子供を産むまで、生き物の命とか、自然の大切さとか、生命の営み
なんてほとんど気にしていなかった。
子供が産んで育てるうち、そういうことも考えるし、教える必要がある。
教えることで、責任がうまれた。自分の言葉に嘘はつけない。
私はもう無駄に生物を殺せない。殺したくない。
海の釣り場、防波堤には無数のフグの死骸が転がっている。
これは釣り人が殺したもの。私はこれを見るたびに辛くなる。
フグの死骸も、鳥も猫も犬も私にとってはあまり変わらない。同じ死骸。
だから辛い。殺す意味も納得がいかないからこそ、また辛い。
幼かった愛息子は、その光景を見て
「かわいそう。」と言った。
この心を伸ばすのが親である私の責任。
あの日は2人で、ハエのたかるフグの死骸を一匹ずつ海に戻した。
アスファルトで朽ちるより、海の糧になれる方がいいと思ったから。
サメも猿もアリも駆除される。
このフグも駆除なの? いやちがうでしょ。
フグしか釣れなくても生活に支障は無いし、命を狙われる危険もない。
ただの魚だ。
「フグが釣れることも釣りなのだ」と、楽しんで
笑顔で海にかえしてもらえないのだろうか。
子供はフグが釣れても楽しむ心を持っている。
じーーーーーーっと見て、
いつか目の前の大人と同じ大人になるんだよ。子供は。
はぁ。 こんなとこで何を言っても誰にも伝わらないのかな。
河豚ふぐフグ…。殺さないと本当にダメなの? 誰か教えてよ。
むしろ100%同じだなんてありえない。
でも、もう少しやさしい心を身につけましょうよ。
SHEさんが何を聞きたいのか。
そのコメントを見てSHEさんがどんな気持ちになるか。
このブログを見に来た人たちがどんな気持ちになるか。
自己主張したいならご自分のブログを開設することをお勧めする。
たまにフグを踏み潰す人もいますが、生かすか殺すかとは思っていないのではないでしょうか?おそらく、動いているか動かなくなるか そのくらいの感覚ですよ。
今回SHEのこの記事には、人間の生死についての価値観等は含まれていません。なぜなら、人間はすでに地球上の食物連鎖からはずれ、独自の生活をしているから。(細かく言えばキリがないが 人間の死は、地球上の生物にとって、何の糧にもならないので。)
人間のことを人間同士で決め、守っていくのは当然で、そこに付随する個人の価値観・意見・信念・有益・無益は、今回はまたまったく別問題。
人間は、もう本能だけでは生きられず、欲求をモラルで抑える集団生活をしている。動物は本能・集団生活を逸脱したものには、有無を言わさず死が待っている。それだけでも人間が言う「死の価値」などは動物と比較しても
話しにならない。人の間の話しはまた別の機会にゆっくりと。
食物連鎖にも入れず、人間の死は他の生態の糧になることもできない、自然を破壊する事でしか生きていけない私達が、生き物を殺す時、みんなは何を思うのか。 ここです!
動物にとっては私達の生こそが無益・有害。
それでも人間は生きる為に、命をいただく。
生きる為に命を奪うこと。これは本能。
単に殺すこと。これはなんだ? フグを擬人化したら…無差別殺人。秋葉原の事件のようだ。・・・こわっ。
わかりやすいように極端にしましたけど…。
そんな私達が、フグを淘汰するっておこがまし過ぎないか?
というのが私の問いです。
表面的で中立のうんちくよりも、私はKICHIちゃんの考えが知りたいのよ。
・釣りでフグは殺すのか?
・フグはその時殺さなければならないのか?
・まったく興味がないのか。
・もともと触れないから関係ないよ なのか。
ということでなんです。
きつそうな文面になっちゃったけど、真剣に返信を考えたら、こんな風に…。特に怒ってるわけでもないので♪
おいしく料理をするあなたなので、
おそらく食材の命を大切に調理してるだろうな~
と思い込んでいます。
お互い主婦だけに、命を無駄にしないような
食事をつくっていきたよね♪
男でも命の重みは分かります。高校に入学した頃10年飼っていた愛犬が亡くなりました。少しの間は あいつは幸せだったかな?俺の飼い方で良かったのかな?手術せずにメスとして当然の子育てをさせてあげた方が良かったのか? と、祖父母が他界した時と同じように悲しみました。自分にとっては犬も家族の一員だったからです。
有益、無益な殺生とは誰にも決めることは出来ないと思います。もし、大切な家族が交通事故で重体となったら貴方はどれだけ心配しますか? 新聞の事故欄をみて同じ気持ちになりますか?
人に限らず地球上の全ての生命は命の重さにそれぞれ価値を付けています。殺人を犯した者を死刑にする。普段これも「人を殺したのなら仕方ない」と勝手に命の価値を落とした見方をしていませんか? 病いに苦しみ死が迫った子供に代われるものなら私の命を分けてあげたいと思う親は、自分の命より子の命の方が大切だと思っています。
生きていく為には他の命を頂きます。人も動物もそうです。では生き物を殺さなければそれで問題は解決でいいの?
人が生活の為に木を切る。森が無くなればそこに住む動物は生活できなくなり、住家を変える。すると新しい土地の生態系が変わる。植物だって自分が沢山日光を浴びる為、小さな草に光が届かないとしても自分が成長するためにより多くの葉を出します。
何が無駄、有益かは立場が変われば見方も替ってしまうのです。植物を使うだけなら問題ないというのは間違いです。
世界共通で人の歴史に戦争はつき物です。西洋の植民地になったヒンズー教とイスラム教の地がありました。当時最新の油紙で包んだ弾薬を使用する銃器も持ち込まれました。弾は豚の油を使った紙で包まれ、弾には潤滑剤として、牛の油が塗られていました。ところが、二つの植民地同士で戦争となりました。発端は、神と崇める牛を油の為に殺すのか!、汚らわしい豚の油を触るのか!という考え方の違いです。皮肉にも教えを守ろうとした聖教者によるものでした。この教え、考え方が正しいとは言えないのが、この戦争から伺えます。
生存本能、食欲、性欲。。。人間は欲深いですが、生きる物全てに欲があるからこそ生き、進歩していくのではないかと思うのです。もし、全ての「欲」というものが無ければ平和でしょう。しかし、それでは生きていけませんし、絶滅します。生き物の存在や、価値は数学のように答えはありません。極端ですが、法律の名の下、数字の0と1の様に、有罪、無罪としない限り、何が正しくて、何が悪いのか。この答えは永遠に出ないものだと思うのです。
人として当然知っていなくてはいけないことです。
突き詰めてしまえば完全な菜食主義になるしかないが、命を頂戴して生かされていることを
いつも考えなくちゃいけないね。
ムダな殺生は私もしません。