少し前に、世界的指揮者である小沢征爾さんの『ボクの音楽武者修行』についてブログで触れた。
改めて読んでみたくなって、取り寄せてみました。
彼がまだ26歳のころに書いた本で、つまりそれまでの3年間のヨーロッパ、アメリカでの音楽活動の様子がイキイキと描かれています。
「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土地、そこに住んでいる人間をじかに知りたい」
そんな思いで、スクーターにまたがって船でヨーロッパに単身向かった小沢征爾。
いまでこそ、世界のオザワ、だけれども、まさに彼は初めから世界のオザワとして生きていたことがうかがえる。
才能はもちろんなのだけれども、まさに「一行三昧(いちぎょうざんまい)」
禅の言葉だけれども、彼が何かに向かっていく時のひたむきさは、まるで修行僧のようにも感じる。
フランスに渡り、そこで知ったブザンソン国際指揮者コンクール。
「棒ふりコンクール」と、彼は言っているけれども、その「棒ふりの修行」にヨーロッパに来たわけだから、それに申し込むことになる。
その当時は、世界中で、このブザンソンでしか指揮者のコンクールはなかったらしいのだけれども、手続きの不備で締め切りが過ぎてしまったのだ。
ここからが違う。
まず日本大使館に飛び込む。
でも、思わしくない。
知人から聞いていた、アメリカ大使館の音楽部。
「何とかなるかもしれない」と思って、そのアメリカ大使館を訪れる。
そこにいたのが、マダム・ド・カッサ。
******
ぼくは、今までの事情を説明して、
「日本へ帰る前に一つの経験としてブザンソンのコンクールを受けたいのだが、今から何とか便宜をはかってもらえないだろうか」
と、頼み込んだ。
すると、
「お前はいい指揮者か?悪い指揮者か」
と聞かれた。
ぼくはでっかい声で、
「自分はいい指揮者になるだろう」
と答えた。
マダム・ド・カッサはげらげら笑いだした。しかしすぐに長距離電話で、ブザンソンの国際音楽祭事務所を呼び出して、
「遠い日本から来たのだから、特別にはからって受験資格をあたえてやってほしい」
と、頼んでくれた。
*******
結局2週間ほど待たされた結果、参加できることになるのだけれど、またそこからの猛烈な勢いがすごい。
寝る間も惜しんで、「スコアを手離したことがない」ほどに毎日音符とにらめっこをする。
指揮というのはかなりの体力がいるらしく、それは「アスリート」のようなものだと彼は言っているほど。
第一次予選を通過し、第二次予選も通過。
54人の参加者が絞られて、いよいよ本選にはたったの6人。
一人一人が、完全に遮断された部屋に入れられ、順番が来ると初めてそこでスコアが渡される。
わずか5分で、この初見のスコアで指揮を執るのである。
そして、結果は「一等賞」
この、あきらめない精神は、何か事を成し遂げた人たちに共通している。
思い出すのは、写真家の星野道夫。
アラスカ大学を受験して、英語の点数が足りなくて落第。
でも、学長に直談判にいく。
アラスカへの情熱を伝え、「英語の点数が足りないなんてことで、一年を無駄にする時間はないんです」と言って、特別に入学させてもらうのです。
自分が26歳のころ、失意の連続で会社を辞めようとしていたことを思い出す。
世界のオザワではなく、まだ無名だった頃の彼の生きざまに触れて、また勇気をもらうことができました。

改めて読んでみたくなって、取り寄せてみました。
彼がまだ26歳のころに書いた本で、つまりそれまでの3年間のヨーロッパ、アメリカでの音楽活動の様子がイキイキと描かれています。
「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土地、そこに住んでいる人間をじかに知りたい」
そんな思いで、スクーターにまたがって船でヨーロッパに単身向かった小沢征爾。
いまでこそ、世界のオザワ、だけれども、まさに彼は初めから世界のオザワとして生きていたことがうかがえる。
才能はもちろんなのだけれども、まさに「一行三昧(いちぎょうざんまい)」
禅の言葉だけれども、彼が何かに向かっていく時のひたむきさは、まるで修行僧のようにも感じる。
フランスに渡り、そこで知ったブザンソン国際指揮者コンクール。
「棒ふりコンクール」と、彼は言っているけれども、その「棒ふりの修行」にヨーロッパに来たわけだから、それに申し込むことになる。
その当時は、世界中で、このブザンソンでしか指揮者のコンクールはなかったらしいのだけれども、手続きの不備で締め切りが過ぎてしまったのだ。
ここからが違う。
まず日本大使館に飛び込む。
でも、思わしくない。
知人から聞いていた、アメリカ大使館の音楽部。
「何とかなるかもしれない」と思って、そのアメリカ大使館を訪れる。
そこにいたのが、マダム・ド・カッサ。
******
ぼくは、今までの事情を説明して、
「日本へ帰る前に一つの経験としてブザンソンのコンクールを受けたいのだが、今から何とか便宜をはかってもらえないだろうか」
と、頼み込んだ。
すると、
「お前はいい指揮者か?悪い指揮者か」
と聞かれた。
ぼくはでっかい声で、
「自分はいい指揮者になるだろう」
と答えた。
マダム・ド・カッサはげらげら笑いだした。しかしすぐに長距離電話で、ブザンソンの国際音楽祭事務所を呼び出して、
「遠い日本から来たのだから、特別にはからって受験資格をあたえてやってほしい」
と、頼んでくれた。
*******
結局2週間ほど待たされた結果、参加できることになるのだけれど、またそこからの猛烈な勢いがすごい。
寝る間も惜しんで、「スコアを手離したことがない」ほどに毎日音符とにらめっこをする。
指揮というのはかなりの体力がいるらしく、それは「アスリート」のようなものだと彼は言っているほど。
第一次予選を通過し、第二次予選も通過。
54人の参加者が絞られて、いよいよ本選にはたったの6人。
一人一人が、完全に遮断された部屋に入れられ、順番が来ると初めてそこでスコアが渡される。
わずか5分で、この初見のスコアで指揮を執るのである。
そして、結果は「一等賞」
この、あきらめない精神は、何か事を成し遂げた人たちに共通している。
思い出すのは、写真家の星野道夫。
アラスカ大学を受験して、英語の点数が足りなくて落第。
でも、学長に直談判にいく。
アラスカへの情熱を伝え、「英語の点数が足りないなんてことで、一年を無駄にする時間はないんです」と言って、特別に入学させてもらうのです。
自分が26歳のころ、失意の連続で会社を辞めようとしていたことを思い出す。
世界のオザワではなく、まだ無名だった頃の彼の生きざまに触れて、また勇気をもらうことができました。

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