昨晩からの雨のせいもあって、窓の外は白くかすんでいる。
しばらく天気の良い日が続いていたので、珍しい光景にしばし見入ってしまう。
空からおりている白いレースのカーテンのようで、遠くに見える街並みがそのやわらかい白に溶け込んでいる。
いつもなら、富士山が見える方向もスクリーンに覆われている。
自由なイメージが広がる。
はっきりと見えていないほうが、自由に描くことができるのかもしれない。
目は見えているものに、いろいろとごまかされてしまうことがある。
確かなものに心は動きがちだけれども、その後ろ側に隠れて見えない大切なものがあることを忘れてはならない。
そういえば、夏のグロースセミナーで、真っ暗な夜道を歩くナイトハイクで霧がかかってしまっていることがよくある。
光もないうえに霧で何も見えない。
手を伸ばすと、自分の手のひらさえ見えない。
そんな時に子供たちは、自分がつかまっている一本のロープを強く握りしめる。
グループがその一本のロープでつながっている。
「見えなくても、みんながつながっている」
そんなことをつぶやいた子どもがいた。
今朝は、そんなことをぼんやりと思っていた。
しばらく天気の良い日が続いていたので、珍しい光景にしばし見入ってしまう。
空からおりている白いレースのカーテンのようで、遠くに見える街並みがそのやわらかい白に溶け込んでいる。
いつもなら、富士山が見える方向もスクリーンに覆われている。
自由なイメージが広がる。
はっきりと見えていないほうが、自由に描くことができるのかもしれない。
目は見えているものに、いろいろとごまかされてしまうことがある。
確かなものに心は動きがちだけれども、その後ろ側に隠れて見えない大切なものがあることを忘れてはならない。
そういえば、夏のグロースセミナーで、真っ暗な夜道を歩くナイトハイクで霧がかかってしまっていることがよくある。
光もないうえに霧で何も見えない。
手を伸ばすと、自分の手のひらさえ見えない。
そんな時に子供たちは、自分がつかまっている一本のロープを強く握りしめる。
グループがその一本のロープでつながっている。
「見えなくても、みんながつながっている」
そんなことをつぶやいた子どもがいた。
今朝は、そんなことをぼんやりと思っていた。
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