きよこの日記

勿忘草

緊急地震情報

2010-09-29 18:51:12 | Weblog
9月29日夕方5時。

夕食の支度にとキッチンにたったとたん、キュウーキュウーとなんともいえない変な音がする。
見渡せば、キッチンは電子音が鳴るものが多い。

端からホームベーカリー、電子レンジ、炊飯器、食器洗い器、IHヒーターなどなど・・・

そのどれとも違う音を出していた元は携帯電話。

見てみると、福島県に発生する地震警報だった。

それから20秒位経過してからNHKで地震速報を放送していた。

でも緊急地震速報が出た割にはおまり大きくなく、震度4.

気象庁も震度にして+-1は誤差のうちと発表していた。

それにしても試験的にラジオやテレビで流す音は聞いたことがあるが
生の予想だにしていなかった携帯からの音には少なからず驚いた。

緊急情報を受ける器具は持っていないが、携帯がその役目を果たすことがわかり
思わぬ収穫。

福島もあまり被害はなかった様子、何より、何より!

従兄弟の訃報

2010-09-17 06:52:11 | Weblog
猛烈な残暑が少し影を潜めた昨日、一日中PCでJRや航空会社の時刻表と格闘していた。
あまり旅をしない私としては京都以西は20年以上いっていないのでは・・・

兵庫県の母の実家を継いでいる従兄弟が胃からの大量出血でショック死をして、すでに葬儀は終わっていると連絡があったのは一昨日。

父親を早くに突然事故死で亡くした従兄弟は、後を継いだ長男があまりにも大きな世帯に圧倒され、精神的に参り、次男の彼が後を取り仕切っていた。
言葉数の少ない彼は農家の次男だったために、少々疎んじられていたように私は子供ながらに思っていた。
でも後を引き受けた彼は猛烈に働き、立派に一家を成し、子供、孫を教育し、すでに孫が一人前になっていると連絡してくれた従兄弟が話していた。

それにしても親子2代で突然死とは・・・・
思い返せばその父親、伯父は年末の29日だったか急な連絡で、母は帰省し、葬儀に参列した。
年末の行事は、近所の「お姉ちゃん」と呼んでいた人の手を借りて、姉と3人で、迎春の準備をしたことを思い出す。

その親戚には戦後の食糧難の時代を中学生だった姉と私は夏休みになると、食料疎開で田舎に行かされた。宿題をいっぱい持って、手伝いをしたり、習いたての浴衣を従姉妹のために縫ってあげたりした記憶がある。

まだ不便な環境で、水汲みが朝一の仕事で、とても私にはできなかった・・・あれから60何年過ぎ、あの界隈はどうなっているか・・・20年位前に一晩とめていただいたが、昔の記憶のほうが鮮明。

主人の状態のこともあり、日帰りをするが、昔ののんびりした播但線に特急が走っていたり、いささか驚きの一日だった。

法事の開始時間には少々間に合わないが、羽田発ANAの一番機で大阪まで行き、乗り換えて2時間近く。

こんなことを言っては亡くなった従兄弟には申し訳ないが、他の大勢の従兄弟に会えるのも楽しみ。
幼顔を思い出している。

残暑でうだってます

2010-09-02 08:29:15 | Weblog
主人が通常服用している薬が不足してきたとういので、予定より早く蓼科よりきたくしたのは
8月27日。

本来は9月3日まで滞在するつもりで、その分、薬を持ってくださいと何回も何回も話していたのだが・・・現実は例年のように、足りない・・・が始まった。
これは山仕事がなくなり、半分帰りたいとうい表現なのだが。

前日に、諏訪のお味噌屋さん一家、ご主人に奥さん、長女のMさんが親戚の下諏訪の旅館の経営者姉妹の方の運転で鹿山においでになった。

私たちは諏訪に行けば、よくご馳走になったり、いろいろの頂きものをしているので、
いい機会で連れてきてくださるお人がいて、これまた幸いなこと。

総勢5人でおいでになったから、ダイニングのテーブルでは小さいので、テラスのテーブルで
食事をすることにした。これとて7人は想定外なので、窮屈ではあるが。

お出しするものは前日にほとんど用意したが、一人で接待は大変でした。

今年は諏訪も暑く、何年か前にエアコン入れておいでだが、蓼科の風に吹かれ気分よくしておいで。大したおもてなしではなかったが、大ぜいの食事は楽しい。

旅館の姉妹の方があっという間に片づけを手伝ってくださるので、申し訳ない。
その方が、鹿山の同じ別荘の方とお知り合いで、時々来ておいでとか。
その方は、元大学の教授だったが、現在は能面師。
その傍ら、そばの研究をし、嵩じてそばの栽培も手掛けているほど。
その方から、そば打ちを習い、寒ざらしのそば粉を分けてもらっておいでとか。
そのそば粉で旅館で蕎麦がきをだしているとか。

世の中本当に狭いとまたまた実感。
秋に訪ねてご馳走になろうとおもっている。
江戸時代からの古い旅籠だから、江戸時代の版木もかなり蔵にあるそうで、それを見せてもらうのも楽しみのひとつ。

4時近くまでゆっくりしてくださったが、ご主人は99歳の高齢なのでお疲れ気味とお見受けした。でもカメラを向けておちこちと撮影をしておいでだったが・・・・

ともかく楽しい一日でした。

帰られてから、私が撮影して写真をコピーしてメール便で送った。