他力本願的な依存の思いから、ある神様の力を借りて母親を延命させた事を後悔してきましたが、今はこれも自分自身の大切な「学び」だったのだと思っています。
身体と魂だけ浄化でキレイになったのに、母の想念は汚れた思いで満ち溢れていたので、魂が汚れる事を嫌って、身体から離れたがっていたのでしょう。
でもその時は、自分のせいで母親に苦しい思いをさせているのだと思っていました。
腎不全で危篤状態、もう助からないと医師に判断されたとは思えないくらいの回復でしたが、ある日から原因不明の発熱で、母は寝たきりになっていきました。
老人ホームにいた時と同様に、医師や家族などから
「身体の回復のために、水をたくさん飲んで」
と言われると、全く一口も飲まなかったり、私がそばにいると食事を食べなかったり反抗し続けたのです。
家族とも、ほとんど口をきかず、孫にまで悪態をついていました。
アイスや、好きな飲み物だけイヤイヤ飲んでくれるので、こちらも何とか水分を取ってもらおうと格闘する毎日でした。
しかし、医師も理解できない原因不明の症状で、母は内蔵から皮膚から、生き腐れて亡くなったのです。
精神・心が成長しなければ、魂や身体を浄化して成長させても、結果・・・もっとひどい事になってしまう、症例をまざまざと、徹底的に見せられた気がします。
強力なカビキラーで一瞬はキレイになっても、毎日の掃除を怠れば再びカビだらけになり、そのうち壁自体がボロボロになって崩れてダメになるような、本当にそんな感じです。
母の魂を浄化して成長させてしまったのに、心が幼いままだったから生き腐れてしまったのですが、なぜ早く「母の精神年齢は幼児」だと気がついてあげれなかったのか・・・と、しばらくの間は後悔ばかりでした。
体験したからこそ、気づけたのだと理解したのは最近です。
体験しなければ、気付く事などなかったでしょう。
貴重な経験をさせてくれた母に、本当に感謝しています。