鈴木頌の「なんでも年表」

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マンローの「肩書き」

2021-03-17 17:34:45 | マンロー

「マンロー小伝」を書くにあたってマンローの肩書きをどうしようかと悩んでいる。
まず即物的に「医師マンロー」というのはいかがかと思ったが、どうも違う。まず真っ先に違うのは、彼が45歳になるまで医者(ドクター・マンロー)ではなかったことである。
それと、彼は職業として医師ではあっても、きわめて訓練の不足した医師だったことである。だから彼はもし伝記を書いてもらえたとしても、医師マンローとは書いてほしくはなかったろうと思う。

そしてここからが問題なのだが、彼は考古学者であり民俗学者であったのかということである。たしかに主観的には考古学者であり民俗学者であった。ただ学者というほどにマンローはプロフェッショナルであったかと言われると、いささか疑問符がついてしまうのである。

彼は調査(フィールドワーク)も研究も発表もすべて自分のお金でやった。だから彼は職業的研究者ではなくてアマチュアなのだ。

だから結局、彼は「好事家」(ディレッタント)という肩書きに落ち着くのかもしれない。なまじ「日本の硬貨」などという本を出しただけに、そういう印象を持たれることをおそれる。

しかし彼の研究手法は半端な道楽ではない。国籍を日本に移し、すべての生活を日本での研究に注ぎ込み、すべての資産をなげうち、2度の災難で、資料の殆どを灰燼に帰しつつも、最後まで研究に打ち込んだ人を道楽者と言ってはいけない。

とすれば、少なくとも伝記を書く人間としては、彼がどういう人間であったかというよりは、彼が何をもとめ何に生涯を捧げたかをもって彼の肩書きとしなければならない。

だから私は彼を「学徒」とし、「先史日本研究者」と規定したい。アイヌ民俗の研究も、先史日本へのタイムトンネルの入り口ととらえていたのではないだろうか。

ただそうやって生涯、“我を通した”わけだから、多少の偏屈であったことは疑いを容れない。堀辰雄が「風立ちぬ」の作中で出会ったマンローもまたマンローであろうと思う。


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