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劇場版まどか☆マギカの歌「ルミナス」の解釈はこれで良いのか?

 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ」のオープニングの「ルミナス」(歌:ClariS、詞・曲:渡辺翔)の解釈について、自信がなかったのでいくつかのサイトや「リスアニ!」(2012年の11号)等を探して見たのですが、まどか の気持ちを歌った歌、という以上のものが見当たらず、自分の理解にますます自信をなくして随分と経ったのですが、年末ですし、モヤモヤしたままで年を越すのは気持ちの良いものではありませんので、

間違っていても良いじゃないか、人間だもの、

ということで、今更ながら載せておきます。

 いつもどおり、異論は大歓迎です。


 TV版(2011冬アニメ)のオープニングの「コネクト」(歌:ClariS、詩・曲:渡辺翔)は、鹿目まどか(cv悠木碧)と約束をした暁美ほむら(cv斎藤千和)自身のことを ほむら が歌った歌です。

 ほむら の歌である「コネクト」は、まどか が全てであって、ほむら 自身のことしか考えていない ほむら が表現された歌詞です。
 「ルミナス」が、「まどか の歌」である部分が多くを占めており、「最終的にはもっと大きな視点でみんなのことを考えて魔法少女になった まどか の歌」である部分が多くを占めており、同じ作詞家による2曲の対比、ほむら と まどか の心性の対比が上手いです。


 TV版エンディングの「Magia」(歌:Kalafina、詞・曲:梶浦由記)は、悲壮な覚悟を伺わせる曲調と合わせ考えると、ほむら 自身のこと、ほむら の まどか への思いを ほむら が歌った歌です。


 劇場版(2012年10月公開)のエンディングの「ひかりふる」(歌:Kalafina、詞・曲:梶浦由記)は、「私」が まどか、「君」が ほむら。
 ほむら への思いを まどか が歌った歌です。概念のようなものになった/なろうとしている まどか が、悲しむ ほむら を、優しく暖かく慰め、勇気付ける歌です。


 ここまでは問題ないのです。


 さて、いろいろと問題があるので歌詞は最小限しか載せませんが(それでもアレなのですが。)、御関心の方は、歌詞を載せているサイトもあるので、「歌詞」+「(曲名)」で検索して下さい。


 歌詞の最初から最後を歌詞のまとまりに合わせて、便宜上、1番に相当する、冒頭の「伝え合った心の温度を」から「君のココロを守るため」までが(1)、

 2番に相当する「記憶のない時の流れに」から「時のカケラの願いから」までが(2)、

 「救い信じて割れた想い」から「真実の奇跡になって」までの転調を(3)、

 「呼んだ希望辿って止めた世界を超えた」から「君の側にいよう」までの最後を(4)とします。


 1番である(1)は ほむら が自分と まどか のことを歌ったもので、「私」は ほむら、「君」は まどか。

 2番とまとめである(2)以降は まどか が まどか と ほむら のことを歌ったもので、「私」は まどか、「君」は ほむら。



 と私は解します。
 では何故、1番とそれ以外とで「私」と「君」が逆転していると考えるのか?


 (1)について、歌詞を赤字にし、説明を括弧に書きます。

伝え合った心の温度を

  〔→「コネクト」の「交わした約束忘れないよ 目を閉じ確かめる」のこと。〕

そっと大事そうに抱え歩いていた

答えのない願いの中で


  〔→上の2行について。ほむら にとって、まどか を魔女にしないことが唯一の生きる理由であり希望であり道しるべであり、それだけを胸に、何度も何度も時間を戻して まどか が魔法少女(=やがては魔女になる。)にならないルートを探して生きてきました。

  時間が戻ると記憶も無くなる まどか に理解されなくても友達に戻れなくても、約束が果たせるか分からなくても、ほむら自身がどんな苦難に会おうとも、ほむら は まどか と一番最初に「交わした約束」だけを頼りに生きてきました。〕

言葉は未来変えて

  〔→「言葉」とは、「交わした約束忘れないよ 目を閉じ確かめる」のこと。〕

  〔→但し、ここまでは、別の解釈もでき、最後で魔法少女になった まどか が ほむら の気持ちを歌ったと解しても問題ありません。しかし、そう解すると、次の4行がしっくり来ないのです。〕

幼い頃ずっと夢に見ていた私にはまだ
遠いけど君がいれば
少しは強くなれる気がして
明日の色を重ね塗った


  〔→ずっと病気がちで気弱な、ようやく退院したばかりの ほむら は、まどか達に憧れて魔法少女になり、魔法少女の悲しい末路を知って、まどか のお願いで まどか が魔法少女(=やがては魔女になる。)にならないルートを探して、何度も何度も時間を戻して来たわけです。

  その間、ほむら は体力的にも精神的にも少しずつ強くなります。「君がいれば少しは強くなれる気」がしたのは ほむら の方ではないでしょうか。
  まどか が魔法少女だった間は、ほむら よりもしっかりしていて、まどか が ほむら に対して「君がいれば少しは強くなれる気」がするとは思えません。
  アニメでメインで描かれていた時間軸では、ほむら と まどか の関係は良くはなく、まどか が ほむら を心の支えや参考にするとは思えません。

  まどか が ほむら の思いを知って2人が理解し合うのは、せいぜい、まどか が魔法少女になる決心をする数日前と考えるのが妥当なので、その間に まどか が「君がいれば少しは強くなれる気」になることはあるとしても、自分が神にもなり得る魔法少女になれることを知らされている まどか が ほむら のことを「私にはまだ遠いけど」と考えるとも思えません。

  また、数日間の出来事が、まどか にとって「明日の色を重ね塗った」と言えるほど「重ね」たとも思えません。


  つまり、ここの4行を誰の歌と解釈するかにより、(1)全体の解釈が変わるわけです。
  無理な解釈をすれば、ここも(2)以降同様に まどか の歌と解釈することもできますが、かなり無理があると思います。


呼んだ希望辿って止めた世界を超えた
諦めない想いいつしか心繋げた
泣いていたって笑って明日迎えに行こう
決めた誓い辛くて倒れても
君のココロを守るため


  〔→この5行の前の4行を ほむら が歌った歌と解すると、ここも同じと解さないとおかしいということです。

  一方、(4)は、この5行の最後に「君の側にいよう」が続いて終わりますが、(2)と(3)は間違いなく まどか が歌う歌詞ですから、(4)も まどか が歌う歌詞でないとおかしくなります。

  同じ歌詞なのに主語が逆転するのは、「君の側にいよう」があることからも問題ありません。神のような存在になった まどか が、TV最終話で同じ意味のことを ほむら に言っており、まどか の言葉と解する方が妥当です。

  (4)では、まどか は「君(ほむら のこと。)の笑顔取り戻す」ために「真実の奇跡」になることを決心し、「辛くて倒れ」そうになっても「君のココロを守るため」に「真実の奇跡」を成し遂げ、「君の側にいよう」と ほむら に優しく伝えたのでした。


  つまり、(1)の最後の ほむら の気持ちを歌った歌詞と(4)の最後の まどか の気持ちを歌った歌詞が同じであることにより、友達だったのにすれ違ってきた2人の気持ちが再び重なり、一時は失われていた2人の強い絆が取り戻されたことが強調されるわけです。

  命を賭した戦いの後で。



【shin】


2014年5月6日追記。

 相変わらず、ダントツでアクセスが一番の文章なので、今更ながら。

 →歌詞サーチの、「ルミナス」の歌詞へのリンクをはっておきます。


【shin】

コメント一覧

shin
http://yaplog.jp/shin99shin/
>あさん
ありがとうございます。
参考になれば幸いです。
(1)の「私」を強引にまどかと解釈していました(劇場版OPで「幼い頃ずっと夢に見ていた」の場面でまどかの幼少期が流れていたことに引っ張られて)が、それだと「遠いけど君がいれば」の「君」がいまいちはっきりせずモヤモヤしていましたので、貴方の解釈を見て納得できました。
そもそも「伝え合った心の温度」が何を指しているのかすら理解できていなかったので、改めてまどか☆マギカの奥深さを痛感できました。
ありがとうございます。
shin{流れ星}
http://yaplog.jp/shin99shin/
>へびちゃんさん
 コメントありがとうございます。
 アクセスが一番多いのにコメントがない文章なので。

 反論も歓迎ですが、賛同いただき、嬉しいです。
へびちゃん
すごい あってるあってるよー 感動をありがとう
 ますます この歌が好きになりました。
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