とある科学者の密かなつぶやき

化学、物理などの自然科学から、政治経済などの社会科学、たまに書評などの人文科学について、語ります。

不確定性原理の例外

2012-01-20 21:22:36 | ホットトピックス
 Μενθολは工学部の出身ではあるんですが、工学部の中では一番理学部に近いと言われる研究室に所属していたこともあるのか、専門の錯塩化学の研究をするにしても、工学的ではなく理学的なアプローチで研究を行っていました。そうしたことが影響していたのかどうか、物理学系の勉強をさせられたりしました。もともと錯塩化学が有機化学と無機化学のハイブリッドみたいなところがあり、無機化学となるとどうしても物理的性質を勉強する必要があったりするわけです。放射性物質を使った基礎研究もしたことがあるので、一般的な化学系の人間よりも、放射性物質や放射線については理解しているつもりです。このあたりは分かりにくいかもしれませんが、放射性物質とか放射線というのは、原子の物理的な性質であって化学的な性質ではないからなんですが、文化系の人から見ると、化学系も物理学系も、同じく理科系に属するものであって、何が違うのかが分からないところがあると思うので仕方はないと思いますが…。
 
 さて、今回はハイゼンベルクの不確定性理論ですので、「ある物理量A、Bに対して、Aの値の測定誤差と、物理量Aの測定プロセスが生ずるBの測定値への擾乱との両方を0にすることはできない」ということです。思い切り簡単に言うと、「電子のような非常に小さい者は、その一と運動量を同時に測定できない」と言うことですが、これでは何のことか分からないと思います。もう少し現実的な問題に言い換えてみることにします。
 
 川の水の流量を計りたいとします。川の中に流量計を設置すれば計れる訳なんですが、実際には流量計を設置したことによって川の流れに変化がもたらされる、つまり流量計がなかったときとは流量が異なるので、流量計を設置していないときの流量は計れないと言うことです。何らかの測定機器を設置すると、その測定機器の存在がもとの環境を乱してしまうので、測定できるのは測定機器が存在する状態での値であって、測定機器がない状態での値とは差異があると言うことです。
 
 たとえば、ピッチャーの投げたボールは、スピードガンを用いることによって計ることができます。スピードガンは、電磁波をボールに当て、その反射を測定することによってボールの速さを測定してるわけです。ここで、電子の速さを測定しようとすると、スピードガンの発する電磁波により、電子の運動は影響を受けてしまい、正しい速さを測定することができなくなります。要は、観測するという行為が、元々の状態に影響を与えてしまうので、元々の状態は確率的に推測するしかないわけです。
 
 ここで、粒子の運動量と位置を同時に正しく計ることができないのは、「計ることができないのではなくてもともと不定だからだ」と主張するのがボーアの主張なんですが、「決まっているが人間には測定できない」と主張したのがアインシュタインです。
 
 今回の小沢正直は、ハイゼンベルクの式に補正項をつけた形になってます。これにより、従来の不確定性原理の測定の限界を超えて精度の高い測定が可能であると導いたわけであって、不確定性理論が破綻したわけではないです。
 
 これにより、量子コンピュータの実現や量子暗号技術の高度化につながると期待されていますが、ここまで専門的になるとΜενθολには分かりません。
 
 ちなみに、ハイゼンベルクはハイゼンベルグと記述されることもありますが、ドイツ語の発音に従うとハイゼンベルクが正しいです。


(参考)
「不確定性原理」の例外を実証=量子物理学の根幹の一つ-名大など
量子力学:不確定性原理に欠陥 名古屋大教授ら実証


斉藤明美の太極拳

2012-01-20 17:51:36 | ホットトピックス
 太極拳というキーワードに反応してしまったんですが、先に斉藤明美の方から。ご存じでない方はおられないと思いますが、オウム関連の逃亡者である平田信を匿っていたとされる女性です。彼女は、吉川祥子の偽名で整骨院に勤務していた訳なんですが、この整骨院の院長は太極拳教室も開いていたわけですね。
 
 で、この斉藤明美は、整骨院での勤務態度も良く、患者の受けも良かったこともあって、太極拳教室の指導員としたい考えが院長に有ったみたいで、太極拳を教えていたみたいです。
 
 それだけです。反応して調べてみて、ちょっと損した気分になりました。

イーストマン・コダック社の倒産に思う

2012-01-20 13:57:27 | ホットトピックス
 イーストマン・コダック社が危ないんじゃないかという話は聞いていたんですが、19日に、ついに破産法を申請したようです。カメラ小僧と言うほどではなかったですが、Μενθολもカメラは大好きだったりしたので、身分不相応なカメラを持っていたりしました。カメラにはフィルムを装填すると言うことをもう知らない世代がいるかもしれませんが、デジタルカメラが普及する前はフィルムに映像を焼き付ける方式の方が主流だったわけですね。過渡期であった2000年頃は、区別するために、デジタルカメラ、銀塩カメラと言い分けていたような気がしないでもありません。
 
 Μενθολががんばって写真を撮っていたときと言うのは、フィルムメーカーと言えば、国内では富士フイルムとサクラフィルム、外国産ではアメリカのコダック社のものだったんですが、Μενθολはコダック社のフィルムはあまり好きではなかったです。今はISOと言ってますけど、昔はフィルムの光感度はASAで表してました。ISOはInternational Organization for Standardization(国際標準化機構)、ASAはAmerican Standard Association(アメリカ規格協会)なんですが意味するところは同じです。国産フィルムのASAは100だったんですけど、コダックのASAは80だったんですね。ASAの値が大きくなる、つまりフィルムの感度が上がると、その分、粒子が粗くなる傾向がありました。今なら、ASA400(ISO400)とかASA1600(ISO1600)の光感度フィルムで撮影しても、それなりの仕上がりになるんですけど、Μενθολが学生だった頃は、明らかに仕上がりの粒度が違いました。
 
 ならば、コダックのASA80のフィルムで撮るとキレイに撮れたのかというと、そうではなくて、黄色いモヤがかかったような仕上がりになるわけですね。それにこだわったファンも多かったんですけど、Μενθολはそれよりも国産のフィルムを使ってました。コダックのフィルムはちょいと高かったので…。それでもたまに、カメラマンのバイトが回ってきたりして、その時は、コダクロームとかエクタクロームとかのリバーサルフィルムを使うわけです。コダクロームって確かASA64だったので、高速シャッターが切れなかったんですよね。なので、カメラ小僧は1/4秒くらいのシャッター速度でも、どんな体制でもカメラブレを起こさないようにカメラのホールドを工夫したりしてたものでした。デジタルカメラだと、光学的になんとでも増感出来るので、本当に楽になりました。
 
 Μενθολの記憶では、フジとサクラでは色温度が違っていて、微妙に仕上がりの色が違ったりしたんですけど、学生の身分でカラーフィルをバシバシ使えるはずもなく、もっぱらモノクロフィルムで練習してました。プロの場合は、同じロットナンバでないと発色が異なるという理由で、同じロットナンバのフィルムを大量購入していたようです。で、冷蔵庫で保管するんですね。
 
 倒産の理由として、コダック社のデジタル化への遅れが指摘されているようです。それにつけても、アカデミー賞の授賞式が行われるコダック・シアターが、ノキア・シアターになるんですね。銀塩からデジタルへの流れというか、銀塩の終焉を感じたりします。
 
 それに対して、日本の富士フイルム、コニカミノルタは、多方面に事業展開することにより危機を回避しました。富士フイルムの場合、2000年の時点で写真フィルムって利益の60%を稼ぎ出してたんですね。知りませんでしたが…。

中国版ヱヴァンゲリヲン・新劇場版・破のシンジ

2012-01-09 11:35:15 | 書評・映画評
 『エヴァンゲリオン・新劇場版(破)』の中国語字幕の入ったバージョンをちらりと見てみたんですけど、ちょいと違和感があったんですね。『シンジ』は『新嗣』という文字が当てられてたんですけど、これは違いますよねぇ。
 
 ヱヴァンゲリヲンは、キリスト教が下敷きになっているところがあって、たとえばキリスト教でよく言われる『父』と『子』と『精霊』の三位一体なんかがそうですね。日本人だと『父』と『母』と『子』でないところ、つまり母の存在がないところに違和感を感じたりする訳なんですが、ここでいう『父』と『子』と『精霊』というのが、ヱヴァンゲリヲンの中では『ゲンドウ(父)』と『シンジ(子)』と『レイ(綾波)』の関係であるわけです。
 
 もう一つ、仏教でいう『心意口』の三位一体とも掛けてあって、父親の名前は『ゲンドウ』、つまり『言動(心意口の口)』も意味しているわけです。映画の中での父『ゲンドウ』は寡黙ですが…。
 
 で、『父』と『子』と『精霊』に戻って、キリスト教では『父』といえば神のことですから、『子』が意味するところは『シンジ』、つまり『神児』な訳です。ここまで来ると綾波の名前が『レイ』であるのも『精霊』と通じているところで、つまりヱヴァンゲリヲンは、『父(ゲンドウ)』と『子(神児)』と『精霊(綾波レイ)』の三人を描いた物語であると言えるわけです。
 
 日本では、『父』と『母』と『子』になるので、『シンジ』の母親としての役割が『レイ』にはあるわけです。旧劇場版の話ですが…。なので、『ゲンドウ』は自らの身体に第一使徒アダムを取り込み、セントラルドグマに捉えられている第二使徒リリスから魂を取り出して作り上げたレイとの一体化を試みようとしています。『父(アダム)』と『妻(リリス)』な訳です。
 
 と言うことで、『シンジ』は『真嗣』じゃなくて『神児』の字を当てるのがふさわしいわけです。で、中国語版字幕には違和感を感じるわけですね。

『おしるし』は器物損壊ではないのか?

2012-01-04 11:48:20 | 雑談
 コンビニなどで買い物をした際に、袋が不要である旨を伝えると、テープを貼り付けてくれたりするわけです。いわゆる『おしるし』ですね。

 で、これって、代金の精算はすでに済んでいるわけですから、所有権はこちらに移動しているわけです。なので、「俺の缶コーヒーに勝手にテープを貼るんじゃねぇ」といった主張が出来るような気がするわけです。缶コーヒーだと無理かもしれませんが、たとえばサプリメントなどを買った際に、推奨摂取量とかの重要情報の上にテープを貼られてしまっては摂取量が分かりません。このような場合は、「使い物にならない」訳ですから、器物損壊に当たるのではないかと思ったりはしますが、どうなんでしょうか?。

 本を購入する場合、袋もカバーも不要だとすると、「店を出るまでレシートを保持」するように言われますが、それで良いんじゃないでしょうか?。コンビニ限らず、店内には監視カメラが多数あるわけですから、支払いを済ませていることを証明するのは難しいことではないと思うんですが…。

 袋に入っている入っていないで、代金支払いの未か済かを判定しているんだろうということは分かるんですけど、そうなると、他店で買った雑誌を裸のままでは持ち込めないと言うことになってしまいますが、どうなんですかね?。