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幸せビートを感じながら∞自分そして宇宙の探究∞

自分自身の経験から得た、気づきや理解をお伝えしていきたいです。

詩を書いてみました。第22弾

2019-10-24 00:00:00 | 日記
今回は、詩を書いてみました。
ちょっと意味深です。


ある意味、宇宙の秘密とも言えるかもしれません。


『宇宙の鏡』


遥か彼方
果ての果て

何もない
虚空のような

深淵なる
闇のような

だけれども

何かあるような
静かなる安心

思考を超越した世界

・・・

意識を向けてみる
送り届けてみる

何かが返ってくる
まるで鏡のようだ

良い思いを送れば
良いものが

悪い思いを送れば
悪いものが

思いが強ければ
強いものが

思いが弱ければ
弱いものが

鏡のようなものに
反射して返されるだけ

鏡から反射して
映し出された世界に
われわれはいる

鏡の向こう側の世界
鏡という扉で閉ざされている

良い思いでもない
悪い思いでもない
高次元でもない
低次元でもない

一切の思考と欲を
取り払ったとき

ゼロの視点に立ったとき
その扉は開かかれる


以上です。


読んで頂き、ありがとうございました。


2019年10月24日 よしのぶ

自分という存在を感じてみる パート4

2019-10-15 00:00:00 | 日記
今回の台風も、大変でしたね。
来るたびに強大化してきています。
これから、どうなっていくのでしょうね。
とても怖いと感じています。
観察視点をもって、自分軸をしっかりしていく必要性をますます感じます。


さて、ご紹介した方法ですが、やって頂いていますでしょうか。


この方法自体は、非常に簡単です。
普通にイメージできる人であれば、誰でもできると思われます。
いつでもどこでも行うことができるし、やればやるほど気付きと理解があります。


方法自体は単純ですが、物凄く奥が深いんですね。
やればやるほど、その意味が分かって頂けるのかなと思ってます。


とは言っても、イメージ力については、かなり個人差があります。


ですので、イメージするのが得意な人は、とてもやり易いと思われます。
逆に、イメージするのが苦手な人は、やりにくいのかもしれません。


イメージ力は、とても大切です。


頭の中心奥深くへと、ひたすら突き進んでいって、
遥か彼方のさらに彼方の、もう何もない虚空のような所まで到達していく。


そこは、どこにあるのかも分からない、位置も方向も分からない。
自分が、どこにいるのかも分からない。
遥か彼方の果ての果てまで到達していく。


イメージが得意な人は、おそらく簡単にできるでしょう。
イメージが苦手な人は、真っ暗闇ばかりで、何かよく分からないかもしれません。


でも、イメージよりも、とても大切なことがあります。


感じることです。
見えることよりも、感じることの方が、ずっと大切です。
見えているだけでは、余り意味がありません。


ちょっと話しが逸れますが、目に見えないものが見える能力がある人がいますよね。
その能力を駆使して、人助けをしたり、商売したりしていると思います。
余りこのようなことを言いたくないですが、良くない人たちが多いように見受けられます。
中には、本当に素晴らしい人たちがおられることも、私は知っていますが。


話しを戻しまして、何かが見えること自体は、大して重要ではありません。
もちろん、見えた方が良いですが、気付き・理解していくことによって、
自然と必要なものが見えるようになってくるのです。


感じることです。
そして、気付き・理解していくことです。


遥か彼方に到達した時(自分自身の感覚でかまいません)、どのように感じるかです。


身体が心地よいか。
心が心地よいか。
心が静かになっているか。
安心感があるか。


これらのような感覚があるかどうかです。


そして、その視点から、世界や自分自身を見るのです。
理想的には、その視点から、常に観察できているのがいいです。


何かを見ている時
人と話しをしている時
人の話しを聞いている時
飲食をしている時
仕事をしている時
余暇を楽しんでいる時


何かをしている時でも、何もしていない時でも、どのような時であってもです。


そのようにして、日常の全てにおいて、観察視点で見ていくのです。


今回は、以上になります。


では、また。


2019年10月15日 よしのぶ

詩を書いてみました。第21弾

2019-10-08 00:00:00 | 日記
いやー、やばいですねぇ。
あいみょんさんにハマりまくりです。


彼女の声は、聴けば聴くほど、ハマっていきます。
やったことはないですが、まるで麻薬中毒のように感じます。


というわけで、私は、ハチャメチャです。
でも、大丈夫なんです。
遥か彼方の観察視点の自分が見てるから。


さて、今回は、詩を書いてみました。
なお、パート4は、次回に書きたいと思います。


『大きな僕』


お空の下で、お散歩
とても気持ちいいなぁ
とても幸せだなぁ


お空の中に、溶けちゃいそうだ
なんか、溶けちゃったみたい
僕の頭が、お空になっちゃった


お空から、下を見る


あっ、小さな僕がいるよ
僕の周りで、世界が動いているよ


ああ〜、そうなんだなぁ
僕は、見ているんだ。世界を
そして、小さな僕を


僕はじっとしていて、周りが動いている
僕が世界を見て、楽しんでいるんだ


小さな僕は、いつもハチャメチャ


笑ったり、怒ったり、泣いたり
悩んだり、苦しんだり


だけど、僕はいつも見ているよ


だから、大丈夫だよ
小さな僕


思い切り、羽を伸ばして
思い切り、はしゃいで
思い切り、遊んでね


そのままで、いいんだよ
何も問題ないんだよ


僕はいつも見ているよ


以上です。


読んで頂き、ありがとうございました。


2019年10月8日 よしのぶ

自分という存在を感じてみる パート3

2019-10-02 00:00:00 | 日記
前回の記事は、超久しぶりな歌の紹介でした。
現在も、あいみょんさんの歌にどハマり中です。


さて、本題に入ります。


私の個人的な価値観にしか過ぎないかもしれませんが、常々、次のように思ってます。


 ハチャメチャでもいい、思い切って生きていく


「ハチャメチャ」と書くと、悪い意味で取られる事が多いと思います。
良い意味で取られる場合もあると思いますが。




でもねぇ。




私の視点から観れば、私自身も含めてみんな、ハチャメチャのように観えます。
良い意味でも、悪い意味でもです。


 喜んだり
 怒ったり
 泣いたり
 笑ったり
 悩んだり
 苦しんだり


そして・・・


 人を好きになったり
 人を嫌いになったり
 人を恨んだり
 人を妬んだり
 人を羨んだり


宗教的には、これらを煩悩というようですが。


これらの煩悩とやらを嫌って、一生懸命やっている人たちがいると思います。
スピリチュアルな世界にハマっている人たちです。


その人たちの中には、次のように叫ぶ人たちがいます。


『煩悩や執着を捨て去り、高次元を目指していこう』


とても素晴らしい志をお持ちだと思います。
でも、私の価値観ではないです。


ですので、そのようなスピリチュアルな人たちも、ハチャメチャのように観えます。


でも、私は、それでいいと、思っています。
この肉体次元では、普通と感じています。
むしろ、そのようなハチャメチャを経験しているとさえ感じています。


しかし、ただ単にハチャメチャなだけでは、本当にダメになってしまいます。


それで、ご紹介した方法なんですね。


肉体次元の自分は、ハチャメチャだけれども、そうではない視点がある。
そうではない次元の自分が存在している。


普通は、意識していなければ、この肉体次元の視点しかないと思います。
でも、静かなる歓喜している、問題の生じていない視点の自分がいるのです。


完全完璧に、その視点で観るというのは、なかなか難しいかもしれません。
ですが、その遥か彼方の視点で観ると、世界や自分自身が全く違って観えてきます。


視点は、複数あるほど良いと思ってます。
それらの複数の視点で、生きていくのです。


今回は、以上です。
また、書きたいと思います。


2019年10月2日 よしのぶ