ネットで調べて出て来た画像です 朱雀天皇陵印です
宇多天皇時代から始まり醍醐天皇と続き、次の朱雀天皇まで菅原道真の怨霊は続く
清凉殿落雷事件で突然死した醍醐天皇、その後慌ただしく即位した朱雀天皇は八歳であった
朱雀天皇の母と云うのが、道真を大宰府に左遷した藤原時平の妹・藤原穏子である
寛明親王〈朱雀〉を生んだ時の事が凄い!ナント三歳まで朱雀を御帳台の中で育てたという
御帳台とは・・一段高い床に畳を敷き、四隅に柱を立て帳〈とばり〉をめぐらした場所〈寝所〉
何故かと云えば、言うまでもなく菅原道真の怨霊に怯えての事
この様な状態で育てられて、八歳の時に突然死した醍醐天皇から譲位されている
もちろん摂関政治である、叔父の藤原忠平が関白となり、母の藤原穏子までもが政治に介入してくる
母・穏子の「東宮の即位を見たい」の言葉もあって?東宮であった弟〈村上天皇〉に譲位する、24歳であった
その後、後悔して復位の祈祷をしたと云う、が・・天暦6年〈952〉に出家して仁和寺に入るが、同年30歳で崩御さる
醍醐天皇と同じように、突然死である・・・道真の祟りなのか?、政治的に暗殺説も・・・
さて、天皇陵であるが、仁和寺の入ってそこで崩御されている朱雀天皇が何故・・・【醍醐陵】なのか?
おかしい事だらけですが、天皇陵巡りの本題に入りましょう
醍醐天皇【後山科陵】から歩いて 4分ぐらいの処に在りました
醍醐天皇陵を後にして、朱雀天皇陵へと向かいました
こちらも民家のど真ん中に在ります、通り過ぎそう それにしても不思議朱雀天皇が醍醐陵と云うのが
民家の間を入っていきます
暫く行くと・・・御陵の雰囲気になって来ました 石の鳥居が、拝所が見えてきました
醍醐天皇陵に匹敵するほど、立派な御陵でした・・・次回の天皇陵巡りは、62代村上天皇の【村上陵】です