を詠った詩が多くて・・・自然に【後醍醐天皇】の名が染みついていた

今回、ブログで初めて【後醍醐天皇】とその御陵〖塔尾陵〗を取り上げる

   

後醍醐天皇は後宇多天皇の第二皇子として、正応元年〈1288〉に誕生しています

ここにこの様に記した本がある、日本の歴史上もっとも信念が強く行動力のあった天皇と

どんな苦難にあっても、諦めなかった執念は凄まじいものが有ったとも記している。

この当時の日本は、鎌倉幕府が政権を掌握し、朝廷はその言いなりの状態でした

ましてや、朝廷も「大覚寺統」と「持明院統」が二つに分かれ、交互に即位する状態でした

そんな中・・・後醍醐天皇は大覚寺統として即位しますが、次代は持明院統からです

これに不満を持っていた後醍醐天皇は、倒幕活動を開始するのです。

折しも鎌倉幕府を支配している北条氏の統治は行き詰りつつありました。

武士たちも不満を募らせつつある中で、この二つの動きが合体し倒幕運動に火が付きます

後醍醐天皇は、一度は挙兵するものの失敗して「隠岐」へ流されます。

しかし、スーパースターの「楠正成」らの倒幕挙兵は続き、ついに、「足利尊氏」

「新田義貞」らの有力武士たちも倒幕に立ち上がり、鎌倉幕府は打倒されます

隠岐から戻った後醍醐天皇は政権を掌握し、建武の新政を行いますが失敗

一旦は後醍醐天皇に付き倒幕に成功した「足利尊氏」は持明院統の天皇を担ぎ出します

危機を悟った後醍醐天皇は、「三種の神器」を持って芳野に逃れます

ここ芳野に南の朝廷、すなわち「南朝」を打ち立て死ぬまで抵抗を続けたのです

将に、波乱万丈の一生を芳野で終えることになるのです・・・芳野へ来て僅か二年

延元四年〈1339〉8月16日に52年の生涯を芳野の山で閉じられるのです

今から五年ほど前に後醍醐天皇【塔尾陵】を訪れたときの写真です

この上の道で「タント」から降りて私一人で、如意輪堂を目指しました

如意輪堂への入り口で・・・まだ暫らく山間の道をてくてくと

この下の案内図は・・・別の場所にあったものですが、 参考のために入れましたので

やっとの事で、如意輪堂の門前に至りました

 この如意輪堂の左側に【塔尾陵】へ上る石段があります

そこには制札が有り【塔尾陵】〈とうのおのみささぎ〉と記されています・・・そして左側の石段を

 

拝所が見えてきました 

上の石段を4段上がった処までしか入れないのです

 45年ぐらい前、息子の「學凬」幼稚園時代に家内らと一緒に来て

この場所で、藤井竹外の「芳野懐古」を合吟したのが懐かしい思い出です

 

 


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