「おねえちゃん、たいへんだね」
みきがさとみを見上げて言う。
「わたしより、みんなの方が大変よ」さとみが答える。「みんな命懸けだわ……」
「みんな、しんでいるんだよ?」みきが不思議そうな顔で言う。「それなのに、いのちがけ?」
「あら、変な事言っちゃったかな? みんな一生懸命って意味よ」
幼稚園児相手なのだが、さとみは対等なつもりで話してしまう。
「おねえちゃんはしんでいないの?」
みきがじっとさとみを見て唐突に言う。
「え? ええ、そうなんだけど…… みんなを助けたいって言うか、あの世に送ってあげたいと言うか……」
「ふ~ん……」
「何か変かなぁ?」
「おねえちゃん、ずるいわ。しんでいないのに、しんだようなことができるなんて」
さとみは返事に窮した。狡いなんて初めて言われたからだ。
「……それはね、わたしの、何て言うのかなぁ…… 使命と言うか、天命と言うか、定めと言うか……」
みきは理解できないのか、ぽかんとした顔をしている。
「まあ、とにかく、出来るんだから、仕方がないわ」
さとみはぶっきらぼうに言う。幼稚園児相手に怒っている自分が情けないと、さとみは思う。でも、いらいらさせられてしまう。
「あれっ? おねえちゃん、おこったぁ?」
みきが、からかうような眼差しで、さとみを見上げる。
「怒ってなんかいないわよ」さとみは答えるが、図星を突かれただけあって、声に棘がある。「……みんな、まだ掛かるのかなぁ」
階段を見上げながらさとみは言う。心配は当然だが、いらいらした気持ちを落ち着けるためでもある。
「やっぱり、おこっているんだ」みきは言う。「わたしのこと、きらいなんだ」
「いや、そんな事はないわよ」さとみは無理矢理な笑顔を作る。「ただ、みきちゃんって、ちょっとおませちゃんね」
「おませ……?」
みきは言うと、下を向いた。肩を震わせている。泣いてしまったのかとさとみは思った。おませと言う言葉が良くなかったのかしら…… さとみはしゃがみ込むと、あやすようにみきの頭に右手を置いた。
「ごめんね。泣かないで……」みきは頭に置かれたさとみの手を左手でつかんだ。思いがけない力で、さとみの手は離された。「みきちゃん……」
「……」さとみの手をつかんだまま、みきの肩がさらに震える。「……ふ、ふふふ、ふふふふふふふ……」
みきは笑っていた。さとみは立ち上がると、みきの手を振りほどこうと力任せに手を振ったが、出来なかった。それほどに強い力だったのだ。
みきは顔を上げた。
目尻が吊り上り、黒目が広がったように目玉全体が黒い。口角が頬の中程まで裂け、尖った歯が並んでいるのが見える。突き出された舌は先端が二股になって、それぞれが生き物のように蠢いている。
「え? 何? 何なのよう!」さとみは叫ぶ。「みきちゃん! どうしたの? ……そうか、誰かに操られているのね! しっかりして、みきちゃん!」
しかし、みきはさとみに手をつかんだままで、じっとさとみを見上げている。
「……綾部、……さとみ」
みきは、低い押し殺したような声でつぶやく。いや、それはみきの、幼い子供の声ではなかった。憎しみと呪詛が一緒になったような、地の底から聞こえてくるような声だった。
「……影!」さとみは驚く。「じゃあ、四階にいる影って、贋物なのね!」
正解とばかりに、みきの口角が少し上がってように見えた。
「……そうか、みきちゃんに憑りついて、逃げるふりをしてここに来たのね! あの、馬鹿竜二、まんまと利用されたってわけね!」
みきの、いや、影のさとみを手をつかむ力が増す。霊体なのに、さとみは激痛を感じていた。さとみは激痛に顔をしかめる。
「……痛いわ! 放してよう!」さとみは手を振りほどこうとするが、つかまれた手はびくともしない。「あなた、そんな幼い子供を利用するなんて、最低だわ!」
さとみを見上げているみきが、ふうっと息を吐く。黴臭く生臭い。さとみは顔をそむける。
「邪魔を…… 邪魔をするな……」みきの口を借りて影が言う。「邪魔をするな……」
「な~にが、邪魔をするな、よ!」さとみは睨みつける。「あなたがこんな所に出て来るのが間違いなのよ! 大人しく、元居た場所へ帰りなさいよ!」
「黙れぃ!」
影が怒鳴った。廊下全体が震えた様な衝撃が走る。さとみも衝撃で座り込んでしまった。しかし、影はさとみを離さない。影は真っ黒な瞳をさとみに向ける。座り込んださとみは影の瞳を見つめている。しばらくそのままだったが、次第にさとみの表情が緩んでくる。さとみは影に取り込まれつつあった。
つづく
みきがさとみを見上げて言う。
「わたしより、みんなの方が大変よ」さとみが答える。「みんな命懸けだわ……」
「みんな、しんでいるんだよ?」みきが不思議そうな顔で言う。「それなのに、いのちがけ?」
「あら、変な事言っちゃったかな? みんな一生懸命って意味よ」
幼稚園児相手なのだが、さとみは対等なつもりで話してしまう。
「おねえちゃんはしんでいないの?」
みきがじっとさとみを見て唐突に言う。
「え? ええ、そうなんだけど…… みんなを助けたいって言うか、あの世に送ってあげたいと言うか……」
「ふ~ん……」
「何か変かなぁ?」
「おねえちゃん、ずるいわ。しんでいないのに、しんだようなことができるなんて」
さとみは返事に窮した。狡いなんて初めて言われたからだ。
「……それはね、わたしの、何て言うのかなぁ…… 使命と言うか、天命と言うか、定めと言うか……」
みきは理解できないのか、ぽかんとした顔をしている。
「まあ、とにかく、出来るんだから、仕方がないわ」
さとみはぶっきらぼうに言う。幼稚園児相手に怒っている自分が情けないと、さとみは思う。でも、いらいらさせられてしまう。
「あれっ? おねえちゃん、おこったぁ?」
みきが、からかうような眼差しで、さとみを見上げる。
「怒ってなんかいないわよ」さとみは答えるが、図星を突かれただけあって、声に棘がある。「……みんな、まだ掛かるのかなぁ」
階段を見上げながらさとみは言う。心配は当然だが、いらいらした気持ちを落ち着けるためでもある。
「やっぱり、おこっているんだ」みきは言う。「わたしのこと、きらいなんだ」
「いや、そんな事はないわよ」さとみは無理矢理な笑顔を作る。「ただ、みきちゃんって、ちょっとおませちゃんね」
「おませ……?」
みきは言うと、下を向いた。肩を震わせている。泣いてしまったのかとさとみは思った。おませと言う言葉が良くなかったのかしら…… さとみはしゃがみ込むと、あやすようにみきの頭に右手を置いた。
「ごめんね。泣かないで……」みきは頭に置かれたさとみの手を左手でつかんだ。思いがけない力で、さとみの手は離された。「みきちゃん……」
「……」さとみの手をつかんだまま、みきの肩がさらに震える。「……ふ、ふふふ、ふふふふふふふ……」
みきは笑っていた。さとみは立ち上がると、みきの手を振りほどこうと力任せに手を振ったが、出来なかった。それほどに強い力だったのだ。
みきは顔を上げた。
目尻が吊り上り、黒目が広がったように目玉全体が黒い。口角が頬の中程まで裂け、尖った歯が並んでいるのが見える。突き出された舌は先端が二股になって、それぞれが生き物のように蠢いている。
「え? 何? 何なのよう!」さとみは叫ぶ。「みきちゃん! どうしたの? ……そうか、誰かに操られているのね! しっかりして、みきちゃん!」
しかし、みきはさとみに手をつかんだままで、じっとさとみを見上げている。
「……綾部、……さとみ」
みきは、低い押し殺したような声でつぶやく。いや、それはみきの、幼い子供の声ではなかった。憎しみと呪詛が一緒になったような、地の底から聞こえてくるような声だった。
「……影!」さとみは驚く。「じゃあ、四階にいる影って、贋物なのね!」
正解とばかりに、みきの口角が少し上がってように見えた。
「……そうか、みきちゃんに憑りついて、逃げるふりをしてここに来たのね! あの、馬鹿竜二、まんまと利用されたってわけね!」
みきの、いや、影のさとみを手をつかむ力が増す。霊体なのに、さとみは激痛を感じていた。さとみは激痛に顔をしかめる。
「……痛いわ! 放してよう!」さとみは手を振りほどこうとするが、つかまれた手はびくともしない。「あなた、そんな幼い子供を利用するなんて、最低だわ!」
さとみを見上げているみきが、ふうっと息を吐く。黴臭く生臭い。さとみは顔をそむける。
「邪魔を…… 邪魔をするな……」みきの口を借りて影が言う。「邪魔をするな……」
「な~にが、邪魔をするな、よ!」さとみは睨みつける。「あなたがこんな所に出て来るのが間違いなのよ! 大人しく、元居た場所へ帰りなさいよ!」
「黙れぃ!」
影が怒鳴った。廊下全体が震えた様な衝撃が走る。さとみも衝撃で座り込んでしまった。しかし、影はさとみを離さない。影は真っ黒な瞳をさとみに向ける。座り込んださとみは影の瞳を見つめている。しばらくそのままだったが、次第にさとみの表情が緩んでくる。さとみは影に取り込まれつつあった。
つづく
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