鈴木頌の「なんでも年表」

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序章 マンローが生まれた国 スコットランド

2021-03-17 17:34:05 | マンロー
序章 マンローが生まれた国 スコットランド

 

最初から寄り道ですみません。まずスコットランドの紹介をさせてください。

 

というのもマンローの行動スタイルや、アイヌに注ぐまなざしは、スコットランドという文化・風土を踏まえて初めて理解できるのではないかと思うからです。

 

イギリスは大ブリテン島と小ブリテン島からなり、大ブリテン島の3分の2ほどがイングランド、北の3分の1がスコットランドとなっています。

 

私たちがイギリスと言っている国は、正式には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」です。

 

略するときは連合王国(UK)と呼ばれ、これらの地方の総称として使われます。

 

スコットランドは連合王国とは言うものの、ずっとイングランドの風下に立ってきました。

 

日本でも東北の縄文人が大和朝廷の支配に組み込まれていきますが、スコットランドも似たような環境にありました。ただ人種や言語・宗教よりは経済。生活水準が大きな違いでした。

 

その点では、スコットランドは東北というより信州に近いかもしれません。

 

「イングランドではえん麦は馬の飼料だが、スコットランドでは人間の食料だ」と言われたくらいの差があったのです。

 

それが18世紀の中頃から急速に事情が変わってきました。アメリカやインド、アジアとの貿易が盛んになり、繊維など輸出を狙った“糸へん産業”が盛んになります。

 

そしてイギリスは産業革命の時代に突入していきました。

 

機械制大工業は大量の労働力を求めました。また、原料としての羊毛、動力としての石炭や水力も必要になりました。

 

そこで目をつけられたのが後進地帯で貧乏国であるスコットランドでした。ほそぼそと粗放農業が営まれていた山野は牧畜地帯となり、そこから多くの過剰人口が吐き出されました。

 

まさに資本主義のための「根源的蓄積」の舞台となりました。「嵐が丘」の舞台のような荒野に工場が立ち上がり、港へはインドや南米向けの船が出入りし、山からは石炭が運び込まれ、ハイランドから大ぜいの労働者が下ってくる…そんな世界が出現したのです。

 

スコットランド人ワットの蒸気機関にはニュートン力学がふさわしい教義となりました。スコットランド人哲学者のヒュームは、キリスト教の教えに対して「懐疑論」を提示し、観察と経験に基づく事実を重視しました。「懐疑論」はのちに “恥ずかしがり屋の唯物論” と揶揄されることになります。

 

スコットランド人経済学者ジェイムズ・スチュアートは利潤がブルジョア的生産過程に基礎をもつことに気づきました。また有効需要が社会発展の原動力だということを突き止めました。

 

そのゆえに、近代社会が生産過程を中核として形成されると論じました。それはスコットランドにおいて近代工業がどんどん立ち上がっていく姿を前にしての感慨でもありました。

 

もうひとりの経済学者アダム・スミスは社会の分業化、商業の国際化に伴い、労働が富を生み、富が自立的増殖することを指摘しました。

 

こうして二人のスコットランド人がイギリス古典経済学の基礎を打ち立てたのです。

 

彼らは同時代のフランスの啓蒙主義者に倣って「スコットランド啓蒙主義」と呼ばれています。

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