一句一会

萱吹 興の俳句道場へようこそ。

石をもて追わるるごとし秋鼠

2011年11月05日 | Weblog
シンガーソングライター(少し古いかな?)の中島みゆきのお祖父さんは、中島武市といって、帯広商工会の草分けであり、帯広市議会の議長も務めた人でもある。いわば帯広の名士なのだ。昭和14年自費発行の「開拓の人柱 依田勉三翁を語る」を偶然見せていただいたので、彼の全文を紹介したい。もちろん、ほとんど旧字体なので適当なところで新字体に変換しているのでご容赦の程を。

 開拓の人柱 依田勉三翁を語る
 (資源愛護の意味に於て小活字を使用し紙数を節約致しましたので讀みずらき点は御寛怨を乞ふ)

 (昭和十三年七月三十日帯広放送局より放送)
                        中 島 武 市

 我日本帝国はご承知の通り目下未曾有の国難に直面して居ります多数の同胞は護国の第一線に立たれ筆にも言葉にも盡くせぬ労苦の限りを盡くして全満、全支に亙って聖なる戦ひに身命を賭して居られます。私共銃後の国民は皇軍将兵の第一線に於けるご労苦を共に分かつの決意を以て、長期経済戦に備へなければならぬと深く感ずるのであります。吾が北海道は本来の八月十五日を以て開拓七十周年の記念を挙行する事になりました。其の昔蝦夷ヶ島と呼ばれ熊とアイヌに表徴された、吾が北海道は櫛風沐雨七十年の今日は如何でありませう。豊富な重要物資の生産地として或は工業地としてその他あらゆる點に於ける重要地點として國にとっては頗る重要性を持つ現在に迄絶えざる躍進を続け来たったのであります。其の北海道に於いても豊かな天産と厖大なる沃野を有し農畜林産に於いて年産六千数百萬圓を産する吾が十勝は近時相次いで施設されつゝある各種重要施設の実現と共に其の存在は益々高揚され全国的に認識されつゝあるのであります。(続く)