わたくしが意識を取り戻しました時、最初に見えましたのは、相当の年月を経たと思われる高い天井でございました。次いで、お線香の香が鼻を突きました。未だ朦朧とはしておりましたが、わたくしは起き上がりました。わたくしは白の寝巻を着て、畳敷きの部屋に敷かれた布団の上におりました。
周りを見回しますと、昼の陽なのでございましょうか、明るい日差しが閉じた障子戸からこの部屋へと射し込んできておりました。わたくしの掛けている布団の足元の方に、小柄で痩せた老婆が正座しながらこっくりと舟を漕いでおりました。
「……もし……」
わたくしは老婆に声をかけました。いつもの自分の声でございました。老婆はまだ舟を漕いでおります。わたくしはもう一度呼びかけを致しました。
老婆はうっすらと目を開け始め、わたくしの姿を認めると、ぱっちりと両の目を開きました。
「おやおや、まあまあ!」老婆は言うと、歯の無い口を大きく開けて笑いました。良うございましたなぁ。……しばし、お待ちを」
そう言うと老婆はすっと立ち上がりました。
「……あの、ここは……?」
わたくしは老婆に問いました。
「ここは、寺ですじゃ」
「寺…… ですか……」
「左様ですじゃ。まあ、しばしお待ちを」
老婆はそう言うと、部屋を出て行きました。ぱたぱたと軽やかな足音が遠去かって行きます。閉じられた障子戸からの日差しは温かでございました。わたくしはほっと深く息を吐きました。
不意に、さまざまな出来事が思い出されました。己が身に生じた忌まわしき事、父が母が、そしてばあやが、もうこの世にいない事。屋敷が炎に呑まれていた事。わたくしは頭を抱え涙を流しておりました。
と、部屋の外で音が致しました。先程の老婆の足音と、何やら重そうな足音とが聞こえました。
「これ、お坊様! 部屋には若い娘さんが一人ですぞ! いきなり戸を開けようとしてはなりませぬぞ!」
老婆の叱責が響きました。
「……いやあ、そう言うものか。それは済まん。何しろ、拙僧は女子(おなご)は不得手でなぁ……」
呑気そうな声が致しました。あのお坊様です。
「お坊様も突然お部屋に人が入ってきたら困るでしょうが」
「いや、そうは言うがな、おたきさんよ。拙僧は部屋どころか住む所も無いのでなぁ……」
「まったく、お坊様はああ言えばこう言うじゃな! もう良いわい! そこに居てくりゃれ!」
おたきさんはお坊様を叱ると、小さく咳払いを致しました。
「もし、お嬢様。開けても宜しいでごぜぇますか?」
おたきさんの澄ました言い方が可笑しくて、わたくしの口元が綻びました。
「……はい、宜しゅうございます」
「んでは、失礼をば……」
おたきさんが言い終わる前に障子戸が大きく開けられました。あのお坊様が立っていらっしゃいました。
「おお、元気そうなお顔になられたのう!」
お坊様は大きな声で言うと、呵々とお笑いになりました。その明るく豪快ない笑いにわたくしはほっとするやら、可笑しいやらでございました。
「もう安心じゃ! おたきさん、酒の用意をしてもらえんかね?」
「お坊様が、なあにを言っとんだね!」おたきさんがまた叱ります。「お坊様はこの寺にお嬢様を連れて来ただけじゃないかね。その後の世話は、わしがやったんだよ。酒なら、わしが飲みたいやな!」
「ははは、それはすまんかったなあ。なんせ、坊主が女性(にょうしょう)に触れるなど、憚られるでなぁ」
「何を言い出すやら……」おたきさんは呆れたように溜め息をつきました。「お坊様がそのお嬢様を肩に担いで連れてきたのではないかえ? それもほぼ着物が破れておって…… あっ!」
おたきさんは慌てて自分の手で口を塞ぎました。ですが、わたくしは気にしていないと言うように笑みを浮かべておりました。
お坊様がわたくしをお救い下さったのでございます。鬼から解き放って下さったのでございます。
「はっはっは…… そうだったかのう? 忘れてしもうたわい」
お坊様は言うと、部屋にお入りになりました。そして、わたくしの横にお座りになります。
「とにかくだ、おたきさん、酒の用意じゃ! 猪口は拙僧のおたきさんの分を持って来てくれ」そう言うとお坊様はわたくしをご覧になります。「……娘さん、あんたも飲むかい?」
わたくしは首を横に振りました。お坊様は大きく肯かれました。
「そう言うこった、猪口は二人分。後、何か摘まめるもんがあると良いな」
「ふん! 年寄り遣いの荒い坊様じゃ!」
おたきさんは言うと廊下を戻って行きました。
つづく
周りを見回しますと、昼の陽なのでございましょうか、明るい日差しが閉じた障子戸からこの部屋へと射し込んできておりました。わたくしの掛けている布団の足元の方に、小柄で痩せた老婆が正座しながらこっくりと舟を漕いでおりました。
「……もし……」
わたくしは老婆に声をかけました。いつもの自分の声でございました。老婆はまだ舟を漕いでおります。わたくしはもう一度呼びかけを致しました。
老婆はうっすらと目を開け始め、わたくしの姿を認めると、ぱっちりと両の目を開きました。
「おやおや、まあまあ!」老婆は言うと、歯の無い口を大きく開けて笑いました。良うございましたなぁ。……しばし、お待ちを」
そう言うと老婆はすっと立ち上がりました。
「……あの、ここは……?」
わたくしは老婆に問いました。
「ここは、寺ですじゃ」
「寺…… ですか……」
「左様ですじゃ。まあ、しばしお待ちを」
老婆はそう言うと、部屋を出て行きました。ぱたぱたと軽やかな足音が遠去かって行きます。閉じられた障子戸からの日差しは温かでございました。わたくしはほっと深く息を吐きました。
不意に、さまざまな出来事が思い出されました。己が身に生じた忌まわしき事、父が母が、そしてばあやが、もうこの世にいない事。屋敷が炎に呑まれていた事。わたくしは頭を抱え涙を流しておりました。
と、部屋の外で音が致しました。先程の老婆の足音と、何やら重そうな足音とが聞こえました。
「これ、お坊様! 部屋には若い娘さんが一人ですぞ! いきなり戸を開けようとしてはなりませぬぞ!」
老婆の叱責が響きました。
「……いやあ、そう言うものか。それは済まん。何しろ、拙僧は女子(おなご)は不得手でなぁ……」
呑気そうな声が致しました。あのお坊様です。
「お坊様も突然お部屋に人が入ってきたら困るでしょうが」
「いや、そうは言うがな、おたきさんよ。拙僧は部屋どころか住む所も無いのでなぁ……」
「まったく、お坊様はああ言えばこう言うじゃな! もう良いわい! そこに居てくりゃれ!」
おたきさんはお坊様を叱ると、小さく咳払いを致しました。
「もし、お嬢様。開けても宜しいでごぜぇますか?」
おたきさんの澄ました言い方が可笑しくて、わたくしの口元が綻びました。
「……はい、宜しゅうございます」
「んでは、失礼をば……」
おたきさんが言い終わる前に障子戸が大きく開けられました。あのお坊様が立っていらっしゃいました。
「おお、元気そうなお顔になられたのう!」
お坊様は大きな声で言うと、呵々とお笑いになりました。その明るく豪快ない笑いにわたくしはほっとするやら、可笑しいやらでございました。
「もう安心じゃ! おたきさん、酒の用意をしてもらえんかね?」
「お坊様が、なあにを言っとんだね!」おたきさんがまた叱ります。「お坊様はこの寺にお嬢様を連れて来ただけじゃないかね。その後の世話は、わしがやったんだよ。酒なら、わしが飲みたいやな!」
「ははは、それはすまんかったなあ。なんせ、坊主が女性(にょうしょう)に触れるなど、憚られるでなぁ」
「何を言い出すやら……」おたきさんは呆れたように溜め息をつきました。「お坊様がそのお嬢様を肩に担いで連れてきたのではないかえ? それもほぼ着物が破れておって…… あっ!」
おたきさんは慌てて自分の手で口を塞ぎました。ですが、わたくしは気にしていないと言うように笑みを浮かべておりました。
お坊様がわたくしをお救い下さったのでございます。鬼から解き放って下さったのでございます。
「はっはっは…… そうだったかのう? 忘れてしもうたわい」
お坊様は言うと、部屋にお入りになりました。そして、わたくしの横にお座りになります。
「とにかくだ、おたきさん、酒の用意じゃ! 猪口は拙僧のおたきさんの分を持って来てくれ」そう言うとお坊様はわたくしをご覧になります。「……娘さん、あんたも飲むかい?」
わたくしは首を横に振りました。お坊様は大きく肯かれました。
「そう言うこった、猪口は二人分。後、何か摘まめるもんがあると良いな」
「ふん! 年寄り遣いの荒い坊様じゃ!」
おたきさんは言うと廊下を戻って行きました。
つづく
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