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思い付きブログ

革命機ヴァルヴレイヴ2感想。悠木碧が良い。ラストは少しだけ出来過ぎだが、犠牲が大きかったので良しとしよう

 2013年秋アニメの感想の続きです。

 秋アニメの感想も最後です。
 思ったより早く終わったのは、冬に続く秋アニメが多かったからと(見ているもので8本)、ざっくりとした書き方が少し分かってきたからでしょう。


◎「革命機ヴァルヴレイヴ 2nd SEASON」(2期)(全12話。1期と合わせて全24話。)

 アニメイズム枠。
 これまでのあらすじの振り返りも無しに本編突入。話数としても1期からつながっていますし(1期の感想はこれ。)。

 ラストが少し出来過ぎでしたが、シリアスアニメとして犠牲も大きかったので、そのくらいは大目に見ましょう。あれでラストで時縞ハルト(cv逢坂良太)らが勝てなかったら、悲しいですし後味が悪すぎます。
 通算16話(2期3話)冒頭とか何回か、平和な情景の中、過去を振り返る流木野サキ(るきの さき)(cv戸松遥)が出てきましたが、その時点で新ジオール国が上手く生き延びることを示すのは、少し早すぎな気も。そこでそう示しておけば、視聴者は、新ジオール国の高校生達が虐殺されるともハルトがルーンを使い果たして死ぬとは思わないだろうというミスリードを誘おうとしたのかも知れませんが。


 1期よりは良く、普通に楽しめました。



○ 通算14話(2期2話目)、連坊小路アキラ役の悠木碧さんの、発狂気味の、挙動不審気味の、言葉に上手く表せない状態の、声に出来そうで出来ない状態の、鬱屈した、含みのある、演技に聞こえない声。素晴らしいです。1期の最終話でも似たようなものがありましたが。

 悠木さんは「魔法少女まどか☆マギカ」(2011年秋)より前から出るアニメをチェックしていましたが、更に目が離せなくなったのはヴァルヴレイヴ1期(2013年春)が第一で、「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。」(2013年春)の兄思いの少し口の悪い妹、比企谷小町も少しな気がする。



○ 「神憑き(かみつき)」がヴァルヴレイヴを動かすには人間のルーンが必要だと明かされましたが、記憶と説明されていますが、ルーンって何なのか?

 映像で見る限りでは、ルーンを使うと写真が割れるイメージで表されるので、ルーンは思い出のような感じ。ルーンを使い果たすと死んでしまうことから思い出というのは変ですけれど(思い出も記憶も、なくなっても現実世界の人間は死なない。)、思い出なのでしょう。
 ルーンを使い果たしても言葉は話せますし、幼児化するわけでもないので、思い出と考えた方が良いでしょう(記憶の意味にも、思い出と同義もあれば、生活や生きていくのに最低限必要な記憶もあり、後者を失うと幼児化したりする。)。

 なお、通常の記憶喪失は記憶が脳から消えるのではなく、記憶はあるのに記憶が入っている脳の場所の鍵が開けられない状態ですから、このアニメの状態とは異なります(脳が物理的損傷を受ければ、記憶が消えて無くなることはありますが。)。

 思い出の大切さを言いたいのでしょうけれど、自分を自分たらしめているものの大きな要素が思い出だと言いたいのでしょうけれど、思い出の本当の価値は思い出を無くさないと気付かないのでしょうねえ、多分。
 でも、思い出が全部無くなれば未だしも、いくつか無くなっても、その思い出が無くなったことにも気付かないのですけれどね。


○ 中立地帯の月から地球に、追撃をかわして何とか降りましたが、一番の敵のドルシア国に不時着。

 大気圏に入ったばかりのところでのロボット同士の戦いは、どうやっても1stガンダムを思い出してしまいますけれど(これの出来は悪くはないですが。)。

 ドルシア国から旧ジオール領に向かう途中で流木野が捕まり、何だかんだで流木野を置いて宇宙に脱出、新ジオール国の指南ショーコ総理(cv瀬戸麻沙美)が苦労して各国に話を付けてドルシア非難決議をしようとしたら流木野が死なない神憑きであることが各国に生放送でバラされるとか(20話)。

 21話、その場でアルス国の大統領に特定危険生物7号に認定されるとか。
 神憑きではなく人間なのに、確認もせずに、基本的に新ジオール国に好意的なはずのアルス国の兵士に無差別攻撃で虐殺される新ジオール国の無抵抗の高校生達(数10人が虐殺された映像からして、実際は100人以上が虐殺されたのかも。神憑きなら簡単に死なないはずですけれど・・・)。

 恐ろしい敵、人間ではなく化け物だから何も考えずにひたすら憎悪をもってひたすら無差別に殺すというのも、人間らしいですけれど。

 結構シリアスなアニメとは言え、ここは、そうくるか、と驚きでした。話の流としては不自然さはありませんでしたから、問題ありませんが。


 ただ、そのシリアスさとリアリティの割に、エルエルフらがドルシア国の総統も神憑きと同様に死なないことを生放送で流したのを機に(23話)、以前革命で倒されたドルシア王の復権を願う王党派によりドルシア国各地でクーデターが起きたこともあって最後は勝てたのは、少しだけ都合が良すぎな気はしましたが。


○ 多数の犠牲を出しつつも、ハルトとエルエルフ(cv木村良平)が合体して敵を倒し、元々いた不満分子らが各地でクーデターを起こして101人評議会メンバーもマギウスも各地の人々に殺され(全員が殺されたのかは不明。マギウスは簡単には死なないはずですし・・・)、ショーコら新ジオール国は居場所を手に入れて一応の平和は訪れた様子。



 異星人のマギウスが人間に襲われたから逆襲し、長い年月を経てマギウスが一定数の人間のルーンを奪うこと(殺すこと。)と引き替えに共存するようになったという話は相互に現実的な大人の対応だったのでしょうけれど、マギウスとごく一部の人間による101人評議会による裏での統治にユガミが生じてきていたということでもあり。
 権力は人間を腐敗させ、横暴にさせるのは歴史の常ですからねえ。


 最終24話ラスト、22話冒頭のシーンで第三銀河帝国歴211年でしたから、ここでも地球時間で211年は経っているのだと思いますが、年を取った風もなかったですし、ヴァルヴレイヴのパイロットスーツ姿ですし、ショーコも神憑きになって死なない体になったのかな。

 とは言え、人間のルーン(つまり人間の命。)を奪わないと生きていけないのですから、誰も死んで欲しくないとさんざん言っていたショーコが神憑きになったというのは、少し不思議な感じはします(尤も、これも、やはり人間は誰もが自分のことが一番なんだ、ということで難なく説明出来ます。)。

 しかも、メモリアルコアに異星人(第53生命体)が侵入してきたとき、ショーコはハルトと同じデザインらしきパイロットスーツ姿でしたが、異星人から見れば、これって戦闘する気であるようにしか見えないのでは。
 その異星人に友好的に接したショーコですから、普通のスーツとかでいるべきだったのでは。
 ショーコは神憑きになったのでしょうからそれを示すためでしょうけれど、それは台詞で言わせるか、台詞でほのめかせば良かったのでは。

 例えば、異星人にハルトらの胸像の説明をするときに、「これはね、始まりの騎士っていう英雄の像。この国を創るときに死んでいった、私の大切な人なの。私達、仲良くしましょう。それで全てが解決するなんて言わないけど、そうしたら、痛みも喜びも、半分こにできるから。」と言っているのですから、「200年前にこの国を創るときに」とでも言わせれば良かったのでは。
 仮にそれが無くても、200年後の流木野と皇子らのいる部屋に異星人が来たとの知らせが入ってからショーコと異星人のシーンになるので、ショーコが200年後も生きているのだと分かりますが。

 まさか、ハルトのことが忘れられなくて、普段からハルトのパイロットスーツ(又は複製)を200年間着ているというイタイ子なわけでもないでしょうに。


 神憑きになる選択をした理由は、好きなハルト、そして共に戦った仲間との思い出を大事にしたかったということと、ハルトを巡る恋のライバルであった流木野への対抗心ということと、敵がいたから戦うためにしたということ(ハルトらが守ったものを守りたかったと同じこと。ただ、敵が攻めてきていたのかは不明。)、は思い付くものの、本当のところは良く分かりませんでしたが。


○ なお、旧ジオール国も新ジオール国も王制ではない民主制だったのに、この帝国は皇子がいることから、日本のような実権のない象徴としての王制なのか、それとも実権のある王制なのかは分かりませんが、何故に置いたのかが不自然で唐突です。

 また、銀河帝国という、かなり大きそうな国になったようですが戦いなしで大きくなるとも思えず、ショーコが攻撃されない限り戦うとも思えないので、同盟により大きくなったのかなあ。良く分からず。

 一方、皇子がドルシア国の王族の末裔だとしたら、新旧ジオール国とドルシア国が一緒になったというか、新旧ジオール国がドルシア国に併合されたというか、でしょう。きっと、これでしょう。

 ただ、ドルシア国民は、流木野ら神憑きと共存する道をよく選んだなあとか、それは総統を倒して王党派の復権のために貢献したからということで説明出来るとしても、
王族のそばに居させることをよく選んだなあとか、流木野やショーコらが王族を人質にしてクーデターを起こすかもと考えなかったのかなあとか、少し不思議な感じはします。


○ さて、最終話ラスト、ヴァルヴレイヴのコックピットには、思い出の写真だか何だかと「ニンゲンシンジマスカ?」のメッセージがありましたが、パイロットになればルーンを奪われるという仕組みが変わったとは思えないので、思い出の大切さと、文字通りに信じることの大切さを伝えたいという以上に意味があるのだろうか?


 視聴者に人間を信じることの大切さを伝えたいのだとしたら、それ自体は構わないですが、マギウス・神憑きと人間が仲良く共存している状態にあるのでない限り、コックピットを使うのは間違いです。
 ヴァルヴレイヴのコックピットは、血塗られた戦いの象徴であり、人間を神憑きにして人間から分断するものであり、両者の対立(命と引き換えにしないと、人間はヴァルヴレイヴで戦うことができない。)の場であるのですから。

 200年以上経っているのですから、仲良く共存しているのなら構わないのですが。


【shin】
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