今日、ぼくの販売人生初めての事件に遭遇した。
午後2時前だった。ぼくが倉庫から売場に帰ってくる途中、「2階の駐車場に人が倒れている」という情報が入った。ぼくは、新しく店長代理になったIさんと二人で現場に駆けつけた。
見ると、五十面のおっさんがそこに倒れている。いびきをかいてなかったので、脳内出血じゃなさそうだと楽観していた。ところが近寄って見てみると、その辺りに大量の血が流れているじゃないか。おっさんの頭から流れているのだ。『もしかして、死んでるんじゃないんか?』と思いながら、Iさんと二人で声をかけた。
「おいちゃん、大丈夫ねー」
二度ほど声をかけたのだが、返事がない。そこで、息をしているかどうか確かめようと近づいた。その時だった。おっさんの脚が動いたのだ。どうやら死んではなさそうだ。Iさんは救急車を呼びに行った。
ぼく一人になった。こういう時、素人は何をしていいのかわからない。ただわかっているのは、頭を打っているようなので、絶対に動かしてはならない、ということだけだった。
そうこうしていると、おっさんが動き出した。
「おいちゃん、動いたらいけんっちゃ」
とぼくは軽く体を抑えた。しかし力だけは、まだあるようだ。もしこちらが力を入れ過ぎて、大事に到ってはならないので、ぼくは手を離し、おっさんの様子を見ていることにした。
しばらくして同僚のHさんがやってきた。一人で心細かったぼくはホッとした。しかし、二人になっても何をするでもない。ただ、救急車が来るまで、おっさんが動かないように見ているだけである。
ちょっと離れた場所から他のお客さんが見ていたのだが、大の大人が二人で、倒れたおっさんの前で何もせずに立っている姿は、きっと間抜けなものだったに違いない。
一応こちらも怪我の応急処置を知らないわけではない。しかし箇所が頭ともなると止血の仕方もわからない。まさか首を絞めるわけにもいかないし。出来ることといえば、タオルで頭を抑えることしかない。それも下手に抑えるわけにはいかないから、おっさんの頭にかぶせておくだけにした。
「しかし、どうして倒れたんかなあ。殴られて倒れたんじゃないんか」と、Hさんは言った。
「だとすると、犯人は怖くなって逃げたんですかねぇ」
「あ、こんなところに小便しとる」
そのおっさんが倒れていたのは、駐車場の壁面だった。その壁を見てみると、Hさんが言ったように小便の跡があった。どうやらそこで立小便をしたようだ。
「さっきから気になっとったけど、この車はなんですかねえ。もしかして犯人の車ですかねえ」
おっさんの横には、ぼろぼろの車が停まっていた。車の中を覗いてみると、運転席に靴が脱いであった。そのおっさんはサンダルを履いていた。おっさんの横には車の鍵が落ちていた。謎が謎を呼ぶ事件である。
とりあえず鍵がなくなったら困るだろうと、ぼくはおっさんのポケットの中に、それを入れておいた。
ぼくとHさんがいろいろと推理をしているところに、Iさんが戻ってきた。手にたくさんのタオルを持っていた。救急隊から「タオルか何かで傷口を押さえておいてくれ」と言われたらしい。
ぼくがタオルを頭にかぶせたのは間違っていなかったようだ。ただ、手で抑えておかなければならなかったのだ。
「そういえば、しんた君、電話が入ってたみたいよ」と、Iさんが言った。そこでぼくは一旦、店内に戻った。
電話が終わり、現場に戻ってみると、救急車が来ていた。
「車検証で身元がわかるけど、この人鍵を持ってないかなあ」と言っているところだった。
「横に鍵が落ちていたので、ポケットの中に入れておきましたよ」と、ぼくは言った。それを聞いて、救急隊がポケットを探ったが見つからない。
「ないよ!」と履き捨てるように言った。ぼくはムッとして、
「ちゃんと左のポケットに入れましたよ。ちゃんと探して下さい!」と言った。
おっさんを救急車に乗せたあと、左のポケットの中からその鍵が出てきた。が、もう用がないのか、救急隊の人は知らん顔していた。ぼくは再び、おっさんのポケットの中に、鍵を入れておいた。
救急車が出発してしばらくしてから、警察がやってきた。ぼくたちが血や小便の後始末をしようとすると、
「現場検証が終わるまで、そのままにしておいてください」と言った。
それにしても、すごい血である。あんな大量の血を見たのは、ぼくが高校の頃に鼻血を出した時以来だ。まあ、頭の傷だから大げさに出血するのかもしれないけど。
そのうち店長が来て、
「もう、店内に戻っていいよ」と言った。
閉店後、事務所に行くと、大量の「塩」が置いてあった。今日は血や小便をそのままにしておくが、明日掃除して塩をまいて清めるのだという。
「えっ、あのおっさん死んだんですか?」とぼくが聞くと、
「いや、死んでない」と店長は言った。
ただ、頭蓋骨が陥没していたらしく、くも膜下状態だということだった。
原因はいまだに不明だが、おっさんは酒気帯び運転でうちの店まで来たということだ。
おそらく、こういうことだと思う。
駐車場に車を停めて、靴をサンダルに履き替え外に出たおっさんは、寒さと酔いのために急に小便がしたくなり、車の後ろで立小便をした。そのあとで、店に行こうとしたが、何かの拍子に転んでしまい、車止めで頭をしたたか打ってしまった。顔には何も外傷がなかったので、殴られて倒れたわけではない。要はただの事故だったというわけだ。
しかし、あれだけの血を見ても、ぼくは少しも動揺しなかった。しかも、そのあとに食事をしたのだが、今日はいつもより弁当がおいしく感じた。以前なら、気分が悪くなって、弁当も残していただろう。おそらく、精神的に成長したか、不感症になったかのどちらかだろう。
この話、後日談があるのだが、そのことはまた後日。
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