吹く風ネット

保健委員

2002年4月5日
 新学期というと、いろいろな行事がある。その中にクラスの組織作りというのがあった。学級委員や体育委員などの役割分担である。

 この役割分担で、今でも忘れないのが、高校2年の頃にやった保健委員だ。
 2年の始業式の次の日、選挙方式でクラスの各委員を選出した。学級委員から決めていくのだが、担任から
「まだクラスの人のことを、よく知らんだろうから、今回だけ学級委員は私が決めたいのですが」
 という提案があり、みんなはその意見に従った。
 学級委員の次が保健委員だった。最初の選挙である。担任が言ったように、ほかの人のことを知らないのだから、当然選挙は知名度の高い人が選ばれるようになっている。ということで、1年の時変なことばかりやって目立っていたぼくに、白羽の矢が立った。

 一般的に言って、学校の保健委員というのは、いわゆる閑職である。ほとんどやることがない楽な係だ。ところが、高校2年の時の保健委員の仕事はひどかった。学校の本館と南校舎の渡り廊下の途中にトイレがあったのだが、このトイレを管轄するのが9組の保健委員、つまりぼくであった。
 高校2年の時、保健委員だけは1年間替われないという決まりがあった。ということで、ぼくは1年間トイレの管轄をしなければならなくなった。
 養護の先生は、休み時間であろうが放課後であろうが容赦なく校内放送で、「2年9組の保健委員、保健室まで」と呼んでは、「トイレが水浸しになっとるよ」とか「便器が汚れとる」と言ってぼくに掃除をさせた。
 トイレ中が水浸しになることは、2度や3度ではなかった。また、「こんなところにするか!?」という場所にウンチが転がっているのも、2度や3度ではなかった。これらを処理するのに、結構時間がかかったのを覚えている。

 さらに嫌だったのが、検尿集めである。容器を手で掴まなければならず、ぬるぬるして気持ちが悪かった。
 ただ、検尿を見てわかったことがある。それは、尿の色も人それぞれで違うということだ。透明な尿、黄色く濁った尿、白く濁った尿、など千差万別である。
「この尿で占いとかできるんやろうか?」などと思いながら、見ていたものである。

 いろいろと嫌なことばかりあった保健委員だったが、役得がないわけでもなかった。修学旅行の時、薬箱を管理されたのだが、そこに入っていた『トラベルミン』を好きなだけ飲めたのだ。修学旅行2日目には、すでにトラベルミンはなくなっていた。
 3日目に「気分が悪くなりそう」と言ってきた奴がいた。仕方がないので、「これが効く」と言って、胃薬を与えておいた。別にその後何もなかったから、効いたのだろう。
 まあ、そういう役得があったとはいえ、やはり高校2年の時の保健委員の仕事はきつかった。
 3年の時も引き続き保健委員をやったが、その時は楽だった。一応検尿集めはあったものの、それ以外の仕事はないに等しかった。

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