頑張る?農家のお嫁様。

日々の出来事をつらつら~と書いています(*^_^*)

仙台七夕か~

2012-08-06 15:23:09 | 今日の農作業

早いもので今年も七夕の季節になりました。

枝豆の出荷に追われて見に行けないと思ってたけど、雷雨によって仕事が

休みになって、どうしようか検討中。

まだ、降ってきそう、どうしようかな。


もうすぐ、1年か…

2012-02-24 00:15:46 | 東日本大震災

久しぶりのブログです。何とか農業を続けてました。

今年の冬は厳しかったわ~。田んぼの芹が凍ってしまい、思うように出荷できず。

作れるだけありがたいんですけどね。

津波が流入した田んぼは瓦礫の撤去、塩抜きの作業も終わり、何とか元の姿に近くなりました。

津波が入っていない田んぼは作付け許可が出そうなので今年は作れそう。

でも、茗荷たけは今年はお休みします。

昨年、米つくりができなかったので室に必要な藁が無いので…

その分、何かで補わないといけないので茶豆と芹の作付けを増やす予定です。

 

あの頃、どうなるんだろうと不安に押しつぶされそうになった日々。

今も不安はありますが、何とかなるさ~で前向きになれるようになりました。

生きていかなくちゃいけないので、頑張るだけですね。

 

こんなブログでも見てくれてる方がいると思うとうれしいです。ありがとうございます。

また、ご無沙汰になってしまうかもしれませんが、更新頑張ってみます。


農業を辞めて働け! 3月29日

2011-04-15 11:12:27 | 東日本大震災

地震後、これからの事をどのようになっていくのか
様々な事がわかってきました。

少し落ち着くを取り戻しつつある中、色々な問題が出てきました。

名取は海側の地盤がもともと低い事もあり、農業用水を大きなポンプでくみ上げて
貞山掘りや海に流していたのですが、津波によりポンプが大破…

津波が流入していない田んぼも作付けが出来なくなりました。
イエローゾーンって言ってましたが。
我が家の田んぼはイエローゾーンに全て入っています。
そのため今年の作付けはできない事に決定しました。

芹も同じ排水路を使って水を流しているので、もしかすると年末の芹も
生産できなくなる恐れが出てきました。

そして、義父から
『農業辞めて働け!』

悲しくなりました。
ここが頑張り時なのに、しかも就農しろと言ったのは義父です。

新規採用の人達も内定を取り消されてるのに、こんなおばちゃんで
見つけるの大変なのに。

思いつきでいつもいつも私らを振り回す義父…
しばらく無視しています。
会話をするとろくな事を言ってこないので。


閖上朝市 3月27日

2011-04-15 10:59:18 | 東日本大震災
名取のイオン西側の駐車場で開催になった閖上朝市へ行ってきました。

芹を販売して全額義援金にすると生産組合で決めたので
その様子も見ながら。

お魚がスーパーであまり手に入りにくかったこともありとても助かりました。

冷凍の鯖や秋刀魚を購入。
卵も1パック100円だったので並ぶと、名取市長が自ら卵を売ってました。
慣れない手つきで、卵を落として割ったりしてましたよ。

豆腐やキャベツなんかも買ってこれで少しはもつかな?
と、いそいそ帰宅しました。


芹掘り開始 3月18日

2011-04-15 10:52:22 | 東日本大震災
電気が復旧しても芹の出荷を見合わせていました。

ガソリンが無いので運送会社のトラックが動けない事もありましたが、
排水を流す下増田のポンプ場が津波で大破。
下増田もまだ水が引かず流すのはダメだと連絡が来ていたからです。

この頃になると、避難所にいる人達もそろそろ温かい汁物を食べられるようになったと聞いて、
とりあえず芹を提供をしてみようと言う事になりました。
12キロ枯葉を取って旦那が持っていきました。

喜んでもらえたのかは話は聞いてませんが、
その後、我が家の割り当て分を3日間届けました。

電気復旧 3月14日

2011-04-05 19:46:05 | 東日本大震災
毎日、芹の出荷作業をしているとどのように時間を過ごしたら良いのかわからず、
ただ、子供と絵本を読んだり体を使って遊んだり。

そして、キャンプ用のバーナーと灯油ストーブを駆使して食事の用意。
ご飯もお鍋でうまく炊けるようになりました。
冷凍庫の食材を確認したら、まだ凍っていたのでもう少し持つかな?と安心したり。
ただボーっと何もする気が無く、ストーブの前に座ってました。

こうしていてもしょうがないと、今度は旦那と一緒にやまやへ行ってみる事に。
名取のやまやは結構、並んでいる人が多かったので断念、向かいの100円ショップ
で同じように一袋1000円で何かを販売していました。
旦那と各一袋購入、やっぱりお菓子かな?って思ったら下にツナ缶とカレーのレトルトが。
おかずになる物はうれしいですね。
調味料がどうしても欲しかったので、四郎丸のやまやへ。
並ぶ事1時間で醤油とめんつゆを買うことができました。

家に帰ると子供が自転車に乗って遊んでいました。
寒いから中にはいろう~と声をかけたとたん、ガラガラガラガラと井戸をくみ上げるモーターの音が!
電気が復旧しました!

家のブレーカーを上げ、漏電が無いか確認後、テレビをつけると絶句…
閖上が跡形も無くなっている…
南三陸が、石巻が…しかも原発が爆発してる…こんなに酷い状態になっているのかと。
涙がとまりませんでした。
恩師の顔が思い出され、大丈夫なのか不安になりました。

でも、こんな状態でも子供の笑顔に救われるんですよね。
心配してティッシュで涙を拭いてくれました。
この子のためにも頑張らないと。

この日はお風呂に入って温まって寝る事ができました。
後から聞いたのですが、電気が復旧したのは4号線の東側だけで、
西側は翌日だったそうです。

親族の安否確認&買い物へ 3月13日。

2011-04-05 19:22:20 | 東日本大震災

津波がきて連絡がとれない親族の事が心配で朝早く名取市役所へ。
市役所には安否を知らせる紙がたくさん掲示してあり、多くの人が大変な事になっているのを実感しました。
各避難所の名簿には見つけられず、まさか…不安になり、直接避難所を回る事に。
自宅の近くにある避難所へ行ってみると、結婚前に働いていた職場の知り合いが
事務所の片付けをしていました。
声を掛けると親戚と話したよとの事。ホッとしました。
家は津波で浸水したと聞き、事務所の坂を上って見ると…
耕谷の田んぼが湖に、そして大量の車が!
ここでこの状態なら、親戚の家はどんな事になっているのか、もう愕然としました。
津波の恐ろしさ、震えがしばらく止まらなかったです。
その後、避難所に家族で避難している事を確認でしました。 


少し安心したので、親戚に渡してもいいかなと思い、買い物へ行く事にしました。
農家の我が家、お米や野菜は何とかなったのですが
調味料の醤油や砂糖が少なくなり、今後、どの程度買い物できないのか
ちょっと不安になり、近くのウジエスーパーに行ってみました。

60人くらい並んでいたでしょうか?
一袋1000円で中身は選べない方式で販売してました。
一人一袋…一人で行ったので収穫は一袋のみ。
中身は選べないので、購入後確認するとお菓子だけ…デコポンと裂けるチーズが
入っていて、子供が喜びそうな詰め合わせでした。

これでは寂しいので、近くのツルハドラックへ。
ここでは一人二袋まで、トイレットペーパーとボックスティッシュも各一個OK。
買える分だけ購入、袋のラーメンやツナ缶が入っていてちょっとうれしかったです。
これもやっぱりお菓子が沢山、帰ると子供は大喜びでした。

並んでいる間に、携帯にメールが!
友達や親族が心配してメールを送ってくれてました。
でも、返事がしたくても繋がらず…しかも電池が切れてしまいました。


仙台では電気が復旧した所があるとラジオで聞き、近いうちに名取も復旧するかな?
と、期待してこの日は18時に布団へ。
晩御飯を明るいうちに食べて片付けするとこの時間に。
下手にろうそくを使って火事になってしまったら大変ですし。
やはりまだ大きな余震があり、この日も服を着たまま寝ました。


被災の分かれ目は東部道路…3月12日

2011-03-31 20:13:55 | 東日本大震災
夜中には何度も何度も余震があり、その度に目が覚めました。

もう、あんなに大きな地震はこないと思っても身構えてしまうんですよね。

朝、起きてカーテンを開けると、田んぼに白い物が沢山見えました。

我が家は閖上街道沿いにあり、反対側には田んぼがあります。

津波が田んぼまで来ていたのです。

東部道路のトンネル部分から流れてきたようで、まさかここまで津波が来たとは…

絶句しました。

閖上の様子を見に行こうにもすぐ近くの信号まで水が…

いったいどんな事になっているのか、ラジオでは空港にも津波が押し寄せ
取り残されている人が沢山いると…
杉ヶ袋の親戚は?

旦那が様子を見に行くと、美田園あたりも水があり、先にいけなかったと。

どんな事になっているのか分からないまま時間が過ぎていきました。

東部道路の向こう側は大変な事になっていたんです。

我が家は東部道路が無かったら間違いなく床上浸水そして、田んぼは全滅でした。

東部道路が分かれ目になってしまいました。

次々に閖上街道を消防車が行き来しています。

消しても消しても火事、多賀神社の杉の木の影になりよく分からなかったのですが、
同じような所が燃えているように見えました。

そして、仙台港の方もモクモクと煙が…

コンビナートの火災は夜になっても真っ赤に燃え、名取の我が家からも見えました。

どうなってしまうのか…携帯もつながらず、誰の安否も分からないまま12日は過ぎて行きました。

怖かった3月11日。

2011-03-30 16:26:20 | 東日本大震災
久しぶりの日記になります。

私は宮城県名取市に住んでいます。

この大地震で我が家も大打撃を受ける事になりました。

どのように復活していくのか、それとも農業を辞めなくてはならないのか
少しずつ書いていこうと思ってます。


3月11日。

12日が幼稚園の卒園式があるため、午前保育で帰ってきた子供を
幼稚園で習い事があるので午後からまた登園。
私は幼稚園の近くのファミレスで終わるのを待っていました。

14時46分、携帯から地震を知らせる音が。
この所、地震が多かった事もありたいした事がないと思っていたら
とんでもなかった!
最初の縦揺れはそれほど揺れず、ホッとしたのも束の間…
すぐに横揺れが!これが物凄かった。立つ事ができないくらいの揺れ。
上からは飾りのお皿が降ってきてわれ、停電。
店内の水道管が壊れて水が噴水のように。

宮城県沖を小学校1年生の時に体験してますが、
あんなもんじゃない、本当に怖かったです。

揺れがおさまり、すぐに会計を済ませ車へ。

ラジオからは「大きな津波がきます、早く避難してください。」
アナウンサーが何度も何度も言っていました。

幼稚園に着くと子供たちが園庭に避難していました。
先生達が誘導してくれたらしく、皆怪我も無く無事でした。

ここで、子供を連れて帰れば良かったのに気が動転していたのでしょう。

家に居る義父母の事が心配で子供を幼稚園の先生に預け、家の様子を見に戻りました。
園の被害が無かった事もあり、先生が見てますよって言ってくれたので。

普通、置いてく?こんな状態で。
子供も不安でしょうがないのに、なんて事をしてしまったんでしょう。
母親失格と今でも悔やんでおります。

自宅に帰ると、義父母は何とか家から這い出したようで無事でした。
急いで幼稚園へ戻り、子供を連れて帰りました。

この頃、ゆりあげでは大津波が来ていたんですよね。

我が家はほとんど被害が無く、運が良かったのだと思います。
停電のためにIHが使え無かったのでカセットコンロで雑炊を作り、
ろうそくの明かりで家族5人何とか落ち着きを取り戻して食べました。

全く情報が入らず、この日は真っ暗の中、ラジオを頼りに家族で
身を寄せ合って寝ました。
大きな余震が何度もあり、怖くてすぐに逃げられるように服を着たまま、
布団の近くには防寒着を置いて。

田植え&ちゃ豆定植終了。

2010-05-11 16:04:59 | 今日の農作業
連休中は暑いくらいの陽気だったのに、今日はとっても寒いです
5月7~8日に1回目に種まきをしたちゃ豆を定植。
   9日に田植え。
  10日に2回目に種まきをした茶まめを定植。
  11日に田植え。でちょっと忙しい時期が終了。

まだまだ色々な仕事がありますが、田植えが終わるとほっとします。

今年も豊作になりますように。