The Diary of Ka2104-2

私はオペラアリア歌唱の動画を撮りそこねました

 

私はオペラアリア歌唱の動画を撮りそこねました。

 

ボックスというカラオケを全く使わない現場にてカメラ三脚を取り出しましたところが、旧来一部破損してはいましたが私は使いこなせていたのです、それが全壊しておりまして根元から三脚本体とスマホをしつらえる部分が真っ二つに割れていました。

 

私はどうにかこれら上と下の関係にあるプラスチックの部分同士をどうにか引っ掛け合わせられないものかと案じるものの、どうも仲立ちが何か要るようで、すかさずスタッフを捕まえて、なにかガムテープといった代物はないかと尋ねました。

 

渡して下さったのは良かったのですが、見るからにあとわずかしか残っていず、私はぐるぐる巻きでぼてっと支えるのが理想だったのに、そのわずかを使っての接着にはよほど苦労致しました。仕上がりは右肩下がりで、これをなんぞやせんとばかり私は太めの輪ゴム一本がスケジュール手帳やお薬手帳等の入っている網のポーチに入っていることが頭にのぼりこれをもってしてどうにか右下を上へと上げようと試みるもそれだけではまだ力が足りず、今度はボールペンを逆さにすれば引っ掛けになる部分を利用して既にかけた輪ゴムを上へと引っ張るかたちに持っていったつもりがそのボールペンを上方で留め置く法が見つからず、三脚の中央棒の上なにやら奇態な造形がひとつ出来たまでで画面モニターに写るは傾いた空間ばかりでした。

 

私はですがそれでいいと踏みました。へんてこなモニターですが、撮影さえ出来ればカメラは別のところにありますのでモニター部にガムテープやら輪ゴムやらボールペンやらがこちらから撮影時に見えていたとてそれらは何ら写らず関係ありません。斜視に写ろうが私が歌っているのがわかればそれで十分だと思いました。また新しいのを買わなくてはとの思いが生活費に苦労している身にはとても痛く感じられながら。

 

3回ほど撮影ボタンをタップすることなしにリハーサルを繰り返しました。すると中音部とhighC含む高音部はすらっと出るのですが低音部が濁ります。ですので私はこの3回の間のインターバル、時間を取って物を食べたり飲み物を変えたりしながら思案したり、身体が元の状態に戻るための時間稼ぎをしたりして過ごしていたのでしたが、3回程ではだめでした。私は体がほぐれてきたり体温が上昇するのを待ちながら更に繰り返しました。もう体はほっかほかです。これ以上のコンディションはないでしょう。

 

ですが低音部がまだ濁ります。これは自分では不可抗力のやはりあれだろうと私の思いは締め括るに至ります。

 

リハーサル以外は全部撮ってあり全部さっさとスマホから削除しました。過去においては私は少しぐらい濁っていてもアップしておりました。ですが今は違います。声楽のvirtuosoこと私はもはやそんな代物を表に出すことは許されません。過去分は過去分でずっとアップしたままにしておきますが。

 

私が「あれ」と言い語っていたもの。それは幻声を私の脳に侵襲させてくる向こう側が私の身体を触るということです。

 

百の言葉尽くしはたった一の見聞の価値には到底及びません。幻声はその起点を私が成人になって実家を出た20歳に置くとするともはや今私は57歳になろうとしていますので差し引き37年間延々と続いておりますが、そんな稚拙な宇宙ゴミのような巨大さをもってして何を伝え続けてきたのかまるきり私には通じません。それと同じことが皆さんにも言い当て嵌まります。あなたには決してあれと言いそれのことはわかり得ないでしょう。

 

そんな私を疲弊させその汚れた手で私の神経をいたぶってきた幻声なんぞ言葉であるが故に何の為に存在し続けてきたのかさっぱりわからないのです。そんなものなら私はこう言えるでしょう。私は幻声なしに20で世の中を見通していたと。人を介してその後それはもっと深まっていたことだろうと。

 

今になってわかることも確かに御座います。たとえば私は高校時代、試験にあたってだけは必死になって勉強しました。他日は予習も復習もしない勉学に興味の無い私でした。ですので、大学受験を控えてなぜ磯部君(担任先生)が推薦入学の「す」の字も私によこさなかったのか私には解せなかったのですが、今になってはわかるのです。確信です。それは磯部君の過失ではなく悪意そのものだったのです。ただし悪意を私に持ち来すにあたって何が彼の頭にあったのかそれは知る術もありません。百の思考はたった一の見聞よりひどく劣っていたりします。ここまで生きてきた経験則で悪意以外のその他はやがて排除され尽くしたのです。

 

幻声が私を痛めつけるだけ痛めておいて何らの効果も奏を成していないのは決定的にhowが欠落しているからです。要するに技術論です。SFを語るのはよろしいのですが、それはどうなされるのか技術が全く欠けているので日本語自体がへんぴ極まりない幼稚なものとならざるを得ないのです。

 

私は生きてきて57年になろうとしています。私は現実を通して現実をだけよく存じ上げております。私が小さな頃は喜びも悲しみも御座いました。ですけれど私が中学生になった頃から私は苦しみをのみ甘んじて飲むようになったのでした。それは父の不在、一度風邪をひくとせきだけ長々何ヶ月も続くを繰り返す、排尿が困難である、母の様変わりなどから18歳19歳には美術の専門学校やら英語科の短期大学夜間部やらで教育現場が悪くいわば私にとって社会がなっていなく私はうつと神経症を抱えていました。表向きは若かったので何事も無いような面構えをしていましたし病識もその当時はありませんでした。正式離婚に至る父の不在に関しては、私は自責の念に駆られ自分を責めさいなんでいた時期も御座いました。これは私が年頃だったせいもあり、ひとしなみ私もこの件における犠牲者だったのです。私になんの罪がありましょう?あろうわけが御座いません。その実、父は女とできており、彼はその者の色と金に取り巻かれたのでした。

 

遅くとって20から起算しても、はや37年になります。これまでの経験と脳のフィードバック、脳のフィードバックは生きていて向こう側からのデータは関係ありません、即ち経験則から云って私は何が真で何が偽なのかよくわかります。そこで体の不調のなんたるかが現実にあるものながら真から出ているのか偽から出ているのかがわかるのです。

 

今回の「あれ」も旧来あったそれら同様、偽であり、謂えば向こう側の仕業と思わざるを得ないのです。ですが私が一旦収録したものをすべて削除したのと同様これも厳然たる現実であって、私にとっては非常なるロスでしかありません。

 

向こう側の同胞日本人若干名に言うことがあるとすれば、一刻も早く私を切りなさい、私をあなたたちの輪から切りなさい、そうしてようやく私は自由になれるのだから。

 

 


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