2017年2月24日
我が国は、平城京の昔から技術や文化を提供するために、唐の国に指導員を派遣していた。二百年以上かけてそれらを吸収し習得した唐政府は、
「我が国に遣唐使は必要なくなったから、引き上げてほしい」
と平安京政府に要請してきた。
その時に対応したのが、遣唐大使である菅原道真だった。彼は
「うちが引き上げたら、貴国は大変なことになりますぞ」
と言って要請を断った。
しかし唐側はそれを無視し、遣唐使を追い返してしまう。
遣唐使がいなくなりセーブの効かなくなった彼の国は、現在の大気汚染と同じような国難に直面してしまう。それが元で国が乱れ、三百年近く続いた唐は滅亡してしまった。遣唐使廃止から十三年後のことだった。
「もしあの時、菅原道真の言うとおりにしていたら」
という後悔が、今も中国人の意識の中に残っている。
彼らが太宰府天満宮に参拝しに来るのは、唐代末期と似た現状を、菅公に救ってもらおうという理由からだ。