戯作 連句歌仙 ぷかぷかとの巻 興行日 平成二十五年中秋の頃
場所 萱吹庵
式目 有りて無し
適度のルール嫌わず
登場人物 翻車魚庵主人(客)
亭主
亭主の女房
ぷかぷかと連山眺む秋の雲 客
世界を股に泳げる大魚 亭主
望月の比すべきものの無きに似て 客
躁だ欝だと立てる白波 女房
みちのくの匂い懐かし寒雀 亭主
炭火焼きかなジビエの骨か 客
(初折の裏)
召し上がれ何はなくともサンマなど 女房
苦き涙も晴れて躁なり 客
旅立ちの思い引かるる鄙の宿 亭主
乱れて忍ぶ一升の酒 客
恋などは一時の大病もう一献 亭主
心ゆくまで秋風聞こゆ 女房
月を追い少年一人犬連れて 亭主
掴めぬ夢と吊橋渡る 客
渓流に釣師の仕掛け流れゆき 亭主
鰍汁など御賞味遊ばせ 女房
花の宴異形のものの気配して 客
共に囲まん浮世も闇も 亭主
(名残の表)
新芽出す地下の薄日の菰の下 女房
夢より覚めて遠きマチュピチュ 客
一筋の機影の雲の立ち上り 亭主
ブラキストン線跨いで越える 客
北の国ヒグマと遊ぶ子等のいて 女房
こわいこわいと山降る親 亭主
手に負えぬ荷物を背負う愚者ありて 客
降りては登るシシュポスの神 亭主
コースター乗りて騒いで遊園地 女房
コーラ売る店時を買う店 客
月見して光の速さ測りたり 亭主
げに風流の遠のくばかり 女房
(名残の裏)
子規という大愚のありし短夜の 亭主
時鳥ほど見えぬ鳥なし 客
托卵の非情の合理無常とも 亭主
勝てば官軍そろそろ夜明け 女房
暁の花の散り行く窓際に 客
躁鬱超えし外は春風 亭主
あとがき
俳諧の連歌は、いわゆる本連歌と区別するために連句と呼ばれることが多い。俳句とは、この連句の発句のみを独立させて個人の自己表現としたものである。これはもちろん子規の独断といえるものであり、それゆえに失礼ながら、大愚などと詠じてしまった。無論、なぜそうされたかは、痛いほど分かっているつもりである。天才俳人正岡子規殿、お許しあれ。
連句は、連衆というグループで巻いていくものであり、そこにはあらゆるゲームやスポーツのように式目というルールがある。三十六句の歌仙においては、二花三月の上座を置くとか、打越を嫌うとか、同じような素材の繰り返しを禁ずる去り、または嫌いとかいろいろあって覚えるのも大変であるほどだ。
もちろんそういう正道も大事なのだが、今回は、独吟という形で連句を巻いてみたい。
登場人物がいるのだが、戯曲というわけではないので、戯作とした。また独吟なのだから、面倒な式目など、あってもなくてもよいものと考えた。
俳句は「実」が命だが、連句は発句以外「虚」でもよい。だから遊びの感覚が大事である。連歌は基本的に大和言葉の制約があるが、連句は古語から漢語、外来語、現代語までなんでもありである。これは、嬉しい。
ところで、七十年代あたりから即興パフォーマンスやハプニングと呼ばれるムーブメントが台頭し始めた。現代芸術表現の一手法として可能性を切り開いたはずだった。フリージャズとかフリーインプロビゼーションの虜になったこともある。今は亡き伝説のギタリスト、デレク・ベイリーや田中泯、近藤等則等と交わり、大いに刺激を受けたものだった。
芭蕉は、発句そのものより連句の方に当代随一の自信を持っていたらしく、風流という人生に命をかけたようである。つまり、蕉風連歌の確立と指導に、自分の余生をかけたのである。「たとへば歌仙は三十六歩なり。一歩も跡に帰る心なし。行くにしたがひ、心の改るは、ただ先へゆく心なれば也」(三冊子)とは、まさに即興精神そのものであった。子規により一度は否定の憂身をみても、個人尊重の窮屈な作品主義を超越したこの即興一座は、まさに現代的表現手法として甦ざるを得ない。即興とは、私流に言えば「今、ここ」の存在学的認識と絶えざる変化を肯定的に歩んでいく覚悟の謂である。
松ぼつくり幾つのいのち抱きつつ
(初出、詩誌「不羈39号」平成25年12月)