直木三十五という作家は「直木賞」で名前を残してはいるが、
世間的にはほとんど忘れられた作家であって
代表作「南国太平記」といわれても、ピンと来ない人の方が多いだろう。
直木三十五は戦前の作家の例にたがわず貧困と病気に苦しんだ人なのであるが、
病気療養のため、僕の家のわりあい近所に住んでいたらしい。
昔はここも海沿いの静かな町だったようだ。
今ではその海は埋め立てられて殺風景な団地と工場が広がっているが。
その直木三十五の墓が、横浜市金沢区の長昌寺という寺の境内にある。
長昌寺を探すのは難しいが、国道16号から少しそれた路地裏の住宅街にひっそりと存在する。
直木三十五というのは変な名前であるが、自分の年齢をペンネームにしたそうだ。
つまり三十一から初めて、三十二、三十三・・・とカウントアップしたが
周囲から煩わしいと文句をいわれたこともあり三十五で止めてしまったらしい。
結局、四十三歳で亡くなるまで「三十五」だったとのこと。
直木三十五の墓の隣には、やはり直木賞作家の胡桃沢耕史の墓がある。
なんでも生前から「直木の隣に墓を建てる」ということで準備をしていた墓なのだそうだ。
※右が直木三十五、左が胡桃沢耕史の墓。
※直木三十五の墓を拡大。
※こちらが胡桃沢耕史の墓。
胡桃沢耕史という人も、80年代は「翔んでる警視」シリーズで人気のあった作家なのであるが
今ではその著書はほとんど絶版で入手困難になっている。
作家は死んでしまったら、忘れられてしまうのも早いのだ。諸行無常である。
直木三十五の言葉で「芸術は短く、貧乏は長し」という言葉があるそうだが
こういう儚さを直木三十五自身も感じていたのだろうかと思う。
世間的にはほとんど忘れられた作家であって
代表作「南国太平記」といわれても、ピンと来ない人の方が多いだろう。
直木三十五は戦前の作家の例にたがわず貧困と病気に苦しんだ人なのであるが、
病気療養のため、僕の家のわりあい近所に住んでいたらしい。
昔はここも海沿いの静かな町だったようだ。
今ではその海は埋め立てられて殺風景な団地と工場が広がっているが。
その直木三十五の墓が、横浜市金沢区の長昌寺という寺の境内にある。
長昌寺を探すのは難しいが、国道16号から少しそれた路地裏の住宅街にひっそりと存在する。
直木三十五というのは変な名前であるが、自分の年齢をペンネームにしたそうだ。
つまり三十一から初めて、三十二、三十三・・・とカウントアップしたが
周囲から煩わしいと文句をいわれたこともあり三十五で止めてしまったらしい。
結局、四十三歳で亡くなるまで「三十五」だったとのこと。
直木三十五の墓の隣には、やはり直木賞作家の胡桃沢耕史の墓がある。
なんでも生前から「直木の隣に墓を建てる」ということで準備をしていた墓なのだそうだ。
※右が直木三十五、左が胡桃沢耕史の墓。
※直木三十五の墓を拡大。
※こちらが胡桃沢耕史の墓。
胡桃沢耕史という人も、80年代は「翔んでる警視」シリーズで人気のあった作家なのであるが
今ではその著書はほとんど絶版で入手困難になっている。
作家は死んでしまったら、忘れられてしまうのも早いのだ。諸行無常である。
直木三十五の言葉で「芸術は短く、貧乏は長し」という言葉があるそうだが
こういう儚さを直木三十五自身も感じていたのだろうかと思う。