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まどかマギカ感想[新編]叛逆の物語。当然ではないがとても自然な結末。ほむらファンになるって「永遠の迷路に閉じ込められても構わない」そういうことよ

◎「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語」

○リンクとか。次の文章で、映画館での写真とかを載せます。
→劇場版前編「始まりの物語」の感想

→劇場版後編「永遠の物語」の感想

→劇場版新編「叛逆の物語」の簡単な感想


○ 2013年10月26日(土)公開の新編の、今更の、ネタバレばかりの感想です。
 ネタバレがほとんどない簡単な感想は10月27日に載せましたが、映画をあらためて見て、今回はネタバレばかりの取り留めもない感想です。

 なお、カギ括弧でくくった台詞以外の各キャラの台詞(下線部)はうろ覚えなので間違っているかも知れませんから、こういう意味のことを言っていた程度に御理解下さい。


 ほむらファンの私としては、自然な流れの結末だけれども、それ故にすっきりしない結末です。
 そのモヤモヤがずっと続いている感じ。

・総監督 新房照之
・監督  宮本幸裕
・116分


○ 3週目の上映前の注意事項は「物語シリーズ」の八九寺真宵(cv加藤英美里)で1週目と違っていたので「物語シリーズ」のHPを見たら、1週目は忍野扇(cv水橋かおり)、2週目は阿良々木火憐(cv喜多村英梨)&月火(cv井口裕香)、3週目は真宵、4週目は戦場ヶ原ひたぎ(cv斉藤千和) とのこと(井口さんは、まどかマギカ新編には出ていない。)。

 真宵は、キュゥべえ のような髪型や描き方で区別が付きにくい・・・

 しかし、4週目に戦場ヶ原を持ってくるということは、ほむら も出てくるということでしょうけれど、、、流石に4週目も見るというようなことは、しないと思う、、、多分。。。

 Blu-rayに収録されると信じよう・・・


○ さて、こういうのは滅多に買わないのですが、初日に運試しでラバーストラップ(700円は高い。。。)を1つ。


 ほむら が出れば最高でしたが、チーズを食べる百江なぎさ。
 箱に絵がないキャラなのでシークレットなのでしょう。そういう意味では、ツイていたのかな?そう思うことにしよう、うん。


○ 3週目以降の特典のフィルムコマ。結局、何種類あるのだろう?


 マミが向こうを向いている・・・マミはツンデレではないはずなのに、何故だ?
 キュゥべえ が可愛い笑顔・・・笑顔には裏があるという、世知辛い世の中!
 (パソコンの画面に置いて撮ったので変な線が入っていますが、気にしないで下さい。)

 1週目のミニ色紙は最高の2種類を手に入れたのですが(まどか&ほむら、杏子&さやか)、フィルムは今一つかな。


○ ところで、台風27号&28号が近付いていて、本州への上陸も心配されていましたが、10月26日の東京は普通の雨、それも夕方になる前に止みました。

 取り敢えず、「ワルプルギスの夜」ではなくて良かったです。

 26日の午前2時過ぎに福島県沖で地震。福島で震度4、東京で震度3。東京の揺れは大したことはありませんでしたが、目が覚め、少し長い揺れだったので、2011年3月11日大震災で(東京では)10話以降の放送が延期になりましたが、まどかマギカの公開のせいか?と少し心配になったり。

 台風による避難は大変そうでしたが、いずれも大した被害はなかったようで一安心です。

 ついでに、11月10日朝7時半頃には茨城県で震度5弱、東京で震度4でしたが、映画館に行く前にシャワーを浴びるために浴室に入ったところだったので、焦りました。。。



◎ 本題の感想です。

【魔法少女の楽しい日常。最初の30分位(時間は目安。)】

◎ 冒頭、暁美ほむら(cv斉藤千和)によるシリアスな語り。ほむら主役となれば、こういう雰囲気が相応しいです。

 と思ったら一転して、楽しげに協力しながらナイトメアと戦う4人の魔法少女達からの、TV版1話のような、まどか の寝起きや日常の楽しげな朝や登校の風景。鹿目まどか(cv悠木碧)と母の詢子(cv後藤邑子)との洗面所での会話、家族の朝食風景、食パンをくわえて走って通学する まどか とか、美樹さやか(cv喜多村英梨)と佐倉杏子(cv野中藍)と一緒に制服で登校する まどか とか。

 あり得ない光景という以上に、まどかマギカには不自然な光景に、違和感が大。


○ ここで、ほむら が例によって時間を巻き戻して、前作で神のようなアルティメットまどか になった まどか を元の普通の中学生に戻したのか、という嫌な予感が少しだけしましたが、勿論、そんな安易なことではなく。

 前作の感想で書きましたが、TV版も含めた前作での結末は、まどか にとっては自分で選択して覚悟を決めたことを成し遂げたのですから、その選択は幸せではあったのですが、まどか の選択により、まどか と一緒にいたいという、魔法少女になった理由でもある願いが叶わなかった ほむら にとっては不幸とも言える状態だったわけです。

 で、ほむら が幸せになるには、何度も何度も時間を巻き戻して、まどか に更なる魔法少女としての力をつけさせた上で、まどか に まどか&ほむら の2人ともが楽しくなれるような宇宙に作り変えてもらうという方法もあり得るわけです。

 ほむら は まどか に対してヤンデレなので、ほむら の積極的な意志でどうにかしようと思ったら、この手段は有り得ます。

 但し、物語としてはつまらないですし、直ぐに終わってしまいます。当然にそうではなくて良かったです。


○ ナイトメア(人間が見る悪夢)と戦う魔法少女達。各キャラに合わせた音楽とダンスで変身。影絵みたいな魔法少女が凝っているところかな。
 マミ、杏子、さやか のダンスはサマになっていましたが、ほむら と まどか のダンスがダンスっぽくなく間の抜けた不器用な感じ。まどか は80年代アイドルっぽいのか、可愛い魔法少女っぽいのか、そんな振り付け。

 変身シーン以外でも、相変わらず、裸もパンチラもないのは良かったです。5人が変身してから「ピュエラ・マギ・ホーリー・クインテット」と言うところは、、、私は一般的な魔法少女もののほとんどが苦手なのでノーコメント(好きなものとして今思い出せるのは、まどかマギカとリリカルなのは くらいであり、いずれも魔法や萌ではなく物語に主眼が置かれたアニメ。)。


 ただ、戦いのシーンでも会話のシーンでも、太ももを映すシーンが全体として多かった気が。

 もっと後の、巴マミ(cv水橋かおり)と ほむら が銃で戦うシーンは迫力があり、弾を避けつつ攻撃するときに後ろにそったマミの太ももシーンは特に格好良かったですが(CMで流れていたシーン。)、それ以外は、物語上は特に意味がなく、手や胴体の動きなどで感情を表すことは出来るので、太ももを見せるためだけのシーンに思え、不要です

 また、マミの胸が大きくなっていましたしアップもいくつかありましたが、変にユレたりはしていませんでしたが、この大きさも不要です。

 まどかマギカは、萌系やセクシー系にもって行って欲しくないです。


○ 最初のうちは気付かなかったですが、幼児のような訳の分からない言葉(魔女語?)で話す、マミのペットみたいな べべ(お菓子の魔女だった。)は阿澄佳奈さんだったんですね。

 べべ は百江なぎさ に変身しますが、なぎさ の出番は少なかったですし、なぎさ は物語上はいなくても良かった気がしますが
 べべ の出番は結構ありましたし、ほむら と観客に誰が犯人かをミスリードさせる意味では べべ は必要なキャラでしたが



◎ 前作では魔女の結界の中である異空間は「劇団イヌカレー」が描いていましたが(日常部分でも少し描いていましたが。)、最初からイヌカレーらしき絵が多いということは、そういうことなのか、それとも新編だから新しい意味が付与されているのか

 そもそも、杏子と さやか が仲良しだったり、杏子が制服を着ていたりというのが不自然ですから、どういう理屈でこうなったのかを考えつつ。まあ、そういうことだったわけですが


○ オープニング曲の絵。
 4人の楽しげな魔法少女達の輪に加われず、ほむら の表情が暗いのに、まどか と2人になると笑顔で手をつないだり。ほむら には まどか しかいないということを強調しているのでしょう

 ほむら にとって「たったひとりの私の友達」「あなたのためなら、私は永遠の迷路に閉じ込められても構わない」(10話のほむらの台詞。)という存在である まどか が ほむら の生きる意味であり目的であり全てであり、「今となってはたったひとつだけ、最後に残った道しるべ」(11話のほむらの台詞。)であることが前作の物語でしたが、、、新編も結局はそういう物語ですが、、、OPからそんなに強調すると ほむら が可哀想。。。


○ 5人で志筑仁美(cv新谷良子)のナイトメアと戦うときも、楽しげでのどかな戦い。
 この辺も結界の主である ほむら の願望ということでしょうが、まどか が喜ぶから ほむら の結界の中に ほむら が苦手なマミを入れたりしたのでしょうから、どこまで まどか に尽くすのやら。

 ただ、この戦いで、私達の戦いってこれで良かったんだっけ、と疑問を持つ ほむら。



【謎の提示と深まり&中どんでん返し。次の50分位】

◎ ほむら が杏子に、記憶が変だから確認しようと、水上の船か周りが水の建物のようなものの中でお願いするシーン。

 正対する2人ですが、2人を一緒に横から映しても個別に正面から映しても背景が常に左から右に動いています。

 よって、2人のいるところがどちらかの方向に進んでいるのではなく、時計と逆回りに回転しているのか、2人のいるところは止まっていて、周囲が時計方向に回転しているのか、です。

 魔法少女達がいる世界全体が魔女化した ほむら が創った結界の中と後で分かるので、後者でしょう。というかそれの暗示でしょう。外の時間は進むけれど、中の時間は異なる時間軸だと。



○ 2人が一緒に行動するシーン。

 バスや風景が更にイヌカレー色を強めたのは明らかに変であり、見滝原市から出られないのも変であり。
 ほむら は見滝原市の外がないことから魔女の結界の中だと気付き、1人で追加調査を。



 転校してきたときは弱々しい声だった ほむら の声は、少しずつ前作のいつもの ほむら の声に近付いてきていましたが、ここでメガネを捨てて(杏子からもらった大きな飴は袋が無いのでそのままカバンに入れるとは思えないので、メガネと飴を地面に投げ捨てたはず。)三つ編みの髪をほどいた頃には完全に戻っています。

 ほむら の声の変化とともに謎が明かされ、更に謎が深まって行く、と。



◎ 最初に べべ を疑う ほむら というのは妥当なところでしょう。

 べべ が詰問されたので怒るマミ。
 この後の2人の戦いは ほむら が時間を止めた中でのスピード感のある銃の撃ち合いですが、再び時間が動き出したときに弾が一斉に動き出すところは迫力。よく2人に当たらなかったものですが。

 でも、絶好調のマミの方が強く、危ないところを さやか に助けられる ほむら。


 さやか は何でも知っている、という感じ。今回はそういう役回り(べべ もですが。さやか と べべ は前作で死んだから、特別な役回りということなのでしょう。)。
 キュゥべえ(cv加藤英美里)に役回りがバレないように結界の中に入ってきたと さやか が後で言いますが、この役割を与えたのは ほむら か神まどか でしょう。


 とりあえず結界の主である ほむら と思っておきますが、悪魔になっていないときの ほむら に、死んで円環の理に導かれた さやか を連れ出せる力があるとは思えないので、神まどか かも。


○ マミも今が一番幸せ、と言っていたことも受けて、魔女の結界の中であることを、これってそんなに悪いことなの?、と ほむら に聞く さやか。

 その後で まどか に会ったシーンで、魔女になるような弱さは許されて良いはずがない、奇跡を願った まどか の犠牲を無駄にすることになるから許せない、と思う ほむら。


○ 前作でも2人とも一途ですが、円環の理に支配される前に「あたしって、ほんとバカ」(8話の さやか の台詞。)と言って魔女になってから死んだ さやか の方が考えが柔軟になっているのは、バカは死ななきゃ直らない、ってことでしょうかね(ただ、前作で神まどか が円環の理により宇宙を書き換えてからは さやか にこの記憶はないはずですけれど、円環の理に導かれた先で神まどか に聞いたのでしょうね。)。

 新編最後で ほむら が まどか と一緒にいたいという「愛」から悪魔になり、一途さをとことんまで極めるのとは対照的です。


 前作では、さやか は魔女になるときに自分の弱さを自覚したのに対し、自分の弱さに向き合えていない/強がっている ほむら だったわけですが、それは新編でもそのままということなのでしょう。

 この後の話からすると、ほむら が魔女化したこと自体はキュゥべえ のせいのようですが、結界内に見滝原市を創ったのは ほむら の弱さですし、そもそも まどか にもう一度会いたいと願ったのも ほむら の弱さですし(もう一度会いたいという気持ち自体を責めるのは酷な気もしますが、その気持ちが強すぎたところは責めるべきでしょう。)。


 その弱さが ほむらファンとしては愛おしいのであり、その弱さ故に幸せな ほむら の実現が論理的には極めて困難であることは分かっているのであり、それ故に ほむら の幸せを願わずにはいられないのであり。

 だから、ほむら が幸せになるのは まどかマギカの物語としては不自然な感じになりそうですし、ほむら が不幸になると単純に嬉しくはないですから、ほむら が幸せになっても不幸になっても、まどかマギカに少しの不満が残るのが ほむらファンの宿命なわけです。




◎ 夜の花の公園の2人のシーンで抱き合って話す まどか は神まどか と ほむら の記憶を無くしているだけで本物の まどか だとパンフにありました。

 まどか が神まどか になったときの話と分からないように遠まわしに、似たような状況になったらどうするか、自分は辛かった云々の話をして涙する ほむら に、ほむら ちゃんが耐えられないことに私が耐えられるわけがない、と優しく言う まどか(パンフによると、これも まどか の本心。)。

 ハッとして、まどか の神まどか化をどんなことをしても止めなければいけなかった、と思って後悔する ほむら。

 優しくしてくれてそれだけで幸せ、と言って立ち去る ほむら。2回以上見た人なら、ほむら はそんなんで満足していないくせに、と思ったことでしょう。


○ で、自分がほとんど魔女化していることを知って愕然として涙する ほむら。

 で、キュゥべえ が普通に話し出すと。キュゥべえ が暗躍していたと。

 最初はキュウキュウの類しか言わなかったですし、口を開けて食べ物を食べていましたし、そんなキュゥべえ は可愛かったですが、キュゥべえ が普通に話し出し、やっぱりキュゥべえ はキュゥべえ でしたし。


○ 魔法少女が魔女になった時のエネルギーの方が大きいからそれを利用するために神まどか が書き換える前の元の宇宙に戻すため、まどか に干渉して 神まどか を支配しようするキュゥべえ。

 前作で まどか が神のような存在になることによって円環の理という新たな原理に支配されるようになった宇宙ですが、その円環の理から ほむら を隔離できるとは、キュゥべえ の干渉遮断フィールドは流石過ぎ。


 まどか は宇宙が誕生したときから宇宙が円環の理に支配されたことに書き換えたのだと思っていたのですが、そうではないという意外なことになります。

 つまり、円環の理から隔離されると魔法少女が魔女になるということは、円環の理に支配されない場所=宇宙があるということであり、円環の理に支配される前の元の宇宙が宇宙のどこかに残っているということですから、それが意外。あるいは、円環の理を上回る理、それは多分、自然のなせるワザだと思いますが、その自然が円環の理を、いわゆる「進化」によって微修正したのかも知れません。

 まあ、まどか が宇宙を書き換えたときのミスということでしょうが、無限に広がる大宇宙、ですから、目が行き届かなかったところがあっても仕方ないのでしょう。


○ ソウルジェムを奪われて干渉遮断フィールドに隔離されたときには、既にソウルジェムは濁りきっていたとキュゥべえ が言っていたことから、ほむら は精神的に弱っていたわけです。
 「今となってはたったひとつだけ、最後に残った道しるべ」であった まどか のいない世界での戦いに絶望しかけていたのでしょう。


 なので、もう少し後のシーンで宇宙を書き換えながら、思い出したのよ、全てが まどか を思ってのことだった、と言う ほむら も考慮すると、ほむら は最初からキュゥべえ に騙されたフリをして悪魔になるつもりで干渉遮断フィールドに入れられたのかも、と最初は思ったところです。

 しかし、これだと結界の中で楽しい魔法少女ライフを長く過ごす必要はないわけで(結界の中で ほむら が転校してきてから少なくとも1ヶ月間が新編の物語。)、もっと早くに ほむら が魔女になって悪魔になっても良かったのではとも思い、どちらかと言うと ほむら は途中から悪魔になることを決意したと考えた方が妥当と思いますが、最初からと考えることも不可能ではないとは思います。
 もっと細かいところまで見ていけば、もう少し判別できるのかも知れませんが。


○ さて、前作で まどか は自分で考えて自分の意志で覚悟を決めて、苦しいことだと分かっていながらも前向きに神まどか を選んだわけですが、ほむら は魔法少女になった理由も まどか ありき、何度も時間を戻したのも まどか ありきであり、ほむら自身の意志というものが弱いわけです。

 新編で ほむら が最初から悪魔になると決めていたのであれば、未だしも意志が明確であり、ほむら も成長したものだと思えたところですし、意志あるところに道は開ける、と言うように新編の結論でも ほむら の未来に明るいもの(それでも、気持ちの安らぎでしかないでしょうけれど。)は見出せたのですが。

 しかし、そうではなく、どちらかと言うと途中から悪魔になることを決めたと考えた方が理解しやすいですし、花の公園で抱き合っていたときの まどか の言葉という他者を直接のキッカケとして悪魔化に向かったのでしょうから、やはり、まどか ありきです。



 新編でもやっぱり ほむら は成長していないと言うか、自立していない、親離れしていない、思春期まっただ中、子供、そんな感じ。
 それ以上に、最後のシーンでの、ほむら が創り変えた世界を まどか が再度創り変えることに怯えるところ、まどか と仲良しクラスメイトになれるのにあまり幸せそうではない ほむら の表情というのが、ほむら自身が自分の選択に自信を持っていないことの表れであり、それは、まどか の神まどか化と異なって、本当に自分の意志で選んだことではなく、他人が作った流れに乗った選択だったからでもあるのでしょう。


○ このように、ほむら は知らぬ間に魔女化し、ソウルジェムの中に まどか と楽しむ自分がいる見滝原市全体を、魔法少女等の記憶を改変して空想した ほむら。杏子と さやか が仲良かったり、杏子が中学に通っていたり、を空想した ほむら。

 イロイロと謎が明かされ、大どんでん返しへ。



【謎解き&大どんでん返し。最後の35分位】

◎ キュゥべえ の企みによって魔女化した ほむら というのは、自分の意志ではないので仕方ないでしょう(まどか にもう一度会いたいというヤンデレ部分により弱っていたと思われるので、そこは ほむら にも一定の責任はありますが。)。

 ここまではソウルジェムが壊れていないので完全な魔女ではなかった ほむら ですが、キュゥべえ の企みを知って まどか を利用させないために完全な魔女になる ほむら。

 魔女ほむら を倒して神まどか の迎えにより円環の理に導かれるようにする、なぎさ を含む5人の魔法少女達。


 神まどか が、待たせちゃってごめんね、これからはずっと一緒だよ、と言って魔女ほむら を迎えに来ましたが、それに導かれて旅立てば無難な終わり方で、それはそれでハッピーエンドでしたが、(アニメ内で現実的に考えると、これが ほむら にとってはベストな終わり方だと思うのですが、)途中から心変わりをした ほむら は、このときを待っていた、やっと捕まえた、誰にも分かるはずもない、この思いは私だけのもの、まどか だけのもの。言ったはずよ、まどか、もう二度とあなたを離さない、と言って神まどか から まどか を取り出し、神まどか が書き換えた宇宙を悪魔のようなものになって再度書き換えましたが、そんな ほむら というのはどうなのか

 宇宙を書き換えながら、思い出したのよ、全てが まどか を思ってのことだった、と言う ほむら というのはどうなのか。


○ ほむらファンの私としては、物語としてはとても自然で違和感が無いことに違和感を感じない位に違和感はないのですが、それでも少し引っかかったのは、もっと皆から祝福されるようなハッピーエンドを、ほむら がもう少し幸せになれる物語を無意識に望んでいたからでしょう


 まどかマギカがそんな物語になるわけもないことは分かっていたはずなのですけどね。
 アニメ内の現実世界の魔法少女全員のハッピーエンドなんて望むべくもないことは分かっていたはずなのですけどね。
 せいぜい、神まどか が魔女ほむら を円環の理に基づいて連れて行き、あの世で仲良くするのが限界でしょうけれどね。


 ほむら は まどか にヤンデレなので、(当然とは思いませんが、より正確には、ほむらファンとしては当然とは思いたくはありませんが、)自然な流れの物語です。

 まどかマギカにおいて、ほむらファンは ほむら同様に報われないということは、分かっていたはずなのですけどね。


○ もはや呪いではなく、これこそが、希望よりも熱く、絶望よりも深いもの、愛よ! もう悪魔とでも呼ぶしかないんじゃないの、と言う ほむら。


 この事態に驚くキュゥべえ は、これではっきりした、こんな途方も無い結末を起こす人間は僕達には制御できない、とあっさりと言うところは目がテンでしたが

 こんなにあっさりと考えを変えてはキュゥべえ らしくないと言うか、その程度のヤツとは情けないというか残念というか、キュゥべえ は魔法少女からすれば敵でもあるわけで、敵が大きくないと、これまでの魔法少女達の犠牲が報われない気が。

 パンフで斎藤千和さんがキュゥべえ のことを「最高の中ボス」と言っていましたが、それ以下な感じ。


 それはさて置き、同姓で「愛」とまで言われても、中学生ですし ほむら なので、同性愛までは行かない、病的に強い依存心だと思いますけれど。愛と依存心は混同しやすいですし、自分の存在意義を他人に求める ほむら の心理でしょう。



◎ EDの前後。

 ED前、ほむら が書き換えた宇宙で、3年ぶりに帰国した まどか が中学の同クラスに転校してきて2人仲良くできそうですから ほむら はもう少し笑顔でも良さそうなのですが、少しムスッとした感じ


 まどか が身の回りの状況に違和感を感じて、変わったのは私の方でもっと違う役目があったはずのような、と言う まどか に、血相を変えて、慌てて まどか を抱きしめて気をそらしたり。
 この幸せが一時的なものかも知れないことは自覚しているからでしょう。

 この次に、この世界が尊いと思う?欲望よりも秩序を大切にしてる?と まどか に聞く ほむら は自覚しているからでしょうし、ルールをやぶるのは良くないよ、と言う まどか も ほむら の予想通りでしょう。

 それなら敵になるかもね、と軽く微笑んで まどか に聞こえるように言ってから、まどか の黄色いリボンを取って、神まどか にもらって付けていた赤いリボンを まどか の髪に結び、あなたの方が似合う、と言って涙する ほむら というのはどうか。




 いずれ まどか と戦うという覚悟を本当に決めたのであれば、それまでの間は まどか と楽しく過ごせるでしょうけれど、そう思いたいのですけれど、どうなのだろう。
 「なんでだろう。私、ほむら ちゃんのこと信じたいのに、嘘つきだなんて思いたくないのに、全然大丈夫だって気持ちになれない。ほむら ちゃんの言ってることが本当だって思えない。」(11話での まどか の台詞。)。

 ほむら は、「本当の気持ちなんて伝えられるわけないのよ。」(直後の、11話の ほむら の台詞。)と答えるかもしれませんが。


 ここまできたら、戦う時まで、ほむら には例え一瞬でも まどか と楽しい時を過ごしてもらいたいです。



◎ 優しく少し楽しげなエンディング曲の絵は、左に まどか、右に ほむら のシルエットで、体を左右に軽く揺らして踊る私服の2人。

 最初は ほむら が向こうを向いているように見えたので神様と悪魔という正反対の立場にある2人を表したのかとも思ったのですが、曲の最後の方で2人が向き合い、手をつないで見えなくなるまで向こうに走っていくことから、ほむら もこっちを向いていたのでしょう。

 ほむら の夢とでも思っておきましょう、取り敢えず。


○ ED後の最後の最後、花の公園でキュゥべえ を半殺し(※)にしてから軽いステップを踏み、ほむら が高いところから自らの意志で倒れるようにして落ちるシーンと、半殺しのキュゥべえのアップで終わり。

 自殺か諦めを表すシーンかとも最初は思ったのですが、TV版の新作の噂もありますし、それを抜きにしてもこの時点でそれは早すぎます。

 自分が堕ちるところまで堕ちたことを ほむら が自覚していることを表したシーンといったところでしょう。

【※2014年6月21日追記:ここは、ほむら がQBをこき使っているからQBがクタクタなのだという説を聞きました。
 ただ、最初にそう思わなかった理由と、今でもそう思うことを少し不自然に思っている理由は、QBが草むらを通ってやって来るときに草とスレる音がクタクタな動きに聞こえないので、クタクタのQBがそのように普通に動けるとは思えないからです。
 よって、普通に元気なQBが ほむら のところに来てから ほむら にクタクタにさせられたと考える方が妥当と思った次第です。】



【感想のまとめ】

◎ この新編は普通には楽しみましたし、新編で決着を付けなかったこともあってか、(前作と異なって、)私は涙は出ませんでしたが、

新編は無かった方が「魔法少女まどか☆マギカ」としての物語のまとまりも良かったですし完成度も高かったです。


 でも、新編の結末をこうした以上、ほむら(悪魔)と まどか(神)が戦ってどちらが勝ってどちらの世界になるのか、あるいはどちらも負けてキュゥべえ が望む元の世界に戻るのか、あるいは、別の新しい世界になるのか、そんな話を作って決着を付けてもらわないとスッキリしません。

 ほむらvsまどかvsキュゥべえ の三つ巴の戦い。

 まどか が ほむら に本当の「愛」を教えることによって円環の理が復活するという、涙の大団円といったところでしょうか・・・

 どの結末になっても、物語としては納得できそうですけれど、なるべく ほむら が幸せになれる終わり方だといいなあ・・・・・

 ただその結末は、ほむらファンである以上にまどかマギカファンである私にとってはあまり理に適いませんけれど、新作までの間は、ほむらファンである私には、せめて夢くらいは見させて下さい。


【shin】
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