兄のシンパである方たちの手によってスタートした「蝶楽天」の追悼集プロジェクトには、家族として協力を求められてきた。私達に課せられた、兄の誕生からの年譜を支える写真や説明の文章については以前の打ち合わせで説明したり、その後のメールのやり取りで更新を加えていた。写真の選択をされたものに説明を加えたものを交換して校正の中に入っていたのだ。追悼集は皆さんが思うことのページと兄の年賦とで構成されるので兄の人生の大半については年譜でとらえつつ、皆さんが持っている接点での兄の人生の詳細なコマが更に明らかになるというものだ。
追悼集を纏めて頂いてきた、Sさんは某放送局の記者の方でもあり昆虫少年から蝶採集に目覚めていきそのまま深い沼に嵌っていき多くの方々との交流も厭わず人生を楽しんできた兄の生涯についてまとめることには使命感を持っておられるようだ。家族である私たちにとっては、兄の逝去に伴い互いの記憶を撚り合わせてファミリーヒストリーとして整理するというプロジェクトの完成に近づくということでもあり協力を惜しむことはなかった。
兄が遺してきたTSUISOには、ファミリーヒストリーに相当するパートの振り返りの投稿もあったことが、Sさんが年譜に取り込んできた記事から判明もした。もう父母の世代の多くは鬼籍に入られている状況で、我が家での長男である兄や親族との話を姉妹で一番記憶している末の妹が、原稿を支えている。姉妹や私が触れ合ってきた兄との話題も、写真などを通じて思い出すことも含めてこの追悼集が出来たときには残された親族の重鎮の方々にはお見せしてさらなる深いお話を聞き出す題材にしたいと考えている。
父と母のそれぞれの人生も不思議な縁で結ばれていて、それに連なる私たちや従兄弟や従姉妹たちの人生の切っ掛けも最初に踏み出した祖母の歴史に基づくものであることを再認識もした。兄の記事から、祖母には弟しかいないと思っていたのが実は姉がいたという事実が分かったりもして驚いた。
最終稿が仕上り、いよいよプロジェクトに出資して投稿された方や、支援として出資した方達に装幀された書籍として届けられることになる。私の知らない兄の人生を共にしてきた方達のお話が聴けたり写真なども見ることが出来るのを楽しみにしている。家族や親族にとっても我が家のセンターだった「虫のお兄さん」と位置づけられて、駆け抜けてきた兄の記録を手に取る機会は懐かしかったり見知らぬ兄をタイムマシンで見るような事にもなりそうだ。昨年のインセクトフェアで紹介され参加者を募り想定外の投稿申し込みなどでご苦労されてきたSさんだが、国営放送局に置かれても蝶にちなむさまざまな海外ロケなどもされてきている。兄のタスキを受け取ってくれて伝えるべき人たちの記録を残したいというのは記者魂ということでもあるかもしれない。そんなSさんの学校時代の生物部の後輩には、かれにあこがれていた民間放送局で浅利の研究でも有名なMアナウンサーがいる。そんな人の思いの連鎖も今時のツイートなどから見えてきたりもするのは面白い。
Sさんの編集の苦労をねぎらいパートナーの方や家族とで宴を囲みながら拝聴させていただくのが楽しみだ。