The Diary of Ka2104-2

短編小説「りんごを拾おうとしている女」石川勝敏・著/挿絵・石川勝敏

彼女はベッドの前後逆さまに寝ていた。枕は壁ぎわにその端を埋めていた。目覚めたとき、お腹に違和感を覚えた。彼女は50も半ばで、思わずはっとした。この前も胸のガンの検査を受け痛い思いをしたところだった。だがそこはゴロゴロ360度回転するようだったので、自分の身肌とは切り離された存在だと知った。見てみようと彼女が身体に少しひねりを入れた途端、その圧の余波で、それは自律しているかのように、彼女の目に転がる1つのりんごとして映じた。彼女は思わずそれをつかもうとして、昨晩のことは今のところ全く思い出せないわけで、それへと腕(かいな)を伸ばし、ようよう触れ得たと思ったら、誤って突っついてしまったらしく、それは端へと勢いよく、今度は受動的に、大きなストロークで回るように行ったかと思うと、ほとんど音も立てず床に落ちてしまった。

彼女は右肘で身体を支え、左の腕(かいな)を伸ばし、落ちているりんごをベッドから拾おうと大きくそれを伸長させていた。その時だった。スマホのベルが鳴り出した。「誰だろう?今、何時?」カーテンには幅広の隙間が空いていて、光線はなるほど差し込んでいた。そう思いながら彼女はこのスマホをどうしようかと逡巡していた。スマホの手前にまず自分の存在の所在をつかみかねていたのだった。

彼女は我に返った。この電話はもう随分と長い間鳴っているのに気付き、思わずスマホを手に取り受話をタップした。

「もしもし」彼女はさすがに自分の名を名乗らなかった、警戒していたのだ。

「頼子(よりこ)」彼女の彼氏からだった。彼女はまたたく間に断片たちを一部一部フラッシュバックのように思い出していった。「友さん(ともさん)、昨晩の記憶、私泥酔してタクシーに乗った気がするわ」「馬鹿だな頼子は。確かに君は飲む前から昨日は夢遊病者のようで案じていたけど、君が一人でタクシーに乗ったのではないぞ。俺が君の肩を抱え店を出て、タクシー拾って君を押し込んだら、俺も責任持ってちゃんと同乗したよ」彼女には精神障害があり、診断名は統合失調症だった。その日の昨日、彼女が案じていたのは夢遊病者のような精神状態で、昼間にバッグ一つ手に取ると、コートを両肩に引っ掛け、衝動のようにマンションの家を出て町中を歩き回り出したという、その夢遊病者振りを案じていたことを、彼女は思い出した。とにかく心細かった。彼女は時々人生の深淵に立ったかのような気分に落ち込む。その日も身体を脱皮して新しくなりたいと思うほど孤独で寂しくてどうしようもなかった。

「そうかもしれない。常に私の身体、温もりで柔らかく感じていたと思う」「おいおい、昨晩は君に手を出していないぜ。ーーそれより君を寝かせて君んちを出て俺んちに帰宅してから、俺に不思議なことがあったんだ。聞いてくれるかい?今の状態はどう?」「あ・・・あっ、りんご」彼女は思わず自分の事を説明するのに客体物を口にしていた。「りんご?何のことだい?おい頼子、大丈夫じゃないんじゃないか?いつ起きた?俺は遅い朝に起きてブランチを摂ってからこうして電話を掛けたんだが」「ブランチ?」彼女は壁掛け時計を瞬時に見て、今自分が置かれている時間を今になって知るに至った。11時前だった。彼は私を一人にして帰ったのだ。とすると、この1個のりんごは何だろう、彼女はそう思いながらも、「不思議なことってなあに?私は大丈夫」と彼に訊いた。「それなんだが、君も知ってるだろ、俺の妹が神経原性筋萎縮で寝た切りになってたこと」「なってた?」「そうなんだ、妹は昨日亡くなったんだ。もうじき来るなとは覚悟してたけれど、まさかな、とうとうその日がやって来てしまったんだよ」「まあ、お気の毒に。妹さんの御冥福を祈ります」

「そこでだ、俺も酔っ払ってて、気がどうにかしてたかもしれないんだけど、昨日家へ帰ってから歯磨きも着替えもしなくて、点灯さえせず、手探りでベッドにもぐり込んでサッと熟睡さ」「ええ」「ところが、俺は夢を見ていたかもしれないけれど、それが妙に生々しいんだ」「どういうこと?」「就寝中、テレビがなぜかついたらしく、アナウンサーの声が、それも大きくするんだ。目を開けたよ。テレビがついていてあのアナウンサー、男の、河田とかいったっけ、あいつが、妹さんが死にました、って言うやドッとアナウンサーのみならずスタジオ中が笑い出したかと思うと、急にテレビがまた消えたんだ・・・それで俺、半覚醒でそれから寝ていたんだけど電話に起こされたのが、午前10時過ぎ、母さんが泣き声で、かの子が亡くなったよって言うんだ、俺の妹だよ・・・」「・・・」頼子も返答に苦慮して何も言えなかった。

「妹さんは病院で?」「実家だよ。山梨の」「じゃあ、友さんすぐ帰ってあげなくちゃ」「もうネットで切符の手配は済ましてる。今からすぐ出る」「ところで、こんなくだらないこと、ひんしゅくものでしょうけど、あなた、りんご、知らない?」「りんご?」「そう、りんご1個が私が寝ているベッドにあったのよ、私と添い寝してたみたい。あなた置いていった?」「りんご1個?ふざけるなよ、りんごなら俺んち実家りんご農家だから、うち帰ると腐るほどあるよ」


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