gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

八重山諸島旅行術 竹富島編②

2024-10-02 11:13:48 | 国内旅行

八重山諸島旅行術 竹富島編

その②集落の見どころと食事何処

40年くらい前は南の集落(仲筋)にチロリン村というスナックがあり、東の集落にはあさひ食堂があり、西の集落には竹の子、やらぼという食堂がありました。その後、ぐるくんというカレー店が南の集落に出来ました。昔はあさひも竹の子もメニューは、そば、焼きそば、野菜炒め、そしてボンカレーでした。やらぼはエビそばがこの頃からありました。20年位前まではあさひ食堂は丸八レンタサイクルの並びにあり、白いご飯を頼むと少し黄色かったのを覚えています(炊飯器に入った前日のご飯です)。念のため、今はそんなことはありません。

時代は変わり現在、チロリン村は同名でCafe、あさひ(西の集落に移転)、竹の子は世代も変わり食堂らしくなりました。やらぼは昔のままです。ぐるくんは無くなりました。2000年に入ってからできた食事何処は西の集落には「しだめー館」、東の集落には「かにふ」があります。Cafeでは「ぱいぬしま」がこの頃出来ました。そうでした、西の集落には、2000年前に出来た「たるりや」もありました。この数年ではUターン組の松竹荘のパン屋さんとか、山盛食堂もあります。レンタサイクルやさんのCafeや夕方からやるスナックなどもあります。

現在、食事何処では「かにふ」や「しだめー館」が人気があるようですが、それぞれの店に特徴があるので、甲乙つけ難いのが本音かもしれません。暑い日の「ぱいぬしま」のかき氷は最高です。

成長ホルモンと抗生物質(プール養殖の車海老)

私個人として口にしないものがあります。それは沖縄産(竹富島など)の車海老とモズクです。モズクの場合は島の収穫する場所にもよりますが、観光客が良くモズク取りをしている西側(コンドイビーチや西桟橋がある方です)の物は夕食に出されても避けています。

なぜか、モズクの場合も養殖海老の場合も、サンゴ石灰岩でできた島の特徴にあります。たいぶ昔に島の古老から聞いた話によると、竹富島の生活排水は地下に浸透して島周辺の珊瑚礁に湧き出るという話です。これは世界的にみてもサンゴ石灰岩でできた島の特徴ですので本当の話です(集落は下水処理が完備されていますが、ビーチは違います)。そして問題は集落のごみの焼却場所にあります。昔は何でも燃やして、灰をこねてそのまま地下に埋めていたそうで、聞くところによると、町の焼却場が島内にできた今でも生ごみを埋めたり、段ボールなどを外で燃やし埋めているそうです。この焼却液が浸透して湧き出る場所が竹富島の西側なのです。焼却場が出来る前、この場所は島全体のゴミ捨て場で、生ゴミなどは繰り返し埋めていました。

そしてモズクの場合はもう一か所、エビ養殖場の排水場所、島の南側が要注意です。私が竹富島(沖縄全体ですが)の養殖車海老を食べない理由はエビのエサにあります。海老は本来とてもデリケートな生き物で養殖は難しいものです。その為、抗生物質や成長ホルモンを使います。中国産のウナギと一緒です。養殖エビも例外ではなく、沖縄の養殖エビのエサは抗生物質や成長ホルモンが入った中国や台湾産の輸入物です。このエサはカラスも食べません。モズクの話はこのエサを食べた海老の排せつ物を垂れ流している場所が養殖場がある島の南側という事です。また、日本本土の様に海中養殖ではなく、陸地のプール養殖(竹富島など)は水質にも多くの問題があります。その為、抗生物質、を多く使うのです

本物のお土産

さて、竹富島のお土産ですが、40年前でしたら、竹の子の「ピーヤシ」が唯一の特産品でした。今は特産品が沢山あるかと言えば、やはり竹の子の「ピーヤシ」以外に特産品はありません。マングローブの枝やセイロンベンケイソウの葉は特産品とは言えません。

また、カイジ浜で売っている貝殻や星砂は全てフィリピンからの輸入ものです(その星砂をパラパラと砂浜に巻いているのだから始末に悪です)。これはT旅館が売っている「ピパーツ」も同じで島の特産品ではなく輸入ものです。石垣島のファーマーズマーケットに行くとしっかりと石垣島特産品と書かれた「ピーヤシ」がある。「特産品」の表示は掲示法で守られていますので、やたらに表示ができない仕組みです。要は竹富島にはお土産が少ないという事です。以前、竹富の古老が集めたお茶があったが今あるのかは分かりません。そういえば、もう二つ特産品がありました。竹富の古老が作っているクバ細工品と民芸館の織物です。集落を歩く観光でくれるクバの傘は輸入ものです。

-------見どころ-------------

竹富島の石垣

サンゴ石灰岩の石垣の積み方は野面積みという自然石をうまく積んでいく方法です。竹富島は伝統的建造物保存群として、建物や石垣などがありますが、よく観察をすると、伝統的な家屋は数が少ないです。石垣も良く見るとコンクリートで張り付けた個所がかなりあります。郵便局や学校の周辺、民芸館やT旅館の周辺などなど。でも、我々観光客は周囲の雰囲気に見とれて気が付かないものです。恐らく、35年くらい前に旧文科省の役人が来た時もそうだったのだと思います。ちなみに、水牛車観光で馭者が文科省がわざわざ見に来て「文科省から認定された」かのように唱えておりますが、これは誤りで、伝統的建造物保存群の認定制度が出来てから、各市町村が県を通し国に申請して行うものです。沖縄本島では伝統的建造物保存群の要項に集落として利点がないため、認定後に取り消しを願い出て自由な生活の場所に戻った個所もあります。

竹富島の砂道

これも島の古老の話ですが、14~5年前に開通した、集落の外側を回る環状道路も本来であれば砂道にして欲しかったそうで、この舗装が道路が出来たため、大雨時に集落から海に流れ出る水路(自然に出来る)が無くなった為、集落内の水はけが非常に悪くなったとの事。観光の為とはいえ景観形成を考えれば、するべきではなかったとの事。集落内にはこの時の工事に合わせて、観光会社などが自社の営業所がある集落内まで舗装をさせて事も問題と言っていた。又、今年、公共事業として集落内の一部を舗道として雨水を集め、小さなプールの様な雨水槽を掘ったそうだが、大雨時にほんの3~4時間で満水になるため、役に立たないとの事。白砂道を舗道にする安易な考えがある限り、景観形成の伝統的建造物保存群を維持したり、集落の伝統を守るという事に懸念があると言っていた。

竹富島の見どころ

集落の風景から石垣を無くし状況を想像して客観的に見ると、何の変哲もない赤瓦を載せた家(木造やコンクリートの)があるだけに気付く。石垣が有る故に全体的なイメージの先入観にこれが沖縄の原風景だろと思わされている。しかし、本当の竹富島はそうではない。竹富島の赤瓦の歴史は浅くまだ百年にも満たない。八重山諸島(竹富島)の原風景は茅葺であり、赤瓦の歴史は琉球王朝時代、八重山の頭目の家だった宮良殿内でさえ、1819年頃に建てられるが、身分不相応として取り壊され、1899年に最終的に赤瓦が許可されたのだ。という事で、文科省が指定している竹富島の景観の重要伝統的建造物保存群の意味も乏しいものになる。まあ、お役所が調べる事や指定したりすることはそんなものなのです。

では何が見どころなのか?やはりそれは海ではないでしょうか。青いとか澄んでいるとかという事ではなく、海辺の木陰でボ~っとして、遠くの島を見ている。こんな時間が最高なのです。コンドイビーチのパラソルの下ではありませんよ。島の周囲を探せが自分だけの場所が見つかります。あとは静かになった夜の散歩です。涼しくて、星にきれいな海辺や西桟橋は最高です。

竹富島の御嶽

御嶽とは何か。歴史を紐解けば島の掌握した渡来人の住居跡と考えられる。また、風水を意識したの御嶽もあるので、竹富島の渡来人は大陸(中国か朝鮮半島)であると思う。島内の要所要所にあるのも納得がいく。八重山の大頭目、波照間島生まれのオヤケアカハチも渡来人(こちらは欧米系)の血統で、赤い髪の大柄な男がそれを証明する。もう一点、沖縄の島々で神司という巫女がいる。神司(カンツカサ)は,広くアジアに受け継がれる民間の伝統的な信仰の巫女[みこ]である。世襲で代々宗家(古くからの村建ての有力者の家系)の女性が継ぎ,神司の間は身を清め,業を正し,神と民衆を結んで島の年間の祭事を司って島民の尊敬を集めている。渡来人が一番恐れたのは原住民に寝首を掻かれることである。その為、原住民の女だけを棲み処に出入りさせ、民衆を掌握していたのではないかと想像する。この風習が神(渡来人)と民衆を結ぶ巫女の役目(お告げを伝える)という事で伝承されたと考えれば理にかなう。大和朝廷の卑弥呼も神のお告げを伝える役目をなしていた。そんな場所が御嶽であるので、むやみに入ると罰が当たる訳でもないのだが、島のルールは守らなければならない。

番外

私個人としては、迷信と言われても、とり憑かれタイプと思っているので行けない場所が一つある。東の集落の定宿の民宿からさほど遠くないところだ。レンタサイクル屋さんの裏の方。そこに45年くらい前に内地の女性(お子さんがいた)が小さな家を建て、竹富島でケーキ屋さんをオープンしたことがある。よく沖縄の人はおおらかで社交的で親切ように思われているが、決してそうとも言えない。どこの島でも閉鎖的な考えが存在する。また、差別も存在する。この親子が今で言ういじめを受けて、母親がこの家で自ら首を吊り命を絶ってしまったの。一度だけ島のおじいに案内され、あの柱だ、と、見せられたことがあるが、その晩はとても寝つきが悪かったことを覚えている。                   月日は流れ、この家に何人かの島人が住んだのだが・・。そして今、恐らくこの話を知らない外国人と日本人女性が棲みついてる。アジアで諸国ではよくあるパターンのカップルで南の島でアジアン雑貨を売っているそうだ。また、Cafeやっているとの事。私はどうしてもそこには行けない。

 

---竹富島編 その➂竹富島の宿探し----乞うご期待

 



コメントを投稿