不眠症の眠れない夜

トラブル解決便利屋商売のオレ。時に説教臭いのが難点(フィクションです)。別途、遺物全文をブックマークに整理中。

キンゾーの作り方#23

2007年01月18日 | キンゾーの作り方
通過儀礼から先、特に高校時代は、取り出し語るには未だ生々しすぎる。
発酵が充分でないため、酸っぱく苦い。
精神のもっとも脆弱な部分を、ヒリヒリと刺す。
極端にいえば、その頃の記憶をスッパリ欠落させたいくらいだ。
むしろ極楽脳天気そのものだった大学生活の方が、お気軽なバカ話でうっちゃれそうだ。

人にはそれぞれのパスタイムがあり、同じように苦い思いがある。
まことこれはすぐれて個人的なものであって、はたから見れば取るに足らぬ瑣末なことであっても、自身にとっては天地驚愕の出来事やもしれぬ。
さよう、スケールはあなた自身のそれ、という天壌無窮の真理に立ち至るのである。

さ、オイラのスケールを語ることにも倦んできた。
とりあえずキンゾーの作り方は、第一部の幕を閉じることにしよう。

第二部があるか、あるいは述べる気がおきぬか、はたまた迷惑千万な禍棗災梨となるか、ふむ、一擲、乾坤を賭すべし、であるな。

キンゾーの作り方#22

2007年01月17日 | キンゾーの作り方
初めて買ったレコードは、誰でも忘れはしまい。

キンゾーのそれはデイブ・クラーク・ファイブのビコーズである。
イントロのコード進行が、めちゃめちゃイカシてんだよな(イカス、なんてのは死語か)。

しかしキンゾーは電蓄(これも死語か。えーと、電蓄とは小型のレコードプレーヤーです)を持っていない(ハイファイ装置なんてな夢のまた夢)。
隣の肉屋の兄ちゃんに借りるしかない。

隣の兄ちゃんに、キンゾーはチビの頃から可愛がってもらっていた。
それに兄ちゃんは青春歌謡曲が大好きで、当然、電蓄も持っていた。

「兄ちゃん、電蓄ば貸しちゃらんね?」
兄ちゃんは、おお、いつでんヨカばい、と快く貸してくれた。

レコード盤に針を落とし、少しスクラッチノイズがした後、チャチャチャチャラ~ンチャと鳴り始めたうれしさといったら!
電蓄の周りを、ウハハハハハと叫びながら、意味もなく回り続けたくなる。

これ、これ、これたいっ!
よかろ、かっこよかろ、いわせんやろーが、たまらん、ツヤすぎっ!
キンゾーはビコーズのカッコよさを、通りで叫びたいほどだった。
(しかし、なんだ、人の通過儀礼とは、まったく成長していないバカさ加減を、数十年後に再認識することであるな)

まあ、このあと、あれやらこれやら有象無象、モータウンを横目に見ながらストーンズにイカれ、ジミヘン、クリーム、ディーパの洗礼はお約束、融通無碍に錯節し、徐々に偏頗一刻度は深化、今のキンゾーの音楽的偏食はある。
が、しかし。
これだけは断言できる。

その後、多くの音盤を聞いたが、あのビコーズの興奮には絶対かなわない。

さて。

音楽の福音啓示は降下した。
残るはファッションと、そう、ヰタ・セクスアリスであるな。

ファッションはね、簡単にすませちゃおう。
石津謙介サン、そう、VANジャケットに育てられました。
今は単に清潔で防寒の用をなせばよし、そんなもん。
以暖為服、ですな。

ヰタ・セクスアリス?

んーと、中学、高校と自意識過剰錯乱世代に転落したキンゾーは、とにかくオツムが乱離骨灰、破断混乱の中にあったんだ。
つまり、そのプロセス、結果、解釈鑑賞は、とてもじゃないがまだまだ素面じゃ語れんよ、というところで了解されたい。
願わくんば、惻隠の情、である。

キンゾーの作り方#21

2007年01月16日 | キンゾーの作り方
手間取ったもう一つの問題とは、ラジオ、そのもののこと。
つまり、自分専用のラジオがないんだ。

台所に古いラジオはある。
FENを聞きたいときは、台所まで行き、それから必ずNHKに合わせてある周波数を、FENにチューニングしなおさなければならない。
面倒このうえないし、キンゾーはいつだってFENが聞きたいのだ。

(トランジスタラジオの欲しかっ!)
エレキなんぞより、はるかに深刻かつ喫緊の課題である。

こうなれば奇手妙手、計理計略などない。
ひたすら哀訴、懇願、泣き落とし。
連日、トランジスタラジオ買うてくれ、正月のお年玉もいらんけん、勉強がんばるけん、一生のお願いやけん、○○クンも持っとうとばい、買ってくれー、の連呼、連呼、連呼。

二月かかったな。
とうとう親も音を上げたのだろう、質流れのトランジスタラジオを買ってくれた。

東芝のトランジスタラジオ。
赤いプラスチックボディが眩しかった。
電池を入れ、スイッチをひねり、FENに合わせる。

「ホニャラホニャラナントカカントカ、イタヅ~ケ、ピンポーン」
イタヅ~ケという言葉しかわからないけれど、小さなラジオから流れ出したFENに、キンゾーはもう有頂天だった。

音楽はてけてけベンチャーズだけじゃなかとばい!
黒かとや、白かと、ジャジーやら、オナゴのよか歌やら、ビッグバンドやら、もうなんでんかんでん(=なんでもかんでも)あるとぜ!
音楽ちゃ、すごかっ!

キンゾーは洋楽の深暗を覗き込む縁に立った。
トランジスタラジオがキンゾーのメルクマールとなったのである。

ついでながら。

トランジスタラジオを買ってもらったけれども、お年玉もいただきました、勉強はさっぱりでした、一生のお願いは何回も使いまわしさせていただきました。

キンゾーの作り方#20

2007年01月15日 | キンゾーの作り方
自宅に帰っても、キンゾーは酔っていた。
初めて聞いたエレキに、キンゾーの脳天は白熱沸騰しっ放しだった。
大音量(と最初は思えた。ただし当時のアンプ出力はせいぜい30Wなので、今の基準でいけば児戯に等しい)とリズムはキンゾーのニューロンを一気に発火させた。

キンゾーは居間の隅にたてかけられていた箒を手にした。
箒は見ようによっては、エレキに見えないこともない。
エレキに見立てた箒を抱え、キンゾーは一時間前のことを反芻再現しはじめた。

(こら、よかっ!博多ん男はエレキばいっ!)

フェンダーもなければ、マーシャルもない。
しかし、ただの箒は、キンゾーにとって新しい世界をかきたてる魔法のそれだった。

(エレキの欲しかっ!)

ハーッ、おのが単純さに、書いていても呆れるな。

ま、当然のように「エレキを買ってくれ」などという願いは、「キンゾー、熱のあるっちゃなかと?」という一言で却下された。
結局、エレキを手に入れるまで、大学まで待たねばならない。

その代わり、といっちゃナンだが、キンゾーはポップスに猛烈に傾斜し始める。

前にも書いたが、そのころ板付基地には進駐軍が駐屯していて、FEN(=極東放送。進駐軍のラジオネットワーク)が終日流れていた。
民間ラジオの深夜放送は、まだ始まっていない。
FM放送は皆無。
しかも日本のラジオとFENとではポップスの密度が違いすぎた。

ポップスだけじゃない。
FENはブルース、ジャズ、R&B、なんでもありカオス混沌ガメ煮(=博多の郷土料理。一般的には筑前煮というな)状態。
演歌や昼の憩いなんてな、おととい来やがれ、ってなもんだ。
このときだけはアメちゃんに感謝!

ところが困ったことが二つ。
ひとつは、まったく英語がわからない(今でも、だけど)。
これは、まぁ、好きな曲ってな、すぐに覚えてしまうんで、それを日本の放送で確認すればなんとかなった。

しかし、もうひとつの解決には、ちょっと手間取った。

キンゾーの作り方#19

2007年01月14日 | キンゾーの作り方
恐る恐るエレキ会場の公民館に入る。

今でこそ照明だ、PAだ、モニターだと大仕掛けだが、当時はマイクとアンプとドラムス、以上!という潔さ。
カーテンで会場を暗くすることすらない。
アンプとてギター台数分あるわけでなく、1台のアンプにチャンネル分のシールドをブッ込むのは普通だった。
ひどいのになると、ハイ・ロウ両端子につないでしまう。
今から考えると、あれ、どうやって音量を調整してたんだろう。
工夫が必要を凌駕したんだろうな、きっと。
足りない、足りないは、工夫が足りない、か(喩えが古いな、どうにも)。

さて。
気圧されたまま呆然としていると、公民館の低いステージにエレキの兄ちゃんたちが上がってきた。

アンプの電源を入れると、インジケーターが鈍く光り始めた。
ゴリゴリゴリとシールドをブッ込む接触ノイズ、ドラムス・シンバル(これだってトップシンバルのみ。サイドシンバルなんてなかった)のシズル音、アー、テス、テスというマイクチェック。

これから始まるであろう、あの「やかましく、かつ不良のする」エレキ。
おや? なんだか怪しいが、妙に居心地がいい。
忌避したくても、居られずにはいられない。
この奇妙な居心地のいい怪しさは、キンゾーの予想とは、どうも違う。
放生会で見るお化け屋敷の怪しさと、まったく違う。

このカンジ、なんなんだろ。
怖いもの見たさ? いや、そうじゃない。
この世界は、きっとオイラの世界を止揚するに違いない、そんな予感をさせる蠱惑。
安仕掛けの辺縁にある高揚感。
脳天へ突き抜けるドライブ感、蟻走感。
絶頂前の上昇感、覚醒感。
五感がキンと総毛立つ冷涼感。
初めてだ、こんなの!

やかましいのだろうが、それがどうした。
不良がするもの、それがどうした。
これはオマエが受け容れるべきものだぞ、と少年キンゾーの直感が囁き始めた。

(え?え?え? なん、これ? おりょりょりょりょ、なんかワクワクしとうばい…)
少年キンゾーの中で、なにかが転がり始めていた。

じゃ、はじめます、とステージのエレキ兄ちゃんが無愛想にいった。