今年の4月は忘れられない月になるかもしれません。
高校時代の部活の先輩が亡くなってしまいました。
本当に突然のことでした。
4月12日の朝9:15頃、駅のホームで彼は突然倒れてしまったようです。
そのままこの世に戻ってくることはありませんでした。
原因は心臓の病気だったようです。でもなんで突然・・・
幼い頃に川崎病を患って、心臓は悪いとのことでしたが、
過去の話だと思い込んでいました。
合宿で見た、彼の痛々しい心臓付近の傷跡が思い起こされます。
通夜には400人の友人達が訪れ、霊柩車に乗せるときは
本来親族の方々が乗せることになっているのですが、友人の手によって
乗せられたようです。ご両親はとても喜ばれていたそうです。
私がこのことを知ったのは4月25日の1:00頃。たまたま後輩のblogを読んでいて気が付きました。
既に亡くなってから2週間が過ぎようとしていました。
その日の夕方、就職試験を終えた私は電話でご両親に連絡をとってから先輩の自宅へ。
初めて遺影の前に座り込みました。
ご両親に希望を持ってもらえるような言葉を掛けてあげようと意気込んで訪れた彼の家。
駄目でした。言葉が出てきませんでした。
なんで写真になってしまっているのか
なんで死んじゃったのとか
本当に死んじゃったのとか
いけない、両親に話しかけなきゃとか
昔一緒に花火を見に行ったよなとか
喜怒哀楽では表せない感情が押し寄せました。
その後は訳の分からないことを言っていたような気がします。
希望を持ってもらうはずの言葉が、逆に傷つけてしまってしまったんじゃないかと
後になって思うこととか。
駄目です、人間って自分に余裕がないと他人を思いやれないんですね。
彼は鉄道が好きでした。だから鉄道業に入るために頑張っていました。
しかし、現実には病気のために鉄道界へ進むことが出来ませんでした。
そして彼は悩み悩んで医療への道を志したのです。それはお世話になってばかりの病院の方々に恩を感じ、今度は自分が人を助けようと考えたからです。
自分で学校を決め、遊ばないで学費を稼ぐためにバイトをし、忙しそうに毎日を過ごしていたそうです。
社交的で、色んな人と関わりを持っていたと思います。
よい友人もいたように見えます。こうして人のため、自分のために努力する人が本当に素敵に思います。
昔から強い人でした。吹奏楽部でひどい講師に罵倒されても
文句をほとんど言わずに、自分で状況を改善するために練習を重ねる人でした。
そして彼は3年間、無事に吹奏楽部での活動を終え、OBとなったのです。
私は彼と一緒に活動していた時代、彼を強くて逞しく優しい心を持った人だとは気付いていませんでした。
愚かな私は高校卒業後にそのことに気付きます。
そして、彼のように逞しい人になろうと思っていました。
いつか何処かで先輩と顔を合わせても、恥ずかしくない人間になろうと思っていました。
どうやらそれは永遠に叶わないこととなってしまったようです。
本当にそうなんでしょうか。
信じられません。
信じたくありません。
駅に行けば会えるんじゃないでしょうか。
私の携帯に入っている先輩のアドレスにメールを送れば返事がくるんじゃないでしょうか。
こんな現実認めたくない。
先輩の両親を誰か助けてください。
時間が普通に過ぎていく。
生きていられるってなんて儚いんだろう。
検定も近いし、就活もしなくちゃいけない。バイトだってある。
つらいけど頑張るしかない。
周りの人間や雰囲気まで暗くさせるわけにはいかない。
生き地獄を味わっている私です。