前回までのルート:静岡→沼津→新橋→赤羽→戸田公園→大宮→高崎

新型のE233系で高崎までやってきました。

次に乗る予定の列車までは1時間開くあるので、その間に車両観察をします。

高崎駅は高崎線・信越本線・上越線・上越新幹線・長野新幹線が交わるターミナルです。この他に、八高線(倉賀野から高崎線乗り入れ)・両毛線(新前橋から上越線乗り入れ)・吾妻線(渋川から上越線乗り入れ)の列車もやってくるため、在来線だけでも3面7線(うち1線は八高線用の切欠きホーム)の大きな駅となっています。

高崎駅の主力はなんといっても湘南色の115系(1000番台)。高崎線からは211系やE231系のあおりで撤退しましたが、八高線を除くほかの路線では現在も活躍しています。115系は、近郊型電車の原型が完成した113系をベースに、山岳地帯でも運転できるよう出力をアップさせた車両です。全国で広く見られます。
高崎の115系の特徴は、全て湘南色であること。国鉄カラーが消えていく中、現在も77両(高崎車両センター所属・3連と4連が各11本ずつ)全てが国鉄色です。

115系の中でも、北国で使用するため耐雪装備を備えた1000番台は、国鉄型ならではの頑丈な車体と相まって、他の車両で代替できず、現在も群馬・新潟・長野の3県では主力として活躍しています(一部は西日本にもいます)。電動車(モハ114・モハ115・クモハ115※)の端にある切れ込みで判断することができます。この切れ込み(ルーバー)はモーターを冷やす冷却風を取り入れます。通常は床下などに設置するのですが、この地域では雪が多いため、モーターに雪が入って故障の原因になります。そのため、ルーバーの先で空気だけ通すための空間(雪切室)を作ったのです。
(※……改造車のクモハ114(モハ114から改造)もいるけど、新潟にしかいないのでここでは割愛)

停車中のT1147編成は両毛線の桐生行き。オーソドックスな4両編成です。
高崎では、モハ114の番号が編成の数字となる独特のナンバリングをしています。
(編成:高タカT1147)クハ115-1202+モハ114-1147+モハ115-1083+クハ115-1138 →桐生

8番線に吾妻線大前からやってきた普通列車が到着。
戸田ボートに行かなければ、終点の大前まで往復する予定でした。八ツ場ダム建設で沈む岩島~長野原草津口に乗車したかったのと、一日5本しか行かない大前行き(多くは長野原草津口や、終点手前の万座・鹿沢口止まり)に乗りたかったからです。まあ、それに乗ろうとしたら戸田ボート場についた瞬間に駅に引き返さないと間に合いませんが。


客を降ろした列車は回送となります。

5番線に戻って信越線の107系。3扉・ロングシートなので普通の電車かと思いきや、165系の足回りを再利用したリサイクル品。113系とならんで上毛の足となっています。

先ほど回送された電車は再び吾妻線の万座・鹿沢口行きとなります。

E233系とならぶ115系。

16時8分。見慣れぬ車両が北からやってきました。


485系お座敷車両「やまどり」を使用した「はちおうじやまどり」です。
普段は「リゾートやまどり」として高崎~万座・鹿沢口を走っていますが、夏休みのこの時期は高崎線・武蔵野線を通って八王子まで直通します。そのためか、高崎で降りた客は皆無でした。

方面・本数も多い上に入換が頻繁に行われる高崎では、八高線を除きホームが固定されていません。こうした番線案内は欠かせません。

16時15分。次の列車・上越線水上行きが5番線に到着しました。115系T1091編成です。
ホームには既に客が多数乗っていたので、末端のロングシートしか確保できませんでした。
[上越線 743M 高崎16:21→水上17:24]
(編成:高タカT1091)クハ115-1064+モハ114-1091+モハ115-1030+クハ115-1105 →水上

現在も東京~新潟を結ぶ幹線として機能する高崎線と上越線ですが、平地を走る高崎線とは対照的に、上越線は谷を縫うように走ります。列車は川を何度も渡りながら高度を上げていきます。
この辺りは河岸段丘が発達していて、川から少し離れると40~50メートルもの段差があります。そのため橋の高さもかなりのもの。高崎~新前橋は高崎線の一部として1884年に完成していますが、そこから水上までの開業に30年も(1928年開業)あいていたのもわかります。


終点の水上に到着。

山に囲まれた静かな駅です。
かつてはこの辺りの観光の拠点として栄え、近年まで特急「水上」(上野~水上)が運転されていました。しかし、マイカー利用が増えたことや上越新幹線の上毛高原駅にシフトした結果廃止。現在は普通列車のみが来ます。

ここから先は新潟の115系になります。塗装は白地に緑帯の新潟色ですが、車両は同じ115系です。

水上駅の時刻表。これから向かう越後湯沢まではさらに少なく、1日5本しかありません。東京から青春18きっぷで北上するときは最短のルートですが、本数の少なさが壁となって立ちはだかります。一方、本数のある東北本線経由はIGR&青い森鉄道のお金の壁が……
では、115系で上越国境を越えていきたいと思います。
[上越線 1749M 水上17:42→長岡20:06]
《水上 17:42発》
水上から越後湯沢までは、上越線で最後に開業した区間です。上野国(群馬)から越後国(新潟)へ抜けるため、上越国境とも呼ばれます。
谷川岳をはじめとする山々で阻まれた上越国境は、清水トンネルによって貫通しました。全長9.2kmのトンネルは丹那トンネル(東海道本線函南~三島・7.8km)を越し、一時は日本最長のトンネルとなりました。煙を排出できないことから、当初からこの区間だけ電気機関車での運転を始めました。
トンネルの開業で、それまで信越本線頼みだった物流は上越線経由にシフト。丸1日かかっていた東京~新潟の移動は4時間にまで短縮されました。上越新幹線開業で優等列車はいなくなりましたが、現在も夜行列車や貨物列車が通り、幹線としての機能をとどめています。

《土合 17:52着》
いわずと知れたモグラ駅・土合に到着。上越線を複線化したときに生まれた新清水トンネル(下り線用)の中にある駅です。上り線(地上)の駅直下70メートルにあるため、改札までは10分ほど階段を上がらなければいけません。あまりに有名なため時刻表にも記載があるほどです。
トンネルの中なためか、水上よりも涼しく感じます。

新清水トンネルを越えると、そこは新潟県。徐々に高度を落としながら、越後湯沢に近づきます。
ちなみに、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」でおなじみの川端康成の小説『雪国』ですが、当時はまだ単線だったので、この長いトンネルとは新清水トンネルではなく、現在の上り線である清水トンネルです。主人公の乗った列車は、まだ信号所だった土樽駅(1941年に駅昇格)に停車します。

《越後湯沢 18:17着》
日がかげるころ、越後湯沢に到着しました。
元々小さな温泉町だった越後湯沢(湯沢は秋田県に存在)ですが、上越線開業で一気に株が上がり、周辺はスノーリゾートとしての開発が進んだこともあり、越後湯沢は拠点駅として発展していきます。上越新幹線ができるとさらに東京からのアクセスがよくなりました。現在も南越後の観光拠点となっているほか、北越急行ほくほく線の開業で、東京―北陸ルートの中継点ともなっています。
なお、停車する列車のうち、半数以上は新k(この先は検閲により削除されました)。

115系と並んでいるのは北越急行の《スノーラビット》683系8000番台「はくたか」。上越新幹線と接続して金沢へ向かいます。北陸新幹線が開業すると「はくたか」もなくなってしまうのですが、車両はどうなるのでしょうか。

越後湯沢では時間調整のため18時42分まで停車します。この先ももう少し乗るのですが、列車はここで降りて夕食をとることにしました。

駅の中も観光客向けのお店がいくつかありますが、お金がないのでスルー。

西口(新幹線口)を出ると、そこには温泉街が広がります。

徒歩5分ほどのところに、珍泉という小さな中華料理屋を発見。安そうなのでここで食べることにしました。

麻婆豆腐定食を注文。麻婆豆腐にご飯、ラーメンまでついたボリューム満点のセットです。お米はもちろん魚沼産のコシヒカリ。それでも1000円行かないのですから安いものです。
料理はおいしかったのですが、蓮華が油まみれにあるほど油の入ったラーメンはどういうことなの……

再び西口へ。役場など町としての機能は東口側にあり、西口は温泉街のためにある入り口です。

改札口。利用者の数を端的に表してくれています。奥でぞろぞろと歩いているのは、丁度到着した「Maxたにがわ341号/Maxとき341号」(越後湯沢19:28着・後ろ8両切り離し)から「はくたか24号」(越後湯沢19:39発)に乗り換える人たちです。

在来線ホームに向かうと、4番線は入り口をポールでしきられて入れないようになっていました。上越線の列車は2・3番線のみを使用しています。

上越線のホームのうち、0・1番線は北越急行が使用しています。0番は普通列車専用、1番線は「はくたか」専用です。

0番線の直江津行き。JRから離れる六日町までは塩沢以外停まりません。普通列車用なのでホームは2両分しかありません。

「はくたか24号」は681系8000番台でした。先ほどの683系の前世代に当たる車両です。基本的に大差ありませんが、先頭のライトの配置などに違いが見られます。

6号車の自由席は満席状態。指定席もかなりの数が埋まっていました。

後ろの3両は色違いのJR西日本の683系でした。前半18回でも書きましたが、「はくたか」の車両は681系・683系/JR西日本・北越急行問わず使っているので、こうしたちぐはぐな編成はよく見られます。むしろそろっているほうが奇跡かも?

警笛を鳴らし、「はくたか」は福井に向けて旅立っていきました。

越後湯沢から出る列車は20時30分までありませんが、越後湯沢どまりの列車はあります。

20時11分着の越後湯沢どまりの列車は、新潟色とリニューアル色の6両(3両+3両)編成でした。え? 形式はって? 上越線の普通列車の時点で115系なのは明白でしょう?
しばらく停車した後、石内にむけて回送されていきます。

20時30分。目的の列車がやってきました。リニューアル色の3両編成です。
まあ、1駅で降りるんですけどね。
[上越線 1751M 越後中里20:21→長岡21:49]
《越後湯沢 20:30発》
本来の予定では新潟か長岡に宿を取る予定でした。しかし、この日はどちらも宿が取れないどころか、三条・小千谷など近くの町も全滅状態となっていました。
調べていくうちに理由がわかりました。新潟県はこの時期花火が盛んになります。小千谷・長岡などの花火の産地を抱えている新潟県では、8月になると花火大会のない日はほとんどないといっても過言ではありません。24日も、小千谷市でおぢやまつり花火大会(約7000発)という大きな花火大会が開催され、それにあわせた臨時列車まで動いていました。確かに、これでは部屋は取れません。
とはいえ、日程的にもこの日に新潟県に入らないと厳しい状態でした。
《石打 20:36着》

着いたのは隣の駅・石打です。

上越線が開業したときに、国境越え用の電気機関車がここに基地をおきました。その後単機運転ができるようになると役目を失いますが、代わりに近隣のスキー場へのアクセス駅としてにぎわいました。一時は当駅どまりの特急「新雪」(上野~石内)もありました。しかし、多くがマイカーに移行したため、現在はかつての車両基地が留置線として使われる程度です。

駅裏手にもスキー場があり、離れたところにもスキー場がありますが、バス路線はありません。

2009年から朝晩が無人化されました。待合室は畳がひかれ、民家の中にいるかのようです。

今宵は駅から5分の『田中屋旅館』に泊まることとします。
続く!

新型のE233系で高崎までやってきました。

次に乗る予定の列車までは1時間開くあるので、その間に車両観察をします。

高崎駅は高崎線・信越本線・上越線・上越新幹線・長野新幹線が交わるターミナルです。この他に、八高線(倉賀野から高崎線乗り入れ)・両毛線(新前橋から上越線乗り入れ)・吾妻線(渋川から上越線乗り入れ)の列車もやってくるため、在来線だけでも3面7線(うち1線は八高線用の切欠きホーム)の大きな駅となっています。

高崎駅の主力はなんといっても湘南色の115系(1000番台)。高崎線からは211系やE231系のあおりで撤退しましたが、八高線を除くほかの路線では現在も活躍しています。115系は、近郊型電車の原型が完成した113系をベースに、山岳地帯でも運転できるよう出力をアップさせた車両です。全国で広く見られます。
高崎の115系の特徴は、全て湘南色であること。国鉄カラーが消えていく中、現在も77両(高崎車両センター所属・3連と4連が各11本ずつ)全てが国鉄色です。

115系の中でも、北国で使用するため耐雪装備を備えた1000番台は、国鉄型ならではの頑丈な車体と相まって、他の車両で代替できず、現在も群馬・新潟・長野の3県では主力として活躍しています(一部は西日本にもいます)。電動車(モハ114・モハ115・クモハ115※)の端にある切れ込みで判断することができます。この切れ込み(ルーバー)はモーターを冷やす冷却風を取り入れます。通常は床下などに設置するのですが、この地域では雪が多いため、モーターに雪が入って故障の原因になります。そのため、ルーバーの先で空気だけ通すための空間(雪切室)を作ったのです。
(※……改造車のクモハ114(モハ114から改造)もいるけど、新潟にしかいないのでここでは割愛)

停車中のT1147編成は両毛線の桐生行き。オーソドックスな4両編成です。
高崎では、モハ114の番号が編成の数字となる独特のナンバリングをしています。
(編成:高タカT1147)クハ115-1202+モハ114-1147+モハ115-1083+クハ115-1138 →桐生

8番線に吾妻線大前からやってきた普通列車が到着。
戸田ボートに行かなければ、終点の大前まで往復する予定でした。八ツ場ダム建設で沈む岩島~長野原草津口に乗車したかったのと、一日5本しか行かない大前行き(多くは長野原草津口や、終点手前の万座・鹿沢口止まり)に乗りたかったからです。まあ、それに乗ろうとしたら戸田ボート場についた瞬間に駅に引き返さないと間に合いませんが。


客を降ろした列車は回送となります。

5番線に戻って信越線の107系。3扉・ロングシートなので普通の電車かと思いきや、165系の足回りを再利用したリサイクル品。113系とならんで上毛の足となっています。


先ほど回送された電車は再び吾妻線の万座・鹿沢口行きとなります。

E233系とならぶ115系。

16時8分。見慣れぬ車両が北からやってきました。


485系お座敷車両「やまどり」を使用した「はちおうじやまどり」です。
普段は「リゾートやまどり」として高崎~万座・鹿沢口を走っていますが、夏休みのこの時期は高崎線・武蔵野線を通って八王子まで直通します。そのためか、高崎で降りた客は皆無でした。

方面・本数も多い上に入換が頻繁に行われる高崎では、八高線を除きホームが固定されていません。こうした番線案内は欠かせません。

16時15分。次の列車・上越線水上行きが5番線に到着しました。115系T1091編成です。
ホームには既に客が多数乗っていたので、末端のロングシートしか確保できませんでした。
[上越線 743M 高崎16:21→水上17:24]
(編成:高タカT1091)クハ115-1064+モハ114-1091+モハ115-1030+クハ115-1105 →水上

現在も東京~新潟を結ぶ幹線として機能する高崎線と上越線ですが、平地を走る高崎線とは対照的に、上越線は谷を縫うように走ります。列車は川を何度も渡りながら高度を上げていきます。
この辺りは河岸段丘が発達していて、川から少し離れると40~50メートルもの段差があります。そのため橋の高さもかなりのもの。高崎~新前橋は高崎線の一部として1884年に完成していますが、そこから水上までの開業に30年も(1928年開業)あいていたのもわかります。


終点の水上に到着。

山に囲まれた静かな駅です。
かつてはこの辺りの観光の拠点として栄え、近年まで特急「水上」(上野~水上)が運転されていました。しかし、マイカー利用が増えたことや上越新幹線の上毛高原駅にシフトした結果廃止。現在は普通列車のみが来ます。

ここから先は新潟の115系になります。塗装は白地に緑帯の新潟色ですが、車両は同じ115系です。

水上駅の時刻表。これから向かう越後湯沢まではさらに少なく、1日5本しかありません。東京から青春18きっぷで北上するときは最短のルートですが、本数の少なさが壁となって立ちはだかります。一方、本数のある東北本線経由はIGR&青い森鉄道のお金の壁が……
では、115系で上越国境を越えていきたいと思います。
[上越線 1749M 水上17:42→長岡20:06]
《水上 17:42発》
水上から越後湯沢までは、上越線で最後に開業した区間です。上野国(群馬)から越後国(新潟)へ抜けるため、上越国境とも呼ばれます。
谷川岳をはじめとする山々で阻まれた上越国境は、清水トンネルによって貫通しました。全長9.2kmのトンネルは丹那トンネル(東海道本線函南~三島・7.8km)を越し、一時は日本最長のトンネルとなりました。煙を排出できないことから、当初からこの区間だけ電気機関車での運転を始めました。
トンネルの開業で、それまで信越本線頼みだった物流は上越線経由にシフト。丸1日かかっていた東京~新潟の移動は4時間にまで短縮されました。上越新幹線開業で優等列車はいなくなりましたが、現在も夜行列車や貨物列車が通り、幹線としての機能をとどめています。

《土合 17:52着》
いわずと知れたモグラ駅・土合に到着。上越線を複線化したときに生まれた新清水トンネル(下り線用)の中にある駅です。上り線(地上)の駅直下70メートルにあるため、改札までは10分ほど階段を上がらなければいけません。あまりに有名なため時刻表にも記載があるほどです。
トンネルの中なためか、水上よりも涼しく感じます。

新清水トンネルを越えると、そこは新潟県。徐々に高度を落としながら、越後湯沢に近づきます。
ちなみに、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」でおなじみの川端康成の小説『雪国』ですが、当時はまだ単線だったので、この長いトンネルとは新清水トンネルではなく、現在の上り線である清水トンネルです。主人公の乗った列車は、まだ信号所だった土樽駅(1941年に駅昇格)に停車します。

《越後湯沢 18:17着》
日がかげるころ、越後湯沢に到着しました。
元々小さな温泉町だった越後湯沢(湯沢は秋田県に存在)ですが、上越線開業で一気に株が上がり、周辺はスノーリゾートとしての開発が進んだこともあり、越後湯沢は拠点駅として発展していきます。上越新幹線ができるとさらに東京からのアクセスがよくなりました。現在も南越後の観光拠点となっているほか、北越急行ほくほく線の開業で、東京―北陸ルートの中継点ともなっています。
なお、停車する列車のうち、半数以上は新k(この先は検閲により削除されました)。

115系と並んでいるのは北越急行の《スノーラビット》683系8000番台「はくたか」。上越新幹線と接続して金沢へ向かいます。北陸新幹線が開業すると「はくたか」もなくなってしまうのですが、車両はどうなるのでしょうか。

越後湯沢では時間調整のため18時42分まで停車します。この先ももう少し乗るのですが、列車はここで降りて夕食をとることにしました。

駅の中も観光客向けのお店がいくつかありますが、お金がないのでスルー。

西口(新幹線口)を出ると、そこには温泉街が広がります。

徒歩5分ほどのところに、珍泉という小さな中華料理屋を発見。安そうなのでここで食べることにしました。

麻婆豆腐定食を注文。麻婆豆腐にご飯、ラーメンまでついたボリューム満点のセットです。お米はもちろん魚沼産のコシヒカリ。それでも1000円行かないのですから安いものです。
料理はおいしかったのですが、蓮華が油まみれにあるほど油の入ったラーメンはどういうことなの……

再び西口へ。役場など町としての機能は東口側にあり、西口は温泉街のためにある入り口です。

改札口。利用者の数を端的に表してくれています。奥でぞろぞろと歩いているのは、丁度到着した「Maxたにがわ341号/Maxとき341号」(越後湯沢19:28着・後ろ8両切り離し)から「はくたか24号」(越後湯沢19:39発)に乗り換える人たちです。

在来線ホームに向かうと、4番線は入り口をポールでしきられて入れないようになっていました。上越線の列車は2・3番線のみを使用しています。

上越線のホームのうち、0・1番線は北越急行が使用しています。0番は普通列車専用、1番線は「はくたか」専用です。

0番線の直江津行き。JRから離れる六日町までは塩沢以外停まりません。普通列車用なのでホームは2両分しかありません。

「はくたか24号」は681系8000番台でした。先ほどの683系の前世代に当たる車両です。基本的に大差ありませんが、先頭のライトの配置などに違いが見られます。

6号車の自由席は満席状態。指定席もかなりの数が埋まっていました。

後ろの3両は色違いのJR西日本の683系でした。前半18回でも書きましたが、「はくたか」の車両は681系・683系/JR西日本・北越急行問わず使っているので、こうしたちぐはぐな編成はよく見られます。むしろそろっているほうが奇跡かも?

警笛を鳴らし、「はくたか」は福井に向けて旅立っていきました。

越後湯沢から出る列車は20時30分までありませんが、越後湯沢どまりの列車はあります。

20時11分着の越後湯沢どまりの列車は、新潟色とリニューアル色の6両(3両+3両)編成でした。え? 形式はって? 上越線の普通列車の時点で115系なのは明白でしょう?
しばらく停車した後、石内にむけて回送されていきます。

20時30分。目的の列車がやってきました。リニューアル色の3両編成です。
まあ、1駅で降りるんですけどね。
[上越線 1751M 越後中里20:21→長岡21:49]
《越後湯沢 20:30発》
本来の予定では新潟か長岡に宿を取る予定でした。しかし、この日はどちらも宿が取れないどころか、三条・小千谷など近くの町も全滅状態となっていました。
調べていくうちに理由がわかりました。新潟県はこの時期花火が盛んになります。小千谷・長岡などの花火の産地を抱えている新潟県では、8月になると花火大会のない日はほとんどないといっても過言ではありません。24日も、小千谷市でおぢやまつり花火大会(約7000発)という大きな花火大会が開催され、それにあわせた臨時列車まで動いていました。確かに、これでは部屋は取れません。
とはいえ、日程的にもこの日に新潟県に入らないと厳しい状態でした。
《石打 20:36着》

着いたのは隣の駅・石打です。

上越線が開業したときに、国境越え用の電気機関車がここに基地をおきました。その後単機運転ができるようになると役目を失いますが、代わりに近隣のスキー場へのアクセス駅としてにぎわいました。一時は当駅どまりの特急「新雪」(上野~石内)もありました。しかし、多くがマイカーに移行したため、現在はかつての車両基地が留置線として使われる程度です。

駅裏手にもスキー場があり、離れたところにもスキー場がありますが、バス路線はありません。

2009年から朝晩が無人化されました。待合室は畳がひかれ、民家の中にいるかのようです。

今宵は駅から5分の『田中屋旅館』に泊まることとします。
続く!
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