吹く風ネット

法事の参列者

 ぼくの父は、ぼくが3歳の時に、働いていた工場で事故に遭い亡くなった。
 事故があったのは夜中、まだ電話が普及してなかった時代で、工場の人が家まで連絡にやって来た。その時の玄関ノックの音や、それを聞いた時の母や家の者の反応、病院で横たわっている父の顔、葬儀の模様、火葬場周辺の風景などが、ぼくの記憶の中に残っている。

 今から十数年前、その父の弔い上げの法要を、お寺の本堂で執り行った。亡くなって50年も経つのだから、わざわざ年老いた親戚や知人を呼ぶこともないだろう、ということで参列したのは母とぼくと嫁さんの三人だけだった。

 法要は三十分程度だったか。弔い上げというので、何か特別なことをやるのかと思ったが、いつもの法事と何ら変わりなく、淡々としたものだった。

 さて、住職が読経している最中に不思議なことが起きた。なぜか後ろの方に人の気配を感じるのだ。ここにいるのは住職とぼくたち三人だけなのにおかしいなと思いながら、振り返ってみると、
「えっ!?」
 なんとそこに数人の人が座っているではないか。まったく知らない人たちだ。皆グレーのスーツを着て、神妙な顔をしてお経を聴いている。

『法事が始まる時にはいなかったけど、いつここに入ってきたのだろう?』
『この人たちは寺の関係の人なんだろうか?』
『まさか・・。いやいやいくらお寺とはいえ、そんなことはないだろう』
 などということを、ぼくは読経の間考えていた。

 お経はおよそ二十分続き、正信偈で締めくくり、念仏を唱えて法要は終わった。
 ところが、ここでまたおかしなことが起こった。最後に住職が力強く「南無阿弥陀仏」と唱えたのだが、その瞬間、後ろの気配がサッと消えたのだ。
「えっ!?」
 振り返ると、先ほどいた人たちの姿はなかった。

 真剣に考えると怖くなるので、「これは夢だったんだ」ということにして、怖さを紛らわせた。

 しかし数日の間、そのことが頭にこびりついて、なかなか離れてくれない。そこで家に飾ってある観音様の置物に手を合わせ、「どうにかして下さい」と頼んでみた。
 すると、その日見ていたドラマの中に、「あの人たちはお父さんの仕事仲間だったんだよ」というセリフがあった。それを聞いて、ぼくの心が感応した。
『なるほど、あの人たちは、浄土からお参りに来てくれた、父の仕事仲間だったのだ。最後の法要ということで、お参りに来てくれていたんだ』
 そう考えると、怖くもなんともない。逆にありがたいことだ。ということで、そのことから解放されたのだった。


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