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The Diary of Ka2104-2

連載小説「私の名前は舞」第6章 ー 石川勝敏・著

 

第6章

 

 ライン交換した相手の女性の名前は石川洋子さんといいます。泊まっている海辺のホテルというのは、正式には海辺の憩い・陽光、というらしいです。二人はラインのみならず、電話も取り合っていますし、食事さえもう二回も出掛けていました。

 最初の電話が石川さんから掛かってきたときには、人間もネコもびっくりしました。長年起居を共にしてきて、おじさんのスマホの電話が、そのベルが鳴るのは初めてのことだったのです。おじさんのものの着信音はまさしく昔からあるベルの音で久しく聞いていなかった者にも私にとっても鋭い警告音のように聞こえたものです。何の音かとおじさんがたじろいでいる間に電話のベルは取られないまま切れてしまいました。手中にはされていましたから、その直後に二度目のベルが鳴ったときには、おじさんは一度スマホを落とすのでしたがすぐさま拾い上げてなんとか応答ボタンをタップできました。その音が警戒すべきものではないとわかった私は、崩し姿勢から正座でスマホを耳に当てているおじさんの膝の上で両腕を伸ばし両手をおじさんの右腕に軽くあてがいし二人の会話に傾注していました。石川さんの声も漏れ聞こえていたのです。

「はい、藤田です」

おじさんの名前は藤田謙吾でした。

「こんばんは、石川です」

「電話のベルには驚きましたよ。人付き合いがないもんで。海辺のホテルはいかがですか?元気に過ごされていますか?」

「はい。ようこがようこうに居るって感じです」

「掛け言葉ですね」

「そういえばネコの舞ちゃんは女の子の名前ですよね?やはりメスですか?」

「それがわしとてわからんのですよ。譲り受けたときにはもう去勢されていましたからね。ただわしの頭の中でひらめきがありまして。こいつの名前はまいだってね。漢字では踊りを舞うの舞ですが、これだって後付けです」

「そうでしたか。舞ちゃんて猫の割には聡明でおとなしそうで、犬のようでもあるんですね」

石川さんの動物区分は私にとってはふがいないものですが、私を話のネタに使ってくれたのにはありがたく思いました。かくして電話はああだこうだああでもないこうでもないとさんざめきながら続くのでした。今まさに電話がかかってきました。きっと石川さんに違いありません。最初に出会ってから10日ほど経っての電話になりましょうか。

「石川です。私不在になる日時が御座いまして、それを言っておいた方がいいだろうと思いましてこうして今お電話させてもらっているんです」

「お出掛けですか」

「出掛けという程のことでもないんですが、小型クルージング船でここらの沖合を巡るんです。18日の午後3時発です」

「お一人で大丈夫ですか?」

「ええ、この度は一人が何よりです」

「そうですか。人間にはそういう時もありますもんね。気を付けて行って楽しんできて下さい」

 おじさんは目覚めの小便のとき、トイレの日めくりカレンダーの昨日1日分をはがします。この世帯は今どきのマンションに在るのですが、トイレの日めくりだけ旧式をやっているなと私は思います。この日二度目になるおじさんの小便のとき、おじさんの視線はいつもどおりにカレンダーに向いていました。うつらうつらしている彼の脳に何かが登ってきました。18日、今日は18日じゃ。石川さんのクルージングの日じゃ。おじさんは思い出しました。

 今日は早朝からまばゆいほどよく晴れていました。おじさんはというと5時になって一度起きてトイレを済ませたあとも一度布団にもぐり込むので、私はもしやまたと思い彼の布団横に来てネコ語で、おじさんおはよう、と言ってみました。おじさんはすると薄目を開いて軽くあくびをしたかと思うと掛け布団の上方を持ち上げ私を招くので私はすかさずぬくもりの中へと忍び込みました。こうして一人と一匹は二度寝をするのでした。次に目覚めたのは8時を回っていました。

 まだ8時過ぎだというのに、おじさんは勘狂ってか私へはいつものささみであるものの彼は袋入りのインスタント味噌ラーメンを自分のために作りました。チンゲンサイとコチジャンが加えられています。一緒に食事をしていておじさんは明るく言いました。

「今日の3時は石川さんのクルージングだ。こんな天気のなかさぞかし楽しくなるぞよ」

 今日のおじさんは渋っ面もなく始終にこやかに朗らかでした。テレビの体操番組に合わせて体操なんぞをする始末です。ここからおじさんはカウチに私を横にしテレビ三昧が始まりました。いつもと打って変わって大変な豹変ぶりです。いつもですと、読書や書のたしなみ、盆栽の手入れなどに時間を費やしているはずです。私としても画面が目まぐるしく変わるので病みつきに楽しんでおり、ずっとひと処で居住まいを正していたのは猫を被っていたわけではありませんでした。

 三度のうち何食かわからないおやつのようなものが出されたのは3時過ぎでした。チャンネルはその前に民放から地域のケーブル局に変えられていました。私にはいつもの如くで、おじさんはおじさんでさっきから何か作っているなと思ったらそれはサケが混ぜられたご飯にホワイトソース、そしてチーズがこんがり焼けたグラタンでした。どうやらおじさんはお腹が空いていたようです。一緒に座るなりテレビからこんなアナウンスが流れてきました。

「緊急速報、緊急速報。午後2時29分、フィリピン沖合で地震発生、津波の心配はありません、繰り返します、地震発生するも津波の心配はありません、比較的軽微なものです。先程アナウンサーが海岸に向かいました。立川さーん、聞こえますか?もう現場に着いていますでしょうか?」

「はい。つい先程まですっきりとした青空が天一杯に広がっていたのですが、午後3時17分現在、唐突に空が暗くなっております。まだ雨は小降りなのですが、風の方が相当強くなってきています。沖の方では時化(しけ)とのことです」

私はただちに顔をおじさんに振り向けました。彼は顔面蒼白で無言でしたが、私には何を物語っているのか明瞭でした。石川さんの搭乗しているクルージング船が今まさに沖にいるのです。


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