○朝鮮学校のはじまり
韓国併合後、強制移住や出稼ぎ労働などで多くの朝鮮人が日本へ移住してきました。1945年の朝鮮解放後、母国へ帰国する動きがある中でも、日本政府の朝鮮人帰国のための対策は十分ではなく、朝鮮半島の治安も安定しない環境のなかで、約60万人が日本に残ることになりました。帰国のための順番を待つ間、日本政府の同化政策によって母国語を話せなくなっている子供たちに朝鮮語を教えることが必要だと考え、日本全国各地に国語教習所がつくられました。これが今の朝鮮学校のルーツです。「自分たちの言葉を取り戻す」というごく当たり前の願いがそもそもの始まりなのです。
○日本政府による弾圧とそれへの抵抗
しかし、朝鮮学校の歴史は、当初から現在まで存続の危機とのたたかいでした。1947年GHQが出した勧告により、「在日」の民族教育は日本政府の指導下におかれることになり、日本語で教育すること、朝鮮語を課外授業とすることなど、日本政府による朝鮮学校の民族教育への弾圧が行われました。これに対して在日コリアンが反対すると、文部省は1948年朝鮮学校閉鎖命令を出し、これを機に反対運動は全国に広まりました。とくに大阪や兵庫などでは「阪神教育闘争」と呼ばれ、死傷者を含め多くの被害を出すほどに日本の警官隊との激しい衝突が繰り広げられました。
その後、朝鮮学校の自主性を守ることに関する合意がなされるも、朝鮮戦争勃発を前にそれは一気に覆され、以後現在に至るまで、朝鮮学校は自主学校、民族学級などの形態での存続を余議なくされています。
○各種学校としての朝鮮学校―大学受験資格や経済面における不利益
このような日本政府による弾圧の歴史のなかで、朝鮮学校は経済的にも常に存続の危機に立たされています。保護者などの寄付金や、手作りの校舎など、草の根の力が朝鮮学校を支えています。また、1957年に、はじめて北朝鮮から教育援助費と奨学金が送られてきたことは、とても大きな支えとなりました。
このような中で、在日コリアンの運動は日本人の支持を得て徐々に大きくなっていき、「朝鮮学校を閉鎖すべき」という趣旨の「外国人学校法案」は政府によって何度も上程されましたが、最終的にはすべて廃案となりました。
しかし、朝鮮学校は現在でも、一条校(通常の課程)としてではなく、自動車教習所などと同じ扱いである、各種学校としてしか認められていません。このことは、高級学校を卒業しても大学の受験資格が保証されず、受験の可否は各大学による個別審査に任されていることや、補助金が一条校に比べ著しく少ないなどの大きな不利益を生み、近年生徒減少の一因となっています。
○現在も続く民族教育への弾圧―無償化除外問題
このような歴史の延長に、現在の無償化除外問題や補助金停止問題があります。日本は一貫して朝鮮学校の民族教育を弾圧し続け、国際的にも認められている民族教育の権利を侵害しているのです。2010年10月に日本政府は国連人種差別撤廃委員会から「一切の差別の無い適用」をするように勧告を受けています。当たり前のことを当たり前に認めていないのが日本の現状です。ただでさえ財政的に厳しい朝鮮学校ですが、さらなる経済的負担がふりかかる中で、多くの在日コリアンの子供たちが朝鮮学校で学ぶことを諦めざるを得なくなっているのです。
韓国併合後、強制移住や出稼ぎ労働などで多くの朝鮮人が日本へ移住してきました。1945年の朝鮮解放後、母国へ帰国する動きがある中でも、日本政府の朝鮮人帰国のための対策は十分ではなく、朝鮮半島の治安も安定しない環境のなかで、約60万人が日本に残ることになりました。帰国のための順番を待つ間、日本政府の同化政策によって母国語を話せなくなっている子供たちに朝鮮語を教えることが必要だと考え、日本全国各地に国語教習所がつくられました。これが今の朝鮮学校のルーツです。「自分たちの言葉を取り戻す」というごく当たり前の願いがそもそもの始まりなのです。
○日本政府による弾圧とそれへの抵抗
しかし、朝鮮学校の歴史は、当初から現在まで存続の危機とのたたかいでした。1947年GHQが出した勧告により、「在日」の民族教育は日本政府の指導下におかれることになり、日本語で教育すること、朝鮮語を課外授業とすることなど、日本政府による朝鮮学校の民族教育への弾圧が行われました。これに対して在日コリアンが反対すると、文部省は1948年朝鮮学校閉鎖命令を出し、これを機に反対運動は全国に広まりました。とくに大阪や兵庫などでは「阪神教育闘争」と呼ばれ、死傷者を含め多くの被害を出すほどに日本の警官隊との激しい衝突が繰り広げられました。
その後、朝鮮学校の自主性を守ることに関する合意がなされるも、朝鮮戦争勃発を前にそれは一気に覆され、以後現在に至るまで、朝鮮学校は自主学校、民族学級などの形態での存続を余議なくされています。
○各種学校としての朝鮮学校―大学受験資格や経済面における不利益
このような日本政府による弾圧の歴史のなかで、朝鮮学校は経済的にも常に存続の危機に立たされています。保護者などの寄付金や、手作りの校舎など、草の根の力が朝鮮学校を支えています。また、1957年に、はじめて北朝鮮から教育援助費と奨学金が送られてきたことは、とても大きな支えとなりました。
このような中で、在日コリアンの運動は日本人の支持を得て徐々に大きくなっていき、「朝鮮学校を閉鎖すべき」という趣旨の「外国人学校法案」は政府によって何度も上程されましたが、最終的にはすべて廃案となりました。
しかし、朝鮮学校は現在でも、一条校(通常の課程)としてではなく、自動車教習所などと同じ扱いである、各種学校としてしか認められていません。このことは、高級学校を卒業しても大学の受験資格が保証されず、受験の可否は各大学による個別審査に任されていることや、補助金が一条校に比べ著しく少ないなどの大きな不利益を生み、近年生徒減少の一因となっています。
○現在も続く民族教育への弾圧―無償化除外問題
このような歴史の延長に、現在の無償化除外問題や補助金停止問題があります。日本は一貫して朝鮮学校の民族教育を弾圧し続け、国際的にも認められている民族教育の権利を侵害しているのです。2010年10月に日本政府は国連人種差別撤廃委員会から「一切の差別の無い適用」をするように勧告を受けています。当たり前のことを当たり前に認めていないのが日本の現状です。ただでさえ財政的に厳しい朝鮮学校ですが、さらなる経済的負担がふりかかる中で、多くの在日コリアンの子供たちが朝鮮学校で学ぶことを諦めざるを得なくなっているのです。