ひつじは小学校6年生の時
に初めて不登校になりました。
ずっと元気に学校に行けていましたから
びっくりしました。理由を本人の言葉で言ってもらうのに、とてもたくさんの時間をかけて話し合いました。
6年生が始まって1週間で自宅に引きこもり担任の先生が訪問しても自分の部屋から出ませんでした。
会いたくない。
表情が消えて、昼間もぼーっして部屋に
いました。今まで出来ていた計算や文字を書く事が出来なくなりました。
生活の中で出来ていた事も、歯磨きなど脱力して力が入らない感じでした。
今から思うと「後退」の症状だったように思います。
攻めているんじゃないよ怒っているんじゃないよ、思っている事を話してくれないかなぁ…と問いかけました。
そのうち、ポツポツとココロがほぐれてきたのかカタコトのセリフのように話してくれました。
「僕はがんばったのに」
がんばったのにそれ以上を求められ
先生に認めてもらいたくて
「僕はがんばったのに」
絞り出すようなココロの声でした。
何週間かが過ぎて…散歩できるようになり
イヌを連れて小学校の入り口まで行く事が出来ました。たまたま放課で入り口近くにいた子供達が、イヌを連れたひつじの姿を見つけて来てくれました。じゃれるイヌに笑い合う瞬間がありました。
学校の入り口には行けたので、学校の草抜きに毎日出かけました。1日1時間1週間軍手を持って出かけました。校務主任が時間が空いた時は一緒に草抜きをしてくれて、山になった草を運んだりもしました。
学校のどの場所なら行ってもいいか、話し合いをしました。
で、低学年図書室ならちょっとだけ行ってもいいと指定してきたので。
学校に「低学年図書室に1時間行きますが
先生には会いたくありません」とお願いをして
行きました。
1時間が2時間になり、教頭先生が様子を見に来たり…図書室なので放課で図書を見に来る子も自然に部屋に入ってきて過ごしました。
どうしても、支援級の教室に入れなくて
そんな時、きっかけを作ったのは
校長先生でした。
校長先生は理科が専門だったようで、ひつじと支援級のクラスメイトを連れて小学校のグランドで実験をしました。
3.2.1.発射!
ペットボトルは一直線に空へ飛んで
大成功!みんなのテンションは上がり
いつもはダダをこねている子も
成功者の顔でさっさと教室に帰ったそうです。クラスは一つになりました。
さすが校長!
さて、教室にはそれがきっかけで入る事は出来るようになりましたが…
今度の話し合いは、教室のどの場所なら
いられる?放課後、誰もいない教室に2人で行きイスの位置を確認しました。
1番後ろの窓の外が見える方向にイスの位置を決めました。また、この段階で担任とは関われていません。
授業は、教頭先生が教室の1番後ろの窓の外が見える位置に座ったひつじの横に座り一緒にプリントやお絵描きや絵本を読みました。
一人の時は私と図書室です。
だんだん大丈夫になってきましたが、まだ
給食は食べずに帰っています。
給食は、交流クラスの横の空き部屋で食べる事が出来ました。交流クラスに入る事が出来なかったのです。
で、交流クラスの先生は一緒に給食を食べる希望者数名を空き部屋に送り込みました。
ブツブツ言いながらも楽しかったよう
交流クラスの先生の仕掛け技成功!
給食が終わるまで過ごせるようになる
暑くなってきてプール大好きなひつじは教頭先生と入ることになりました。教頭先生は、着替えたあと入り口でシャワーの水が強く落ちるのが怖くて動けないひつじに気づきました。
「シャワーの水は浴びないで横からくればいいよと」
気づいてくれた事で2人の関係は一気に良くなりました。
で、教頭先生はフラフラになりながら
2時間
ひつじとプールに入り
嬉しそうな笑顔でしたが…ちょっと心配になりました。
たくさんの相談機関に行き1番いい方法を探しました。相談出来る人や病院や相談窓口を持つ事は、何かあった時に本人の力になる前にお母さんの力になってくれます。
学校の先生の力も必要です。
1番立ち直る事が出来たのは、お友達の力だと思います。お母さんは、本人の言葉や気持ちを伝えるサポートの役だと思っています。
で、ここからやっと担任との関係の修復にかかりました。青い鳥医療福祉センターに相談してアドバイスいただいたやり方です。放課後30分一緒に遊ぶ。教室に置いてあった箱庭の砂が好きだったので、それを触りながら一緒に時間を共有する。
放課後の担任との時間をだんだん延ばして行きました。
それからしばらくした日、
「図書室に飽きたから教室に戻るよ」
といいました。
4月の1週間で行けなくなり、
7月の夏休み前に普通に学校へ行けるようになりました。
相談の先生方は画期的だよ~と驚きました。
担任の頑張らせるタイプは変わりませんでしたが、自分で伝えられるようになりました。毎日の話し合いで親子の関係も良好になりました。
自分の気持ちがわかるって難しいんだと思います。夏休みの宿題の日記はいつも2行でしたもん。
「イヌの散歩にいきました。
公文の宿題をやりました。」
今も友達は大事だといいます。
引っ越して会えなくなった友達も大事だって話します。大事がわかればOKです。
中学一年生で不登校になりました
あはは…。
また、時間がある時に。
来てくれてありがとうございます
管理人のseroriでした。
長くてゴメンね~
に初めて不登校になりました。
ずっと元気に学校に行けていましたから
びっくりしました。理由を本人の言葉で言ってもらうのに、とてもたくさんの時間をかけて話し合いました。
6年生が始まって1週間で自宅に引きこもり担任の先生が訪問しても自分の部屋から出ませんでした。
会いたくない。
表情が消えて、昼間もぼーっして部屋に
いました。今まで出来ていた計算や文字を書く事が出来なくなりました。
生活の中で出来ていた事も、歯磨きなど脱力して力が入らない感じでした。
今から思うと「後退」の症状だったように思います。
攻めているんじゃないよ怒っているんじゃないよ、思っている事を話してくれないかなぁ…と問いかけました。
そのうち、ポツポツとココロがほぐれてきたのかカタコトのセリフのように話してくれました。
「僕はがんばったのに」
がんばったのにそれ以上を求められ
先生に認めてもらいたくて
「僕はがんばったのに」
絞り出すようなココロの声でした。
何週間かが過ぎて…散歩できるようになり
イヌを連れて小学校の入り口まで行く事が出来ました。たまたま放課で入り口近くにいた子供達が、イヌを連れたひつじの姿を見つけて来てくれました。じゃれるイヌに笑い合う瞬間がありました。
学校の入り口には行けたので、学校の草抜きに毎日出かけました。1日1時間1週間軍手を持って出かけました。校務主任が時間が空いた時は一緒に草抜きをしてくれて、山になった草を運んだりもしました。
学校のどの場所なら行ってもいいか、話し合いをしました。
で、低学年図書室ならちょっとだけ行ってもいいと指定してきたので。
学校に「低学年図書室に1時間行きますが
先生には会いたくありません」とお願いをして
行きました。
1時間が2時間になり、教頭先生が様子を見に来たり…図書室なので放課で図書を見に来る子も自然に部屋に入ってきて過ごしました。
どうしても、支援級の教室に入れなくて
そんな時、きっかけを作ったのは
校長先生でした。
校長先生は理科が専門だったようで、ひつじと支援級のクラスメイトを連れて小学校のグランドで実験をしました。
3.2.1.発射!
ペットボトルは一直線に空へ飛んで
大成功!みんなのテンションは上がり
いつもはダダをこねている子も
成功者の顔でさっさと教室に帰ったそうです。クラスは一つになりました。
さすが校長!
さて、教室にはそれがきっかけで入る事は出来るようになりましたが…
今度の話し合いは、教室のどの場所なら
いられる?放課後、誰もいない教室に2人で行きイスの位置を確認しました。
1番後ろの窓の外が見える方向にイスの位置を決めました。また、この段階で担任とは関われていません。
授業は、教頭先生が教室の1番後ろの窓の外が見える位置に座ったひつじの横に座り一緒にプリントやお絵描きや絵本を読みました。
一人の時は私と図書室です。
だんだん大丈夫になってきましたが、まだ
給食は食べずに帰っています。
給食は、交流クラスの横の空き部屋で食べる事が出来ました。交流クラスに入る事が出来なかったのです。
で、交流クラスの先生は一緒に給食を食べる希望者数名を空き部屋に送り込みました。
ブツブツ言いながらも楽しかったよう
交流クラスの先生の仕掛け技成功!
給食が終わるまで過ごせるようになる
暑くなってきてプール大好きなひつじは教頭先生と入ることになりました。教頭先生は、着替えたあと入り口でシャワーの水が強く落ちるのが怖くて動けないひつじに気づきました。
「シャワーの水は浴びないで横からくればいいよと」
気づいてくれた事で2人の関係は一気に良くなりました。
で、教頭先生はフラフラになりながら
2時間
ひつじとプールに入り
嬉しそうな笑顔でしたが…ちょっと心配になりました。
たくさんの相談機関に行き1番いい方法を探しました。相談出来る人や病院や相談窓口を持つ事は、何かあった時に本人の力になる前にお母さんの力になってくれます。
学校の先生の力も必要です。
1番立ち直る事が出来たのは、お友達の力だと思います。お母さんは、本人の言葉や気持ちを伝えるサポートの役だと思っています。
で、ここからやっと担任との関係の修復にかかりました。青い鳥医療福祉センターに相談してアドバイスいただいたやり方です。放課後30分一緒に遊ぶ。教室に置いてあった箱庭の砂が好きだったので、それを触りながら一緒に時間を共有する。
放課後の担任との時間をだんだん延ばして行きました。
それからしばらくした日、
「図書室に飽きたから教室に戻るよ」
といいました。
4月の1週間で行けなくなり、
7月の夏休み前に普通に学校へ行けるようになりました。
相談の先生方は画期的だよ~と驚きました。
担任の頑張らせるタイプは変わりませんでしたが、自分で伝えられるようになりました。毎日の話し合いで親子の関係も良好になりました。
自分の気持ちがわかるって難しいんだと思います。夏休みの宿題の日記はいつも2行でしたもん。
「イヌの散歩にいきました。
公文の宿題をやりました。」
今も友達は大事だといいます。
引っ越して会えなくなった友達も大事だって話します。大事がわかればOKです。
中学一年生で不登校になりました
あはは…。
また、時間がある時に。
来てくれてありがとうございます
管理人のseroriでした。
長くてゴメンね~