吹く風ネット

地震(後)ー福岡県西方沖地震ー

 (続きです)

2005年3月20日

 今日は朝から体調が思わしくなかった。下痢気味で、会社に行くまでに三度もトイレに駆け込んだ。おかげで家を出るのが大幅に遅れてしまい、遅刻してしまったのだった。
 会社に着いてからも、体調は治まらず、腹はグルグル鳴っていた。そこで腹が治るまで、なるべく動かないようにしていようと、店のテレビの前に立っていることにした。

 10時からの『いつみても波瀾万丈』を見終わり、「さて何を見ようか」と思っていた時だった。突然ズシンという音がした。
 次の瞬間、ミッシミッシという音とともに、建物が揺れはじめた。それと連動して、天井に吊り下げている照明器具がブランコのように激しく揺れた。地震である。

 腹に力の入らないぼくは、何度かバランスを失いそうになりながらも、そこに立っていた。不気味な揺れが弛んだ腹を刺激する。再び腹が痛くなる。
 すぐさまトイレに行きたかったが、揺れている時に動くのは賢明ではない。前回の例もあるので、揺れはあまり長く続かないだろう。そう思ったぼくは、我慢することにした。
 ところが、今回の地震はそんなに甘いものではなかった。いつまでたっても揺れは収まろうとはしない。終わってみれば、30秒ほどの揺れだったが、かなり長い時間揺れているように、ぼくは感じた。
 その間、商品がパタパタと落ちる音が聞こえた。このままいくと什器が倒れそうな雰囲気である。
「まずい、どうしよう」
 そう思った時に、揺れが収まった。
 それでもすぐにその場を動かず、余震に備えていた。が、それは起こらなかった。

 余震がないのを確認してから、ぼくは落ちた商品のところに行った。そこには、充電器セットが二つ転がっていた。落ちたときの衝撃で、パッケージが破れてしまっていたが、商品そのものは壊れてなかった。ぼくはさっそく、被害状況をカメラに納めた。ブログに投稿しようと思ったのだ。
 ところが、肝心の携帯電話が繋がらない。通信も通話も出来ないのである。もしやと思って、一般電話をかけてみた。案の定、不通だった。

 これは困ったことになった。実家の母のことが気にかかっていたのだ。
 もしガスをつけっぱなしにしていたら・・。
 もしタンスが倒れてきていたら・・。
 たぶん大丈夫だとは思うけど、いちおう70代である。もう老人の括りになっているのだ。確認を取りたいのだけど、電話がこの調子である。他の従業員も家に連絡を取っていたが、やはり繋がらないと言う。

 地震が起きて1時間半ほどたってからだった。ぼくの携帯が鳴った。
 嫁さんからだった。
「大丈夫やった?」
「おう。おまえんとこは?」
「うちも大丈夫」
「さっきから実家に連絡取りよるんやけど、繋がらんっちゃのう」
「ああ、お義母さんやろ。大丈夫やったみたいよ」
「えっ、繋がったんか?」
「うん、さっきね」
「何回電話しても繋がらんやったんよ。そうか、繋がったか」
「お義母さんねえ、家におらんかったらしいよ」
「はあ?」
「スーパーに買物に行っとったらしいよ」
「自転車に乗ってか?」
「うん」
「ホント、あのばあさんは」
「でね、家に帰ったら、棚の上にあったひょうたんが落ちとったらしいよ」
「被害はそれだけか」
「そうみたいよ」
 嫁さんの電話を切ってから、すぐに実家に電話を入れたのだった。

 さて、周りはこんなに大騒ぎになっていたが、夕方から仕事に入ったアルバイト連中はまったく緊張感がなかった。
「こんにちはー。なんか地震があったらしいっすねえ」
「はぁっ? 何が『あったらしいっスねえ』か。おまえ、あんな大きな地震がわからんかったんか」
「おれ寝てましたから」
「あんなに大きな地震、滅多に体験できるもんじゃないぞ」
「そうなんスか」
「今まで震度4は体験したことはあるけど、今回みたいな地震は初めてやった」
「へえー」
「・・・」
 しゃべっているうちに、だんだん馬鹿らしくなってきた。・・・
 


 このあと記事は、地震騒動のおかげで、お腹の調子が良くなったと続く。あの時は、周りは大型商品ばかりで、いつ落ちてくるかわからない。建物倒壊の恐れもあり、恐怖心で一杯だった。
 もしかしたら、その恐怖心が、お腹を回復に向かわせたのかもしれない。

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