[神主神気浴記]

田舎町の神職が感得したご神気の事、ご相談をいただく除災招福の霊法の事、見聞きした伝へなどを、ほぼ不定期でお話します。

五穀豊穣 無病息災

2010-08-15 | まじない うらない いのり
 さて、半年の年中行事もつつがなく収められました。立秋を向かえ、これからこの年の作り固めの仕上げです。もともとこの「年中行事」の根本は、食物の豊作と労働力の確保とがうかがい知れます。食物である農産物の確保は、人の農作業によりますが、重要な日照や恵みの雨は自然の力によるもので、人間には自由に出来ません。したがって、食物の豊作は神の力によるという信頼が生まれました。これが起こりです。当時の食物の中心は五穀、五穀が稔るかどうかは死活問題であったと思います。「五穀豊穣」が神社の祭りの中心テーマなのは理解して頂けるでしょう。
 さぁ、田植えだ!今年もよく稔るように神さんにお願いしよう。春祭りです。やがて、稲刈りも済んで、今年もよく稔ってくれた。神さんに感謝しよう。秋祭りです。このように祭りは神さんへの感謝の気持ちを表したもので、神さんにお礼をする、奉納であったわけです。ですから、大自然の運行や生産力という人間生活の基盤を支える力を持っている神さんを祀ったのです。
 
 世は変わりました。今、皆さんの周りには農業に従事されている方はどの位いらっしゃいますか。人々は、田植え、稲刈り、脱穀と辛い農作業に日曜祭日、夏休みも無くひたすら従事する事がなくなりました。穀物の五穀を五つ全部言える方も少なくなってしまいました。だからマツリの形成モデルが変わってしまったのです。マツリは自分達が楽しむフェスティバルに変わりましたし、いまや観光の目玉です。お神輿の上に乗っかってしまう人がいても無理からぬところがあります。でも、その人たちもまだ「米」は食べてます。しかし、すでに米は神さんからの贈り物ではなくなっるのでしょう。品種改良と農薬のおかげという答えが返ってきます。

 同時に変わったものがあります。人生観のモデルです。神社に居りますとひしひしと感じます。「無病息災」です。昔は、還暦が来ますと、赤いちゃんちゃんこを着せて、皆でお祝いしました。「少しでも長生きしてくださいね」。悠々自適の生活の始まりです。「無病息災」を祈ります。正確には「一病息災」〈人生わずか50年〉型の人生モデルです。
 しかし、今はどうでしょう。赤いちゃんちゃんこは赤信号の赤にもなります。不安の始まりです。定年を迎えても、まだまだ仕事をしなければ老後の生活が心配です。今でも明日からの生活が不安です。年配の方の仕事が無いからです。健康ならまだしも、病気になったらどうしよう。90に手が届く両親の介護は?
 人生の中での生きるというテーマは「老い方」に変わりました。〈人生もはや80年〉型の人生モデルを用意しなければなりません。今や長生きとはなんでしょうか。長寿とは、私達に送られた幸せという贈り物ではなかったのでしょうか。長生きすると上手に死ねなくなってしまうのでしょうか。還暦は老い方のスタートの時で、老いと病と生活との戦いのスタートになってしまったのでしょうか。昨今の報道で、100歳を越えられた人生の達人が、何処に行ったのか誰も知らない国だった事を知りました。90代の方は?80代の方は?地域の老人会に入ってない方はお元気なのでしょうか。
 悠々自適は、人生僅か50年の時代の話だったのですね。「一病息災」の生き抜く知恵は、「多病息災」に変わりました。高齢者の医療に不安を抱えたままです。今でも年寄りは捨てられる国だったのでしょうか?

 最近、社頭が少し変わりました。参拝に見えられる方に、信仰対象としての神社を意識している方が増えました。祈りの場としての社頭という意識の方が増えてます。人間生活の基盤を支えてもらうという信頼を寄せて頂いているようです。若い方も、就活、縁談、職場の人間関係への不安。急速な社会変化になじまない心の不安。かつて大自然の脅威へのおののきという、古の人々の思いとどこか似かよっています。科学技術の発展は、合理がずべてをそぎ落とし荒涼たる心の風景を我々に残したのでしょうか。

 今、和の心への関心が高まっています。しかも自分の五感で感じたい。日本人の脳裏には神々への信頼がまだ生きているのでしょう。
 
 困ったときの神頼みでも良いではありませんか。お近くの神社をお訪ね下さい。



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