二千和会恒例のお花見もする春の散歩です。午前中は中山法華経寺の歴史散歩を致しました。桜が綺麗で満開のとても好い日にちに当たりました。
さてその後車座になってお花見弁当を広げる場所が、そこから3駅先の市川真間駅からさらに歩いて行く公園に適当な場所はあるのですが、法華経寺でかなり歩いて疲れました。参加の皆さんにおはかりして、近くて広い―遠目には桜が咲いている場所―中山競馬場の芝生公苑となりました。初めて入場した方が大半だと思います。
入場料200円で、中に入れました。驚いたことにこの施設内は何でも揃っている感じでした。ことによると競馬でなくても結構楽しめるような…知らない場所に来て、それだけでウキウキ、ワクワクしてしまうような…なんだろうな、これは…判りませんが。
レジャーシートを敷いて陣取った訳ですが、遠くを見ると桜がぐるりと取り巻いて、その手前を見ると馬がスタートを切ったところでした。
最初の写真は遠くに走っている馬たちですが、その時のスタートに使う器具が、トラックに引っ張られて移動中です。また、端に写っている男性は競馬新聞を手に遠く走っている馬を背伸びして目で追っていました。
こんなに伸びやかにシートを敷いて、自分たちだけの世界に浸れました。お家からご持参の“にごり酒”“ビール”“缶チューハイ”…勿論お茶も、背中のリュックから出てきました。おつまみもあります。大事なお弁当も。蕗、筍、イカナゴの釘煮、胡瓜の古漬け、そしてデザートにアップルケーキ…などなど、お楽しみの青く澄んだ空の下でポカポカ陽射しを受けての宴会です。
宴会の始まるちょっと前に88歳に今年なられる御大の姿が見えなくて、みんな心配しましたが、ようやく姿を現わしました。用事をすまして戻ろうとしたらこの場所が判らなくなったのだそうです。道に迷うほどの大きな施設でした。御大は昔獣医さんをしていた方です。お馬さんは身近にいた動物だったことでしょう。ようやく彼も交えての和みの宴が続けられました。
初めての、ちょいとは入れない…というか、入るのに勇気が要る施設に足を踏み入れたということで、胸が躍るようだと言ったら、もし馬券を買ったら、もっとワクワクドキドキするかも知れないとその方の話にも発展。競馬新聞を購入して戯れに100円の馬券を買いたいなら…とお世話して下さる方もあって、ほとんどの方が100円を買ってみました。「4」とか「4-4」いや今日は4月3日だから「4-3」だとか…。面白半分で初体験となりました。
高橋さんはこの町内にお住まいなので、町内の住民が競馬場からのご招待があったそうです。その時の経験から少しは明るい場内です。S.Oは彼女について行き、馬の走る傍まで来てみました。
S.K.(小島)氏は、足が達者です。皆さんの希望の馬券を買いに走って下さいました。10レースの馬券です。本当に適当に「4-4」を、同級生のよしみで高橋さんと仲良く選んでいました。
はるか左前方に騎手を乗せて馬がゆっくりと歩いています。10レースの準備にこの緑に染めた芝生を走るらしいのです。芝の上のゴミなど無いか場内芝の整理に7,8人の方が掃除用具を持って通り過ぎていきました。
目の前を走って行く馬。間近に見ると馬の肌が光り輝いていました。馬ってこんなに綺麗なんだと感激しました。昔、牛や馬が農家の一員として働いている姿は見知っているつもりでしたが、競馬として働く馬はとっても美しいのですね。大事に磨きをかけて扱われていると言って良いのでしょうか。
練習に走っている馬の中には嫌々をするように、体をよじってスピードも出さずに進むものも居ました。そんな様子に二人は笑ってしまいまいたが、大きなパネルに走ってくる馬が写し出され「10レースが始まったわ、走っている、走っている…」と、二人は確かめるようにしゃべっていましたら、傍にいた若者が「あれは、大阪で今走っているのを中継しているんですよ」と、教えてくれました。他の競馬情報も観て同時に楽しんでいる方もみえるということも知りました。
我らが、選んだ4番の馬をうまく捉えました。馬名は、後で知ったのですが「トーセンゴライアス」。その馬が何位かにはいったというのです。
本当にただ、買っただけの番号で、映画『マイ・フェア・ レディ』のように、レディに仕立てあげられるその過程のなかで、買った馬が勝ちそうか、負けそうかの競り合いになった時でした。興奮したイライザ(オードリー・へップバーン)が、“レディ”の勉強以前の、尻尾―お里が知れてしまうような夢中さを持って声援を送った汚い言葉は、指導中のレギンズ教授をハラハラさせ、更にお目玉を食らう…そんなシーンを彷彿とさせるような、無我夢中になって応援する境地では無かったけれど、懸命に走る馬と騎手に思わず、心の中で“ガンバレ”って呟いていました。
『マイ・フェア・レディ』の時代設定は1911年。まさに第1次大戦直前のことで、階級制度が厳しくあった時代のお話。英国では当時は上流階級の貴婦人でなければ競馬場へ赴くことが許されなかったというのでした。社交界に華々しくデビューする第一段階に、アスコット競馬場を選んだということでしたので、競馬場にも興味をもった私、SOの思いも達成というか満足できました。
この浅田さんの新聞で少しの解説と皆さんのながれの様子で4番を選んで、小島さんとそれを纏めて下さった楠さんのおかげで、高橋さん、合間さん、花野さん、私、そして浅田さんが某かの配当金を頂いてしまったのです。100円を買った人はなんと千円に、また浅田さんは別の買い方をされたのか、二口にされたか? 配当金の2000円を、後のお疲れ会で、寄付をされました。お疲れ会に参加の楠さんと私S.O.も、それぞれ思ってもみなかった1000円の配当金を寄付と致しまして、幸せをみんなで分かち合いました。心ウキウキの楽しい気分で散会となりました。