東北の友人から電話がありました。
様々な話を聞かせてもらう中で、
今でも市民の誇りとして語られているという
釜石ラガーマンの話が心に残りました。
避難所では、
物資の運搬や振り分けが大変な仕事になったそうですが、
その場に釜石ラガーマンたちが率先して取り組んだそうです。
この事は新聞やテレビの報道で私も見聞きしていました。
そんな中で、ある外国人選手が、
落ち込み、ふさぎ込みながら作業している人たちを見て、
「もっと楽しく、明るくやろうぜ、
悲観的にやってはいけない、
子供が見ているぞ!
子供を勇気づけるために、
こんな時ほど、みんなで笑い合って協力しようぜ」
と言って皆を盛り上げたそうです。
この選手自身、実は深い悲しみを背負った人生を
送っている人物だったそうです。
しかし、
笑い合いながら物資を運んでいるラガーマンの姿を見た
ある議員が、「こんな時に不謹慎だ」と一喝。
静まり返ったその時、
避難所にいた市民が叫んだというのです。
「議員さん、あんたは何か荷物の一つでも運んでくれたか?
このラガーマン達は、これだけのきつい仕事を
笑いながら楽しそうにやってくれるんだ。
何々をしてやっているという恩付けがましい事が一切ない。
俺達は彼らの笑顔から勇気をもらえるんだよ。
政治家は、ラガーマンから学ぶ事があるんじゃないか。
釜石はラガーマンの魂が作ってきた街ということを
忘れたら困るんだ。」